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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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一三七 タケルの想い


「アジ、ちょっと散歩でもしないか」


 タケルがそう声をかけると、


「ああ、ちょうど息抜きしたかったんだ」


 アジはそう応え、二人は隊舎を出て、サイノ川の土手を歩くことにした。


 隊舎から通りを西に向かい、訓練場の前を通り過ぎると繁華地区に入り、人通りも増えてのんびり歩くことができなくなる。


 二人は人混みを避けるように繁華地区手前で左折し、路地に入る。


「今日もいい天気だな」


 アジは空を見上げ、歩きながら大きく伸びをする。


「平和だな」


 タケルはそよ風を顔に受け、その心地よさにしみじみと言う。


「平和だ」


 アジが相槌を打つと、タケルは頷き、


「でも、なんだか不思議だな」


 そう言って皮肉な笑みを浮かべるのだった。


「なにが」


 アジが首を傾げると、


「こんなに平和なのに、俺たちはそれを壊そうとしている」


 タケルはそう答え、「ふんっ」と鼻で自分を笑う。


 アジにはタケルの気持ちが良くわかる。


「そうだな。しかし、公開処刑や奉仕者のことを考えたら、平和だなんて呑気なことは言っていられない、だろ」


 アジがそう言ってタケルを悪戯っぽく見ると、


「その通りだ。この平和はみせかけの平和だ。今立ち上がらなければ、この世界を変えるチャンスは二度と来ない」


 タケルはそう応え、その言葉に力を込めた。


「うん。俺もそう思う」


 アジはそう相槌を打ち、遠くを見つめるような眼差しで路地の先の景色をボンヤリとその瞳に映す。しかし、アジの瞳に映る光景は目の前の穏やかな光景ではなく、これから起こるはずの血生臭い光景だった。


 少しの沈黙の後、


「服従の儀式まであと二週間・・・」


 タケルがそう呟いた。


「うまくいくことを祈るしかない」


 アジは胸の前で右手の拳を握り締め、祈るような眼差しで宙を睨んだ。


 本当に祈るような気持ちだった。


「あいつらならやってくれるだろう」


 タケルはタヌ、ラウル、ギルの三人を思い浮かべ、その顔に自信の色を浮かべる。


「うん。やってくれなきゃ困るけどな。せっかく死に場所を見つけたんだから」


 アジはさらりと言ってふーっと大きく息を吐く。


 タケルはアジのその言葉に胸が痛くなる。


 死に場所。


 アジはさらりと言ったが、そこには覚悟というものがあった。


 その言葉の持つ重みが、ずしりとタケルの胸に響く。


 二人は路地を抜け、サイノ川の沿道を横切って土手を登った。


「少し座ろうか」


 タケルがそう言って二人は土手に座り、川を眺めることにした。


 温かな日差し、心地よい風。


 しかし、タケルの表情は浮かなかった。


 タケルの胸に、アジの言葉が重くのしかかっていた。


「・・・」


 思い詰めた表情で黙り込むダケル。


 そんな、いつもと様子の違うタケルに気づき、


「どうした、浮かない顔して」


 アジが声をかけた。


 それをきっかけにタケルは顔を上げ、対岸のイスタルの景色に視線を投げる。


 それから、ふぅーっと大きく息を吐くと、意を決したようにアジに振り向き、真っ直ぐにその目を見つめた。


「実は、お前に知ってもらいたいことがあるんだ」


 タケルは真顔で切り出した。


 タケルのその真剣な眼差しに、アジは緊張した。


「うん?」


 アジが先を促すと、


「クミコの縁談についてなんだ」


 タケルはしっかりとした口調でそれを口にした。


 クミコの縁談と聞いて、アジの胸がズキッと痛む。


「クミコの?」


 アジは平静を装ってさらりと聞き返す。


「ああ」


 タケルが頷くと、アジは笑顔を強張らせタケルから目を逸らすのだった。


「俺がクミコの縁談のこと知ってどうするんだよ。俺はクミコが幸せならそれでいいよ」


 アジはそう言って草を千切り、それを川に向かって投げ、草はアジの目の前で散っていく。


 アジはクミコの縁談の話なんて聞きたくなかった。


 もちろん祝福はするけれど、


 俺の知らないところでそんな話は進めて欲しい・・・


 それが正直な思いだった。


 そんなアジの気持ちなんてお構いなしにタケルは話を続ける。


「その縁談はとてもいい縁談なんだ。だから、クミコは結婚したら幸せになれると思う」


 タケルはそう言って意味深な眼差しでアジを横目に見る。


「そっか。それなら言うことないよ」


 アジはそう応えて微笑んだ。


 でも、その眼差しは寂しげだった。


 アジにはタケルの意味深な眼差しが通じない。


「はぁ」


 タケルは大きなため息をつく。


 ちゃんと言わなきゃダメだ・・・


 タケルは意を決し、


「アジ」


 真顔でアジの名を呼び、その目を見つめた。


 それはもう、真っ直ぐな眼差しで、決して意味深なものではなかった。


 タケルの真っ直ぐな視線に、


「なに?」


 アジは軽く返事を返しながらも、無意識に背筋を伸ばしていた。


 それぐらいタケルの眼差しは真剣だった。


 タケルはアジの目を強く見つめ、思いを込めてそれを伝えた。


「クミコの縁談の相手は、お前なんだよ!」


 タケルのその言葉に、アジは耳を疑った。


「はっ?」


 アジは何がなんだかわからない。


 でも、心が震えていた。


 そんなアジを落ち着かせるように、改めて、


「お前なんだよ、クミコの縁談の相手は」


 タケルは穏やかな口調で告げたのだった。


 タケルの温かな眼差しとその言葉にアジは我に返ると、


「俺?嘘だろ」


 信じられないといった顔をして自分の顔を指差した。


 タケルはふと笑みを浮かべ、


「嘘じゃない。クミコはそれを知っている。知らないのはお前だけだ」


 そう言い放つ。


「そ、そうなのか・・・」


 アジは急に恥ずかしくなって俯いてしまう。


 ドキドキドキ・・・


 胸の鼓動が高鳴り、そして、顔が赤くなる。


 顔を赤くしたアジが微笑ましくて、タケルは笑った。


「お前が結婚しないなんて言わなければ、トノジおじさんも、もっと早くお前に伝えていたと思うけどな」


 タケルはそう言ったけれど、アジはトノジの顔を思い浮かべ複雑な気持ちになる。


「・・・」


 アジが黙っていると、タケルは爽やかに言った。


「クミコを嫁にもらってくれないか」


 アジにとって、こんなに嬉しいことはない。


 しかし、アジはそれに即答できなかった。


「・・・」


 そのアジの思い詰めた顔を見て、


「嫌か?」


 タケルは真顔になり、その想いを尋ねた。


 その問いかけに、アジは真顔で即答した。


「嫌なものか。俺はてっきり、クミコはどこか遠くに嫁に出されるとばかり思ってたから・・・」


 そう言いながら、アジは一緒にセントラルへ行ったときの、あのときの光景を思い出していた。


—クミコが幸せになるなら、俺は嬉しいよ。


 あのとき、アジはそう言ってクミコの縁談を祝福した。


 そんな俺をクミコはどういう思いで見てたんだろう・・・


—あはっ、なんで涙出てくるんだろう。


 そう言ってクミコははにかみながら、頬の涙を拭った。


 俺はバカだ。全然気づかなかった・・・


 そのときのクミコの笑顔が愛しくて、今、アジの胸を締め付けるのだった。


 タケルはそんなアジの様子を見て胸を()で下ろした。


 自分が思っていた通り、アジはクミコのことを大切に想っている。


 そう確信することができたからだ。


「それじゃ、もらってくれるか」


 タケルはそう言って微笑んだ。


 しかし、アジには返事ができなかった。


 服従の儀式が二週間後に迫っているからだ。


 タケルは返事をしないアジを怪訝に思う。


「何か問題でもあるのか」


 タケルが思い詰めた表情のアジにその理由を尋ねると、


「服従の儀式が迫ってるんだ。タケル、俺は生きて帰ってくるつもりはない。だから、クミコをもらうことはできない。クミコを不幸にしたくないんだ」


 アジは苦渋の面持ちでそう答えたのだった。


 タケルにはアジのその気持ちが痛いほどわかる。


 わかっていて、アジとクミコが一緒になることを願っているのだ。


 なにより、アジのクミコに対するその想いが嬉しかった。


 こういう男こそ、クミコに相応しいんだ・・・


 タケルはそう思った。


 タケルはふっと笑みを漏らし、


「それでだ、お前にはここに残って欲しいんだ」


 と、しみじみとした口調で自らの想いを伝えた。


 タケルのその言葉にアジは驚いた。


「えっ」


 アジは複雑な表情でタケルの顔をまじまじと見つめる。


 タケルは笑顔で頷くと、


「リザド・シ・リザドへはセジを連れて行く。お前はクミコのために残ってくれないか」


 と告げたのだった。


 タケルのその温かみのある優しい言い方が、アジの心に触れた。


 アジは込み上げてくる感情を(こら)えるのが精一杯で、目をぎゅっと瞑り、気持ちを落ち着かせようとする。しかし、突然のクミコとの縁談の話に、クミコへの想いが溢れてきて、どうすることもできなかった。


「お前が残ってヘイタを助けてくれるなら、俺は思いっきりお前の分も戦ってみせるよ」


 タケルはそう言って笑う。


 タケルも生きて帰るつもりはなかった。


「タケル・・・」


 アジはそう呟き、涙を流した。


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