一三二 タケルの策
しかし、その警告も虚しく、ムサシはタケルの訴えに心惹かれていた。
公開処刑を回避する方法がまったく思いつかなかったムサシにとって、それは魅力的なことだった。
ムサシはタケルの発言に魅力を感じながらも、顎を右手でつまむようにして擦りながら考え、
「タケルの言っていることはその通りだと思うが、兎人が爬神様に勝てるとは思えない」
と、率直な意見を述べた。
もう何百年、何千年と続いている爬神族が支配するこの世界は、誰にとっても揺るぎないものだった。
もちろんタケルはその意見に納得しない。
「なぜでしょうか」
タケルはムサシにその理由を問う。
タケルのその真剣な眼差しにムサシは驚いた。
タケルは何を考えているのだ・・・
「お前は兎人が爬神様を滅ぼすことができると本気で思っているのか」
ムサシはその表情を険しくさせ、そう問い返す。
みなの目がタケルに集まる。
だが、タケルが動じることはない。
「はい」
タケルは頷き、
「その可能性はあると考えています」
と胸を張って答えた。
タケルのその自信に満ちた態度にムサシは眉をひそめ、
「根拠はあるのか」
そう言ってタケルを厳しく睨んだ。
いい加減なことを言ったら許さない。
そんな眼差しだった。
それでも、タケルが動じることはない。
「あります」
タケルはきっぱりとそう答え、ムサシを見つめ返した。
ムサシはそのタケルの眼差しにそれなりの覚悟というものを感じ、その表情を緩める。
「ほう」
ムサシが興味を示すと、タケルは神妙な面持ちでその根拠について語った。
「私が根拠としているのは、七年前に起こったラドリアの惨劇です。たった二人の霊兎で爬神様および蛮兵を数十名も斬り殺したと言われています。それが霊兎族の真の実力です。その霊兎族が戦う覚悟を決めたのです。霊兎族がその能力を発揮すれば、爬神様に勝てないことはないと思います」
タケルは〝勝てる〟と断言せずに、あえて〝勝てないことはない〟という弱い言葉を使った。霊兎族の力を過信しているように受け取られたら、その瞬間、ムサシやトノジがタケルの言葉に耳を傾けなくなる可能性があるからだ。
「なるほど」
ムサシはそう相槌を打って思案する。
そこにタケルは畳み掛けた。
「ラドリアの惨劇の二人の霊兎にはそれぞれ子供がいました。そしてその二人の子供こそ、私が情報を得た霊兎であり、私の友人なのです」
タケルがそう告げると、
「まさか・・・」
ムサシは驚きの表情を浮かべた。
ラドリアの惨劇の二人は狂人だと言われているが、反旗を翻す霊兎たちにとって反抗の象徴となり得る存在だ。そしてその二人の霊兎に子供がいて、その子供たちが兎人を導くというのなら、兎人は心を一つにして戦うことができる。そうなれば、そこに勝機が見えてくる。
ムサシはそう思った。
「ううむ」
トノジも思わず唸ってしまう。
アジはそんなトノジの表情を横目に見て、ラドリアの惨劇の二人の子供であるタヌとラウルを、〝友〟と呼べる自分が誇らしく思えるのだった。
「狂人の子供たちですぞ!」
そう叫んだのはミノル・タヌカだった。
タケルはミノル・タヌカを一瞥し、冷静に反論する。
「ラドリアの惨劇の二人の霊兎、ナイとハウルは、爬神様に反旗を翻す霊兎たちにとって、狂人どころか英雄ではないでしょうか。もし、護衛隊の隊士たちが二人のことを狂人だと思っていたら、その子供たちと共に立ち上がることはないでしょう。彼らにとってナイとハウルは反旗のシンボルであり、その子供たちに導かれるようにして決起するのです。その思いが結集した力は想像以上に強いと思われます。霊兎族が一丸となって戦えば、爬神様に勝利することも不可能ではありません」
タケルが堂々と意見を述べると、
「まぁ、そうだな」
ムサシは自分と同じように物を見ているタケルに感心し、納得して頷いた。
タケルは〝今だ〟と思った。
「もし霊兎族に勝つ可能性があるのなら、我々もそれを黙って見ているわけにはいかないと思います」
タケルはそう訴え、賢烏族の取るべき道を暗に示すのだった。
「タケル様、それは兎人と一緒になって戦うということですか。それはいけません!」
またしても食いついて来たのはミノル・タヌカだった。
目を見開き感情を高ぶらせてタケルを睨みつける。
ムサシはひとつ深呼吸をしてから、
「しかし兎人が勝つ可能性がゼロではないにしても、限りなくゼロに近いことは間違いないだろう」
ムサシは自分の思いとは別に、元老としての冷静な見解を口にした。
兎人が爬神様に刃向うのを眺めるのと、そこに巻き込まれるのとでは話が違う。軽はずみな判断はできない。
それがムサシの考えだった。
そのとき、
「兎人に賭けるのは愚かなことです」
トノジは眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔でタケルの目論見を否定した。
この世界の秩序を守るのがジベイ家の仕事だと信じて疑わないトノジだ。霊兎と一緒になってこの世界の秩序を破壊することは、彼にとって許されることではなかった。
タケルを厳しく睨むトノジの横顔を見て、アジは落胆していた。
この人はただ秩序を守ることだけしか考えていない、過去に縛られた人間だ・・・
アジはトノジに失望し、寂しげな表情で俯いた。
タケルはそんなアジに気づいて憐れみの表情を浮かべ、それから視線をトノジに移した。
「それはわかっています。私もただ霊兎族に賭ける事は愚かな行為だと思います。しかし必ず勝てる戦いがあるなら、戦うべきだと思うのです」
タケルは自信に満ちた眼差しでトノジに言い返した。
「必ず勝てる戦い?」
トノジが怪訝な表情を浮かべると、タケルは出席者一同に対し自らの考えを伝えた。
「我々が霊兎族と一緒になって蜂起するなら、それは危険な賭けになってしまいます。なので、我々が行動を起こす場合は、霊兎族と行動を共にするのではなく、我々独自の判断で動くべきでしょう。我々が行動を起こすかどうか、それは服従の儀式の結果を見て決めれば良いのです。ここで霊兎族が失敗すれば、霊兎族の都市で監視団襲撃が成功したとしても、すぐに鎮圧されてしまうでしょう。なので、服従の儀式において霊兎族が勝利した場合にのみ、我々は動くべきだと考えます。そして、霊兎族がリザド・シ・リザドへ向けて進軍を始めたら、我々もリザド・シ・リザドへ向かう。その場合も共に行動するのではなく、南ガルウォへ向かう霊兎族に対し、我々は東ガルウォへ向かうのです」
タケルが自信に満ちた表情でその考えを披露すると、ムサシは興味深そうに頷いた。
「なるほど。それは面白いかも知れないな」
ムサシは慎重に物事を考えているタケルに、〝さすがは我が息子だ〟と胸の内で喜んだ。
そんなやりとりをミノル・タヌカは苦々しく聞き、キヨス・ミザワはついて行けずにポカンとしていた。
セジは不機嫌にタケルを睨みつけている。
タケルはムサシ様を丸め込もうとしている。あのタヌとかラウルとかいう奴と一緒になって戦うために・・・
セジは沸々とした怒りを抑えるかのように、口を真一文字に結んでタケルを睨んでいるのだった。
「それでも兎人が爬神様を滅ぼすことができるとは思えません。服従の儀式で勝利したとしても、それでリザド・シ・リザドが陥落させられると思うのなら、それは浅はかな考えです。リザド・シ・リザドにはドラゴンがいるということを忘れてはなりません」
トノジは厳しくタケルの考えの甘さを指摘した。
タケルはトノジの指摘に尤もだという風に頷いてから、
「私もそれはわかっています。なので、我々はあくまでもリザド・シ・リザドへ向かうだけで、状況に応じて態度を決めれば良いのです」
そう穏やかに反論した。
「ほお」
ムサシは〝なるほど〟と思った。
「どういうことでしょうか」
タケルの言っている意味が理解できないトノジは首を傾げる。
「我々がその態度を決めるのは、戦闘に参加するギリギリのタイミングで構わないと思っています。我々はあくまでも、爬神様に反旗を翻した霊兎族を討伐する、という名目で東ガルウォへ向かいます。向かっている間も当然のことながら、霊兎族と爬神様の状況は偵察などを使って把握し、判断の材料とします。我々は東ガルウォ経由でリザド・シ・リザド、もしくは南ガルウォへ向かうこととし、実際に戦闘に参加するその瞬間まで、どちらにつくか決めず、霊兎族がドラゴンを倒し、爬神様を滅ぼすことができると確信した場合にのみ、爬神様に対し攻撃を行うこととします」
タケルは力強くそう訴え、
「確信できなかったら?」
トノジが不機嫌に返すと、
「そのときは、霊兎族を攻めます」
と断言した。
タケルのその言葉でトノジはタケルの考えを理解し、
「おお・・」
と、驚きの声を漏らした。
これにはトノジの左隣に座るセジも驚いた。
タケルはそのセジの視線に気づいて目を合わせると、口元に笑みを浮かべ意味深な眼差しで頷いた。
タケルはあいつらに乗せられていたわけじゃなかったのか・・・
セジはタケルの深謀遠慮に感服した。
タケルは言葉を続けた。
「これは霊兎族が滅びるか、爬神様が滅びるかの戦いなのです。霊兎族が勝てば、我々は自由を得ることができます。当然、公開処刑はありません。爬神様が勝てば、我々は爬神様側について霊兎族を攻撃した功績を訴えることができます。その忠誠心を訴えることができます。そうなれば、爬神様が賢烏族の国々で公開処刑を行う意味も必要もなくなると思うのですが、いかがでしょうか。我々賢烏族にとってこの戦いに参戦することは、どちらが勝とうとも、公開処刑を回避できるという大きな意味があるのです」
タケルはそう訴えて話を締め括った。
そのタケルの考えに反論する者はいなかった。
ミノル・タヌカは不満そうにしていたが、霊兎族が爬神様に勝てるはずがないと信じきっているので、特に反論の必要はないと考え、何も言わなかった。
パチ、パチ、パチ・・・
穏やかな拍手の音が聞こえ、
「タケル、よくぞそこまで考えたな。どちらに転んでも公開処刑を回避できるというのは素晴らしいことだ。祈りに頼らずに国を守ること。これこそまさに我々が為すべきことなのだ」
ムサシは笑顔でタケルの策を高く評価した。
「そういうことなら反対する理由はない」
あのトノジもタケルの策を認めざるを得なかった。
タケルの策を解釈すれば、結果的にサムイコクの治安と秩序が守られることになる、トノジはそう考えたのだ。やはりトノジが重視したのは、どちらに転んでもサムイコクでの公開処刑が回避できるということだった。それが治安部隊の指揮官として、トノジが何よりも優先して考えなければならないことだったからだ。
少なくとも今の状況より悪くなることはない・・・
トノジはタケルの策に賭けてみようと思った。
「いかがでしょうか」
タケルがそう投げかけると、ミノル・タヌカ以外の者は賛同して頷いた。
「ありがとうございます」
タケルは堂々とした態度で感謝の言葉を述べ、そして深く頭を下げた。
そんなタケルをムサシは頼もしく思った。
「すぐにセントラルへ行って元老院を説得しよう。そして、ガルスコク、キノコク、カサコク、ミナカイコクとも連携して話を進めることにする」
ムサシは今後の方針を示し、
「トノジ、何か言いたいことはないか」
トノジに意見を求めた。
「ありません」
トノジはそう答え、賛意を示す目で頷くのだった。
タケルは最後に、
「一つお願いがあります」
そう言ってムサシを真っ直ぐに見つめた。
「なんだ」
ムサシが目を向けると、
「リザド・シ・リザドへ向かう兵は、私に率いさせてください」
タケルは必死の形相で懇願し頭を下げた。
ムサシはタケルが懇願せずとも、タケル以外に適任者はいないと思っていたが、タケルのその覚悟を聞いてみたいと思った。
「うむ。それには何か理由があるのだな」
ムサシは穏やかに尋ねる。
「理由は二つあります。まず一つ目の理由は、私には霊兎族とのパイプがあるということです。そしてもう一つの理由は、万が一不測の事態が起こって、リザド・シ・リザドへ兵を進めたことが賢烏族を窮地に陥らせるようなことがあれば、そのときは、私一人を反乱者として処分して欲しいからです。私が率いる兵はあくまで私に騙されていたとすれば、他国に迷惑がかかることもないでしょう」
タケルは真剣な眼差しで、すべての責任を自分一人で背負う覚悟を伝えた。
タケルのその覚悟にムサシは胸を打たれた。
そして胸を打たれていたのはムサシだけではなかった。あのトノジでさえもその覚悟に強い感銘を受け、言葉なくタケルを見つめるのだった。
ムサシは納得して頷いた。
「それだけの覚悟があるのなら、私から言うことは何もない。遠征軍はお前に任せよう」
ムサシは信頼の眼差しでタケルを見て微笑み、
「ありがとうございます」
タケルは緊張の面持ちで頭を下げるのだった。
そして、
「私が補佐いたします」
アジがそう発言すると、
「うん。頼むぞ、アジ」
タケルは嬉しそうに微笑んだ。