一三四 ラドリアの戦い
コンクリの執務室。
高位にある兎神官および教官が集められ、服従の儀式についての説明が行われていた。そこには当然、護衛隊隊長ミカル、親衛隊隊長アク、そして武術教官のダレロの姿もあった。
まず、コンクリの従者である若い黒服の兎神官によって、爬神族から三千人、蛮狼族から五千人が儀式に参加することが伝えられた。
つづいて服従の儀式の舞台設定について説明があった。
「教会堂の入り口から広場の南端まで、広場の中央を真っ直ぐに伸びるメインの通路が作られます。そして、広場の中心に生贄の柩が置かれ、柩を中心として東西に背信者を一列に並べる為の舞台が設置されます。舞台の北側、つまり教会側に我々霊兎族各都市から集められた兎神官および護衛隊が、都市ごとに整列します。舞台の南側には、爬神官を中心にして爬神軍が整列し、爬神軍を囲むように蛮狼族監視団が整列します。我々霊兎族は、爬神族および蛮狼族と舞台を挟んで向かい合う形となります」
黒服の兎神官はここで言葉を区切り、ここまでの説明に対し何か質問がないか、そこにいる一同を見渡した。
特に意見がないのを確認すると、黒服の兎神官は軽く辞儀をしてから説明を続けた。「各都市の整列方法ですが、舞台に向かって最前列に統治兎神官、その左右に一名ずつ従者が立ち、その後ろに護衛隊が三列になって整列します。護衛隊は護衛隊隊長、および補佐役二名を先頭にします。ラドリアのみ統治兎神官の位置に、高位兎神官であるマサク様が立つことになります。次に、各都市の並び順ですが、教会から舞台に向かって左、つまり東側から、スペルス、ミンスキ、サットレ、ボルデン、ラドリア、イスタル、ナスラス、ドゴルラの順になります。霊兎族の参加者すべてを後ろから見守るように、教会堂の入り口には最高兎神官用の椅子が置かれ、そこにコンクリ様がお座りになられます。コンクリ様の両脇に従者のお二人、そして入り口の階段下には、コンクリ様を守る形でアク様を中心とした親衛隊が整列することになります」
ここで黒服の兎神官は、〝しっかりとコンクリ様をお守りするように〟という眼差しでアクを見る。
アクが了承の意味を込めて頷くと、黒服の兎神官は大きく息を吸ってから、儀式の段取りについて説明を始めた。
「服従の儀式の段取りについてですが、まず生贄の柩が親衛隊により広場の中央に運ばれます。次に、爬神様を称える舞が生贄の柩を中心にして披露されます。舞が終わりましたら、生贄の棺は爬神軍に引き取られ、広場の外へ運ばれます。次に、参加している都市の、東と西、外側の都市の統治兎神官から交互に服従の誓いが宣言されます。宣言がされ次第、即座に当該都市の護衛隊により背信者が舞台の上に並べられ、銅鑼の音に合わせて一人ずつ首が落とされていき、舞台上のすべての首が落とされたところで、背信者の肉が爬神官、および神兵たちに捧げられます。ラドリアの宣言が最後となり、宣言を行うのはマサク様となります」
ここで黒服の兎神官は〝よろしくお願いします〟という眼差しでマサクを見る。
薄茶色の髪に白髪の混じったマサクは、一世一代の大役に緊張した面持ちで頷いた。
黒服の兎神官は先を続ける。
「背信者すべての肉が捧げられた後、生贄の柩を中心として、服従の舞が披露されます。次に、コンクリ様によって生贄を捧げる祈りが唱えられ、神兵たちによって生贄の柩が爬神様の用意した馬車に積まれます。そして最後に、爬神官によって、服従の意志を受理する詩が詠まれます。これで服従の儀式は終了となります」
黒服の兎神官は説明を終えると軽く辞儀をし、コンクリの後ろに下がった。
黒服の兎神官が下がると、コンクリはそこにいる全員を見渡し指示を出した。
「儀式は二週間後に迫っている。一週間後には各都市からぞくぞくと統治兎神官たちがラドリアへ到着する。統治兎神官たちには施設内にある空き部屋を充てがうように」
コンクリがそう指示を出して兎神官たちに目をやると、
「すでに準備は整っています。居住棟にある空き部屋をすでに確保しております」
マサクが船を張ってそう応え、軽く頭を下げた。
次に、コンクリはミカルに目をやり指示を与えた。
「護衛隊の隊長たちには護衛隊隊舎の空いた部屋を提供するように。一般隊士および背信者には市街地内外の空き地、広場を使って野営してもらう。混乱なきよう、場所の確保と確認をしっかりとしておくように」
コンクリの厳しい眼差しに、
「わかりました」
ミカルは緊張した面持ちで応え、頭を下げた。
コンクリはアクに視線を向けると、
「親衛隊は神殿を警護し、生贄の柩に誰も近づけてはならない」
そう厳命した。
アクは顔を上げることなく、
「わかりました」
どこか思い詰めた表情で頭を下げた。
アクのどこか戸惑っているようにも見える態度に気づき、
「アクよ、お前は自分の役割をちゃんと理解できているのか」
コンクリは厳しく問いかけた。
その怒りを帯びた声に、アクは慌てて顔を上げコンクリに視線を向ける。
「服従の儀式で最も重要なのは生贄だ。アクよ、お前はそれをしっかりと理解しなければならない」
コンクリはアクを睨み、苛立ちを押し殺した声でそう告げた。
その鋭く険しい眼差しに、アクは背筋をしゃんと伸ばし、
「はい、わかっております」
緊張感を漂わせた表情で、はきはきと返事を返す。
コンクリはアクのその態度に頷くと、その場の一同に向かって生贄について語った。
「生贄であるシールは、聖なる水と聖なる力によって、永遠の眠りについている。シールの眠る柩は、服従の儀式までの間、神殿にある〝戦士の間〟に安置される」
コンクリがそう説明すると、その場がざわついた。
「戦士の間?」
マサクがそう言って首を傾げる。
マサクはそんな部屋の名前を今まで聞いたことがなかったからだ。
戦士の間は、誰にも知られることのない秘密の部屋だった。
このとき、親衛隊のアクと一部の隊士は戦士の間の存在を知っていたが、彼らがその部屋の存在を知ったのは、シールの眠る柩をそこに運び入れた時でしかなかった。
「その部屋は、最高兎神官のみが知っている、長く隠されていた部屋だ」
コンクリはマサクにそう応え、高官たちの顔を見渡した。
「なぜ隠す必要があったのでしょうか」
ミカルはコンクリと目が合うとその理由を尋ね、
「その部屋の存在は、爬神教の教えを根底から覆すことになるからだ」
コンクリはミカルの目を見据えそう答えたのだった。
それは衝撃的な発言だった。
「おお・・・」
「なんと・・・」
「どういうことだ・・・」
などの驚きの声が兎神官たちの口から漏れる。
アクも驚いた顔でコンクリの顔をまじまじと見つめた。
今まで信じてきた爬神教の教えを根底から覆すとはどういうことなのか・・・
アクは唖然としていた。
ダレロとミカルにも思うところはあったが、特に表情を変えなかった。
ミカルは冷静に質問を続ける。
「爬神教の教えが根底から覆されるとはどういうことでしょうか」
ミカルが尋ねと、狼狽えていた兎神官たちもコンクリの答えに神経を集中させた。
コンクリはふぅーっと一つ長い息を吐くと、真顔で一同を見渡し、重々しい口調で告げた。
「その部屋の存在が、ラドリアの戦士の存在を示し、ラドリアの戦いがあったことを裏付けてしまうからだ」
コンクリがそう告げたとき、反応は二つに分かれた。
一つはその場の殆どの高官たちの反応である。
高官たちは皆、「ラドリアの戦い?」と首を傾げ、互いに顔を見合わせた。
アクも同じように、キョトンとした顔をしてコンクリを見つめるだけだった。
もう一つの反応は、ダレロとミカルのものだ。
彼らは表情には表さないものの、コンクリの言葉に興奮していた。
服従の儀式を行うことを決めたコンクリが、ラドリアの戦士に纏わる伝説を知っていることは間違いないことだった。しかし、最高兎神官であるコンクリがそのことを明確に口にするとは思ってもみなかったのだ。だからこそ、コンクリが〝ラドリアの戦い〟を口にしたことが痺れるほどに嬉しかったのである。
「コンクリ様、ラドリアの戦いについて聞かせていただけませんでしょうか」
マサクは戸惑いを隠せない高官たちを代表し、恐る恐るコンクリにその説明を求めた。
その質問にコンクリはどう答えるのか、ダレロとミカルは興味を持った。
コンクリはマサクに頷くと、静かに語り始めた。
「私がお前たちに服従の儀式について語ったとき、それは人知れず語られて来た、古い物語の中に出てくる儀式のことだと伝えたはずだ。その物語が事実であることを証明するのが、戦士の間なのだ」
コンクリがそう告げると、高官たちはどよめいた。
コンクリは言葉を続ける。
「物語が伝えているのは、遠い昔、ここラドリアにおいて、爬神族と我々霊兎族による激しい戦いがあったということだ。その戦いを〝ラドリアの戦い〟と言う」
コンクリがそう告げると、高官たちは動揺した。
古い物語として語られた服従の儀式。
その中で処刑された背信者というのが、爬神族に戦いを挑んだ者たちだと知って驚愕したのである。
爬神教の高官である彼らにとって、霊兎族が爬神族に対し剣を抜いて戦うということは、あってはならないことだった。
その中で最も動揺していたのは、アクかも知れない。
霊兎族が爬神族と激しく戦ったということが、信じられなかった。
この世界はあくまで爬神族を頂点とする、力に支配された世界なのだ。
爬神族に背くことは神に背くこと。
それがアクの信念の拠り所だった。
その場の動揺を気にすることなく、コンクリは静かに話を続けた。
「ラドリアの戦いは、爬神教が徹底されると共に忘れ去られ、人知れずラドリアの戦士たちの血を受け継ぐ者たちによって、長く伝説として言い伝えられてきたものである。服従の儀式は屈辱の儀式としてその伝説の中で語られてきたのだ。しかし、服従の儀式はなぜ我々霊兎族にとって屈辱の儀式なのだろうか。背信者を自らの手で斬り、その肉を自らの手で捧げることが屈辱なのだろうか」
コンクリはここで一同を見渡した。
そして、その表情を一層険しくすると、
「服従の儀式がなぜ屈辱の儀式なのか、我々霊兎族にとって屈辱とは何なのか。私はそのことに言及したいと思う」
そう言って静かに息を吸い、忘れ去られたラドリアの戦いと服従の儀式の〝真実〟について語り始めた。
「遠い昔、まだこの世界が爬神族によって支配されていない頃、霊兎族、および賢烏族は、それぞれに都市を形成し暮らしていた。蛮狼族は狩猟民として、狩りをしながらフィア山周辺の森を点々と移動して暮らし、爬神族はフィア山を聖なる山と崇め、その麓にいくつもある洞窟を住処とし、祈りの生活を営んでいた。そして、爬神族の祈りがドラゴンを生み出すことになる。神の使いであるドラゴンを手に入れた爬神族は、神民として蛮狼族を屈服させると、それから霊兎族、賢烏族の各都市を次々と屈服させていった。しかし、唯一、ラドリアだけが爬神族に屈服せず、戦う道を選んだのだ。爬神族の要求を呑むことは、霊兎族がその誇りを捨てることを意味していた。だからこそ、彼らは戦う道を選んだのだ。ラドリアの戦士たちは〝霊兎族の誇り〟を守るために戦ったのだ。それが、ラドリアの戦いだ」
コンクリはそこまで言うと、俯きがちに大きく息を吐き、厳しい目つきで宙を睨んだ。
そのコンクリの目に映る光景は誰にもわからない。
それからコンクリは顔を上げると、ゆっくりと一人ひとりの表情を確かめるようにして話を続けた。
「しかし、爬神族に立ち向かったラドリアの戦士たちはその戦いに敗れた。ラドリアは壊滅的状態になり、再生するには爬神族に服従を誓う必要があった。それで服従の儀式が行われることになったのだが、儀式を取り仕切ったのは、それまでラドリアの戦士たちを支持してきた住民たちだった。彼らは服従の儀式において、ラドリアの戦いで勇猛に戦った戦士たちの生き残りを、服従の証として喜んで差し出したのである。霊兎族の誇りのために戦ったその誇り高き戦士たちを、ラドリアの住民は、背信の罪を犯した者として自らの手で葬り去ってしまったのだ。そのとき、我々霊兎族は、霊兎族としての誇りも一緒に葬り去ったのだ。霊兎族としての誇りを喜んで捨てたのだ。これほどの屈辱が他にあるだろうか。それが、服従の儀式が屈辱の儀式と言われる所以だ」
コンクリは苦渋に満ちた表情でそこまで言うと、一息入れ、高官たちの反応を窺った。