一二五 着々と
フィア山の中腹にある神殿の祈祷室で、三人の爬神官が祈りを捧げている。
ムオーーーーン、オーーーーム、オーーーードゥ・・・
・・・
祭壇の前に立ち、目を閉じ祈りを捧げるミザイ・ゴ・ミザイ。
祭壇の下、右にステラ・ゴ・ステラ、左にラギラ・ゴ・ラギラがいて同じく祈りを捧げている。
「失礼します」
一礼して薄緑色の肌をした爬神官が祈祷室に入って来た。
ミザイ・ゴ・ミザイは祈りをやめ、静かに目を開ける。
ステラ・ゴ・ステラ、ラギラ・ゴ・ラギラも祈りを止め爬神官に振り返った。
「ゴリキ・ド・ゴリキ様をお連れしました」
爬神官がそう告げると、
「通せ」
ミザイ・ゴ・ミザイは無表情に命じた。
ゴリキ・ド・ゴリキはミザイ・ゴ・ミザイの前に立つと、一礼してから片膝をついて俯き、ミザイ・ゴ・ミザイの言葉を待った。
ミザイ・ゴ・ミザイは場の空気が鎮まるのを待ってから口を開いた。
「準備はどうだ」
ミザイ・ゴ・ミザイは鋭い目つきで尋ねる。
ゴリキ・ド・ゴリキは顔を上げることなく、
「順調に進められています」
神妙な面持ちでそう答えた。
ゴリキ・ド・ゴリキから漂う自信。
「そうか」
ミザイ・ゴ・ミザイは頷き、
「服従の儀式には、ドラゴンを遣わそう」
迷いのない鋭い眼差しと、威厳のある声でそう告げた。
ゴリキ・ド・ゴリキは驚き、壇上のミザイ・ゴ・ミザイを見上げる。
「なぜに、ドラゴンを」
ゴリキ・ド・ゴリキは思わずそう聞き返していた。
信じられないのも無理はない。
ゴリキ・ド・ゴリキが知る限り、ドラゴンがフィア山周辺を離れたことは一度もないからだ。
「我々爬神族への畏怖の念。それを霊兎族へ抱かせるためである。服従の儀式はそれができるまたとない機会だ」
コンクリは重く地を這う低い声で、ドラゴンを遣わす意図をそう説明した。
ゴリキ・ド・ゴリキは自分の力だけで霊兎族に恐怖心を植え付け、爬神族に対する畏怖の念を抱かせることができると信じていたので、コンクリのその言葉はゴリキ・ド・ゴリキにとって、そのプライドを傷つけるものだった。
「それでしたら、我々爬神軍の手によってラドリアを壊滅させることで十分かと。わざわざドラゴンをラドリアへ遣わす必要はないと考えます」
ゴリキ・ド・ゴリキは恐る恐る自らの考えを伝えた。
ミザイ・ゴ・ミザイは「たしかに」とその意見を認めたうえで、
「ラドリアを壊滅させることによって恐怖心が植え付けられることは間違いない。しかし、それだけでは足りないのだ。兎人がドラゴンを目の当たりにしたら、我が爬神族がなぜ神民であるのか、そのことを改めて認識することだろう。我々に逆らうことは神に逆らうことだと思い知るはずだ。そうすることで、ラドリア壊滅は、神の意志だということを示すことができるのだ」
そう言ってドラゴンの必要性を説明した。
「なるほど、そういうことでしたか」
ゴリキ・ド・ゴリキはその説明に納得し頭を下げた。
ミザイ・ゴ・ミザイは言葉を続ける。
「そして、服従の儀式において我々に必要なのは、生贄の霊兎だけだ。服従の儀式の混乱の中で、その生贄が失われることがあってはならない。確実に生贄の霊兎を手に入れるためにも、ドラゴンを遣わす必要があるのだ。儀式の最中に生贄の霊兎を攫ってリザド・シ・リザドへ運ぶのが、もう一つのドラゴンの役割だ」
ミザイ・ゴ・ミザイがそう告げると、
「なるほど」
ゴリキ・ド・ゴリキは納得の相槌を打ち、
「よって、ドラゴンが生贄の霊兎を攫うまでは、決して動いてはならない」
ミザイ・ゴ・ミザイは厳しい口調でそう命じたのだった。
ゴリキ・ド・ゴリキは緊張した面持ちでザイ・ゴ・ミザイの目をしっかりと見、
「承知いたしました」
そう応えて頭を下げる。
「ドラゴンが生贄を攫ったら、後はお前の好きにするがいい」
ミザイ・ゴ・ミザイはそう告げ、冷酷な笑みを浮かべた。
「有難き幸せに存じます」
ゴリキ・ド・ゴリキはミザイ・ゴ・ミザイの深謀遠慮にただ感服するだけだった。
「ドラゴンを目の当たりにすれば、あのコンクリですら恐れ慄くだろう」
ミザイ・ゴ・ミザイはコンクリを嘲るように笑い、祭壇の下、左右に立つステラ・ゴ・ステラ、ラギラ・ゴ・ラギラに視線を送った。
「それは見ものです。コンクリは我々爬神族の恐ろしさを目の当たりにしながら、ラドリアと共に滅びゆく運命なのですね」
ラギラ・ゴ・ラギラは卑しく笑い、
「あの慇懃無礼なコンクリには、いつか苦しみを味わわせたいと思っていました」
ステラ・ゴ・ステラは真顔でコンクリへの怒りを口にした。
「ゴリキ・ド・ゴリキよ」
ミザイ・ゴ・ミザイが改めて視線を向けると、
「はい」
ゴリキ・ド・ゴリキは顔を上げ、ミザイ・ゴ・ミザイを見つめた。
「コンクリをひざまずかせることができれば、何も言うことはない」
ミザイ・ゴ・ミザイは淡々とそう告げたが、その眼光は鋭く、コンクリへの憎しみで溢れているのだった。
ゴリキ・ド・ゴリキは気を引き締め、
「お任せ下さい」
と、自信に満ちた表情で応え、ミザイ・ゴ・ミザイはそれに頷くと、
「ステラ・ゴ・ステラよ」
祭壇の右に立つステラ・ゴ・ステラに声をかけた。
「はい」
ステラ・ゴ・ステラが緊張した面持ちで壇上のミザイ・ゴ・ミザイを見上げると、
「儀式へはお前が参加せよ」
ミザイ・ゴ・ミザイはそう言って服従の儀式への参加を命じた。
「かしこまりました」
ステラ・ゴ・ステラはそう応えて頭を下げる。
そして、
「下がって良い」
ミザイ・ゴ・ミザイはそう告げ、ゴリキ・ド・ゴリキを退室させたのだった。
その際、祈祷室を去るゴリキ・ド・ゴリキに向かって、
「未だ水晶に出る不吉な印は消えていない。油断なきように」
と、ミザイ・ゴ・ミザイは注意を与えた。
ゴリキ・ド・ゴリキは何も言わず、力強い眼差しで深く礼をしてそれに応え、祈祷室を後にしたのだった。
ゴリキ・ド・ゴリキは神殿を後にすると直ぐに爬神軍施設に向かい、最高爬武官室に四人の爬武官を集めた。
爬武官の名を、セザル・ド・セザル、ギラス・ド・ギラス、グラゴ・ド・グラゴ、ガギラ・ド・ガギラと言い、四人とも高位爬武官を示す黒色の肌をしている。
彼らはゴリキ・ド・ゴリキに次ぐ高位の爬武官だけあって、その屈強さ、残酷さ、そして冷徹さにおいて、並み居る爬武官たちの中でも抜きん出てた存在だった。
ここにいる高位爬武官は、ゴリキ・ド・ゴリキが直々に選んだ八人の精鋭の中の四人だった。
「先ほどミザイ・ゴ・ミザイ様から、服従の儀式の際、ラドリアへドラゴンを遣わすことが伝えられた」
ゴリキ・ド・ゴリキは淡々と告げる。
最高爬武官室は広い部屋だが、部屋の奥にドラゴンの彫像を祀った祭壇があり、その前にゴリキ・ド・ゴリキが座るための石製の簡素な肘掛け椅子がポツンと置かれているだけだった。肘掛け椅子に向かって右側の壁に大きな窓が一つあって、そこから十分な光が入るため室内は明るい。
その明かりに反射するゴリキ・ド・ゴリキの赤黒い肌は、それだけで黒肌の四人を緊張させるほどの威厳があった。
ドラゴンがラドリアへ遣わされるということを聞いて、四人の爬武官は驚きを隠せなかった。
「おお・・・」
セザル・ド・セザルは驚きの声を漏らし、
「ドラゴンを・・・」
グラゴ・ド・グラゴは宙を見つめ、
「そこまでするのか・・・」
ギラス・ド・ギラスはその顔を強張らせる。
そんな中、
「しかし、何のためでしょうか」
ガギラ・ド・ガギラは驚きつつも、冷静にその理由を尋ねた。
ガギラ・ド・ガギラはゴリキ・ド・ゴリキと同じような疑問を感じたのだろう。
ガキラ・ド・ガギラはラドリア壊滅にドラゴンが必要だとは思えなかった。
ゴリキ・ド・ゴリキは深く頷き、ミザイ・ゴ・ミザイに自分が納得させられたように、その理由を説明した。
「ドラゴンを使う目的は二つだ。一つは、今までドラゴンを見たことがない兎人たちにドラゴンの姿をみせることで、改めて我々爬神族が、神民であることを思い知らせることだ。そうすることによって、我々が行う虐殺も神の意志ということを示すことができる。そしてもう一つは、ドラゴンへ捧げられる生贄の霊兎を攫うことだ」
ゴリキ・ド・ゴリキがそう説明すると、四人は納得して頷いた。
「なるほど」
ガギラ・ド・ガギラが納得すると、
「ミザイ・ゴ・ミザイ様が最も重視しているのが生贄の霊兎だ」
ゴリキ・ド・ゴリキはそう言ってどこか不満そうな表情を浮かべた。
ゴリキ・ド・ゴリキはミザイ・ゴ・ミザイに対し、爬神軍の活躍にもっと期待して欲しかったからだが、四人の高位爬武官はそれに気づかない。
四人にとって興味があるのは、服従の儀式でどう兎人をいたぶるか、それだけだった。
「服従の儀式で霊兎をいたぶるのが楽しみです」
セザル・ド・セザルは目を輝かせる。
「本当に、好きなだけ霊兎を食べて構わないのでしょうか」
グラゴ・ド・グラゴがそう尋ねると、
「勿論だ」
ゴリキ・ド・ゴリキは即答した。
「それでは、その日は霊兎を食べ放題ということですね」
ギラス・ド・ギラスは舌舐めずりをし、
「神兵たちの士気も高まります」
ガギラ・ド・ガギラはゴリキ・ド・ゴリキの判断に感謝した。
神兵たちにとって霊兎は滅多に食べられない御馳走だった。霊兎は基本的にドラゴンの餌となるか、爬神官たちが食するものだからだ。だからこそ、公開処刑は神兵たちの士気を高めたのであり、公開処刑が中止された今、服従の儀式がそれに変わるものだった。
ゴリキ・ド・ゴリキは四人の発言に嫌らしい笑みを浮かべ頷いていたが、
「それでは、当日の行動だが・・・」
と、服従の儀式当日の作戦について話し始めると、真顔になり目も鋭くなった。
一瞬にして、その場が緊張した空気に包まれる。
「はい」
四人は背筋を伸ばし、ゴリキ・ド・ゴリキを真っ直ぐに見つめた。
ゴリキ・ド・ゴリキは長い息を吐いて場の空気を落ち着かせると、鋭い眼差しで一人ひとりの表情を確認するように見ながら、当日の行動について説明した。
四人の持ち場と割り当てられる兵数などの説明を終えると、最後に、
「そして、ここが重要なポイントだ。ドラゴンが生贄の霊兎を攫って飛び立つまでは、決して動いてはならない。ドラゴンが飛び去ったら、それを合図に虐殺を開始する。目に留まる霊兎はすべて殺して構わない」
ゴリキ・ド・ゴリキは鋭い眼差しでそう告げ、四人の爬武官は真顔の口元に微かな笑みを浮かべそれに応えるのだった。