一二四 アジとクミコ、そしてセジ
スラム街の近くにあるタケルたちの畑では、ラタスの収穫を迎えていた。
ラタスは葉が重なり合って玉のような形をした葉野菜で、スープの具材として人気があった。
「ふぅ」
タケルは収穫包丁を使ってラタスを十個連続で根元から切り、そこで一息ついた。
タケルの切り取ったラタスを、アジがカゴに入れていく。
「ふぅ」
アジも十個連続でラタスをカゴに入れると一息ついた。
ラタスを切り落とすにはコツがあり、腰に負担もかかって大変なのだが、ラタスをカゴに入れていくのも、中腰の姿勢でいちいちカゴを運びながらの作業になるので結構つらい。
隣の畑では、セジとサスケがコンビを組んでラタスを収穫していた。
「しかし、丁度よかったな」
タケルはそう言ってアジに笑顔をみせる。
「うん?なにが?」
アジは首を傾げる。
「このタイミングでラタスを収穫できることが」
タケルがそう答えると、
「ああ、そうだな。野菜売りでイスタルに入るのが一番だからな」
アジはそう言って納得した。
明日イスタルに渡り、タヌ、ラウル、ギルの三人を探し、ラドリアで行われる儀式についての情報を得ることになっている。
市場で怪しまれずに話すには野菜売りを装うのが一番だし、万が一、あの三人がムニム市場にいなかった場合、検問所に記載のあったテムス農園を訪ねるにしても、野菜を積んだ荷馬車で向かう方が怪しまれないような気がした。
「向こうであいつらに会うって考えると、ちょっと緊張するな」
タケルは少し恥ずかしそうに笑う。
「俺もだ」
アジもそう応えて笑顔をみせる。
「会えるといいな」
タケルがしみじみ言うと、
「ああ」
アジもしみじみ頷いた。
イスタル側であの三人に会うの初めてのことだから、タケルとアジはその要領がわからず若干戸惑っていた。サスケは〝行けばなんとかなる〟の精神で飄々としていて、何かあれば、サスケに丸投げするつもりだ。
「もし、その儀式とやらでラビッツが何か企んでるなら、俺としては、あいつらに協力できることがあれば協力したい」
タケルはその想いを口にする。
そのタケルの真剣な眼差しに、
「俺もだ」
アジも真剣な眼差しで同意する。
タケルは嬉しそうにアジに頷くと、空を見上げて澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。
それからニコッと笑い、
「よし、次行くぞ!」
そう気合いを入れると、ラタスをバサッ、バサッと切り落とす。
「おっし!」
アジも気合いを入れてラタスをカゴに収穫していく。
十個切り落とすと、そこで一休みして、またすぐ次に行く。
畑の最後の一列になったとき、タケルはふとアジに訊いてみた。
「アジ、トノジおじさんから何か聞いてないか?」
不意にそんなことを訊かれ、
「うん?何かって?」
アジは目をパチクリさせて聞き返すのだった。
タケルはアジのその表情を見て、〝何も聞いていないな〟とは思ったけれど、一応訊いてみる。
「縁談の話とか」
タケルはアジに変に勘ぐられないように、さり気なく軽い感じで〝縁談〟を口にした。
突然〝縁談〟と言われ、アジは目を丸くして驚いた。
「縁談?」
アジが驚くと、
ああ、やっぱり知らないんだ・・・
タケルはなんだかガッカリした気持ちになる。
「そう、縁談」
タケルは軽く答え、何も知らないアジに優しい眼差しを向けた。
そのタケルの眼差しに首を傾げながら、
「俺の?」
アジはそう言って自分の鼻を指差した。
「ああ」
タケルは当然といった風に頷く。
「そんな話があるのか」
アジはタケルを訝しみ、
「ない」
タケルが即答すると、
「なら、そんな話するなよ」
そう言って口を尖らせるのだった。
アジは知らないんだからしょうがない・・・
タケルは「ふぅーっ」を息を吐き、
「ごめん」
と素直に謝った。
そんなタケルに、
「まぁいい。でも、縁談なら俺よりお前が先だろ。俺は結婚する気なんてないよ」
アジはそう言い、結婚する意志がないことを伝えた。
そう言いながらアジの目に浮かぶのは、クミコの姿だった。
クミコの縁談が上手くまとまることを願いつつも、切ない想いが込み上げてくる。
アジは自分のクミコに対する想いに気づいてしまっていた。
アジはクミコ以外の女性を好きになれるとは思えなかった。
だから、誰とも結婚する気はなかった。
その胸の内を知らないタケルは、アジの言い分に驚き、そして困惑した。
「結婚する気がないって、本気か、それは」
タケルはアジの本心を確かめる。
「ああ」
アジは揺るぎない心で力強く頷いた。
タケルはアジのその力強い眼差しにため息をつく。
「それでトノジおじさんはお前に何も言わないのか・・・」
タケルがそう言って納得すると、
「なんだよ、それ」
訳のわからないアジは不満顔でそう言いながら、何やら嫌な予感がするのだった。
タケルはひとつ息を吐くと、アジを真っ直ぐに見、
「とにかく、結婚しないなんて言うなよ。お前はジベイ家の跡取りなんだから」
と、説得を試みる。
それは誰のためでもない、クミコのためだった。
ジベイ家の跡取り・・・
その言葉に、アジはトノジの自分を見つめる冷たい眼差しを思い浮かべ、暗い気持ちになる。
最近のトノジはアジに対し、どこか突き放すような態度を取っていて、アジと言葉を交わすときはいつも不機嫌で、厳しい目つきをしていた。
それに比べセジに対する態度はまったく違っていた。
トノジはちょくちょくセジを部屋へ呼び、何やら話しているようだし、会議へセジを参加させるようになったことからも、トノジは自分よりもセジに信頼を置いているようにしか見えなかった。
そんなトノジが自分に縁談を持ってくるとしたら、そこに何かの企みがあるような気がしてならない。
「それはわかってる。でも、跡取りならセジもいるし・・・」
アジはそう言って、タケルの言葉を受け付けなかった。
そんなアジに、
「アジ、お前が跡取りだ」
タケルは迷いなくそう断言した。
それでも、
「そりゃそうかも知れないけど、今は結婚なんて考えられないよ」
アジは頑なに結婚を拒絶した。
そこまでして結婚したくない理由は何なんだ・・・
タケルには理解できない。
アジもクミコのことが好きだとばかり思っていたのだが、アジはクミコのことを妹のようにしか思っていないのか・・・
タケルは困惑していた。
「お前がそんなこと言ったら、クミコが悲しむぞ」
タケルは思わずクミコの名前を口にしてしまう。
タケルはちょっとマズかったかな、と思いつつも、アジには早くクミコとの縁談に気づいてもらいたかったし、テドウ家とジベイ家のことだ、別に隠すことでもないと思っているので、今アジがそれに気づくなら、それはそれで好都合だと思った。
それにしても、トノジがなぜクミコとの縁談をアジに伝えていないのか、タケルにはそれが不思議だった。
「クミコは優しいからな」
アジがそう言って寂しげな笑みを浮かべると、タケルの右頬がぴくっと引きつった。
アジ、鈍いにも程があるぞ・・・
タケルはアジの鈍さに呆れ返る。
「まぁいい。どちらにしろ、今はそれどころではないからな。でも、約束してくれ。お前は結婚して、ちゃんとジベイ家を継ぐこと。そして俺を支えること。いいな」
タケルが真剣な表情でアジに約束を迫ると、
「俺は命を懸けてお前を支えるよ」
アジはそう応えて胸を張るのだった。
「頼むぞ」
タケルにはアジの言葉が嬉しかった。
「ああ」
アジは笑顔で頷いた。
いつものようにお昼になると、クミコとヘイタが昼食を抱えてやって来た。
一本松の下で、いつものように車座になって、食事をしながらお喋りを楽しむ。
座る位置も変わらない。タケルから時計回りにクミコ、アジ、サスケ、セジ、ヘイタの順に座っている。
「今日のパンは美味いな」
タケルはもぐもぐとパンを頬張ってクミコを褒めた。
「パン自体もすごく美味しいんだけど、このジャムがまた美味い」
アジもそう感想を言いながら、美味しそうに食べる。
そんなアジを見て、クミコは嬉しそうだ。
昼食のおかずはテドウ家の使用人が作ったものだけど、パンとジャムはクミコの手作りだった。
クミコは照れ笑いを浮かべ、
「材料が良かったのかも」
そう呟くように言ってアジを見る。
「そうなんだ」
アジがパンに塗られたジャムを眺めると、
「イスタル産のミコンとリモンを混ぜ合わせて作ったの」
クミコはそう説明してアジに微笑んだ。
「ウオチ産のリモンは使わないんだ」
アジが訊くと、
「ウオチ産のリモンはちょっと酸っぱすぎるかも。イスタル産のリモンはしっかり甘みがあるから、ミコンと合うのよね。ウオチ産のリモンはハチミツと混ぜて飲み物にする方が合ってると思う」
クミコはウオチ産のリモンを使わなかった理由をしっかりと説明した。
「ちゃんと相性とかも考えて作ってるんだ」
アジが感心すると、
「うん」
クミコはアジに褒められたような気がして恥ずかしそうに頷いた。
「気に入ってもらえて良かった・・・」
クミコはそう呟き、はにかむような笑みを浮かべる。
そんな二人のやりとりがタケルには微笑ましかった。
「アジに褒められてよかったな、クミコ」
タケルが声をかけると、
「うん」
クミコは素直に頷いた。
「明日はイスタルだ。ムニム市場でミコンとリモンを仕入れてくるよ」
タケルがそう言うと、
「お願いします」
クミコはタケルに向かって丁寧にお辞儀をしてから、チラッとアジを見る。
すると突然、
「お姉ちゃん、アジ兄ちゃんの顔ばっか見てる!」
ヘイタが声を上げ、ニコニコ笑ってクミコを指差した。
クミコは狼狽えた。
「そんなことないわ」
クミコは顔を赤らめる。
「お姉ちゃん、顔真っ赤だよ」
ヘイタは恥ずかしそうにするクミコをそう言ってからかった。
「ヘイタったら」
クミコは何も言い返せず俯いてしまう。
助け舟を出したのはアジだった。
「ヘイタ、そんなこと言ったら、アジ兄ちゃんがお姉ちゃんを攫っていくぞ」
アジが冗談交じりにそう言うと、クミコの顔はもっと赤くなった。
「アジ兄ちゃんならいいよ」
ヘイタはあっさりと言う。
「ダメ」
そう言われるとばかり思っていたアジは、
「いいのか?」
思わず聞き返してしまう。
「いいよ」
ヘイタはもう一度、力強くそう言って深く頷いてみせた。
狼狽えたのはアジだった。
「あ、ありがとう」
アジはそう言って顔を赤くする。
アジとクミコは並んで顔を赤くした。
クミコは横目にアジをチラッと見て、嬉しそうに微笑む。
アジは自分の本心が見透かされてしまったのではないか、そう思うと恥ずかしくて居たたまれなかった。
タケルはその様子を見ていて、やっぱりこの二人はお似合いだと思った。
「どういたしまして」
ヘイタが得意げにアジに応えると、
「俺は?」
セジが冗談めかして訊いてきた。
ヘイタはセジを見て真顔で首を横に振る。
「アジ兄ちゃんがいるからダメ」
ヘイタはきっぱりとそう言う。
その言葉はセジの心にぐさっと刺さったけれど、それを顔には出さず、
「アジ兄ちゃんがいなかったら?」
セジは改めてヘイタに訊いてみる。
ヘイタは少し考えてから、
「そのときは、いいよ」
あっさりとそう答えたのだった。
それを聞いてセジの顔がパッと明るくなる。
「ありがとう」
セジはヘイタの返事に満足して笑顔になる。
「セジ、やめてよ」
クミコが頬を赤らめセジに抗議すると、
「ごめん、冗談だからさ」
セジは申し訳なさそうに頭を掻きながら謝った。
そのとき、誰にも聞こえないような小さな声で、
「クミコはアジと結ばれるべきだ」
サスケがポツリと呟いた。
サスケのその言葉を、セジの耳はしっかりと捉えていた。
「何か言った?」
セジがそう言ってサスケを見ると、
「なにも」
サスケはそう答え、真顔でセジの目の奥を覗き見るようにし、それから視線を逸らした。
セジはサスケのその眼差しに、自分の心の中が見透かされているような気がして、ゾワゾワッと背筋が寒くなった。