一二二 ラドリアに戻った二人
シールとマーヤの二人はラドリアへ戻ると、すぐにダレロの執務室へ向かった。
「ダレロ様、今、戻りました」
シールが挨拶をすると、ミコンの入った袋をお腹に抱えたマーヤは、すぐにそれをダレロの机の上に置き、シールは二つ持った巾着袋の一つをその横に置いた。その巾着袋には、お土産のハチミツとダレロから渡されたお金の残りが入っていた。
「ありがとう。ちゃんと憶えていてくれたんだな」
ダレロはそう言って微笑んだが、お土産よりも二人の無事な姿が何より嬉しかった。
「もちろんです!」
マーヤは得意げに応える。
「それで、イスタルはどうだった?」
ダレロは早速イスタルでの出来事について尋ねた。
真っ先に話したいのは、もちろんタヌとラウルを見たことだけど、シールは気持ちを落ち着けて視察の件から話し始めた。
「何から話せば良いのかわからないのですが、イスタルはラドリアよりも長閑で穏やかな感じがしました。精鋭養成所の教官たちものんびりしているように感じましたし、ラーミ様にはとても良くしていただきました」
シールがラーミの名を出すと、
「そうか、それは良かった」
ダレロは嬉しそうに微笑んだ。
「ラーミ様がダレロ様のことを馴れ馴れしく話すので最初は驚いたんですけど、幼馴染みと聞いて納得しました。とても仲が良かったんですね」
シールがそう言って笑い、
「あれはお転婆だったなぁ」
ダレロが懐かしそうな顔をすると、
「今のラーミ様もそんな感じでした」
マーヤが嬉しそうに今のラーミの印象を伝える。
シールは報告を続けた。
「私とマーヤが教えた武術の授業ですが、イスタルの生徒は才能は十分あるのですが、やはりラドリアの生徒と比べると、あまり必死な感じはしませんでした。私たちは普通に教えているつもりだったのですが、武術の教官たちは私たちの教え方を見てアク様を思い出したと言って笑っていました。私たちは厳しくしたつもりはなかったんですけど・・・でも、アク様と一緒にされたのはあまり気持ちが良いものではありませんでした」
シールは微かな苦笑いを浮かべてマーヤを見、マーヤは「そうそう」と相槌を打つ。
「まぁ、ラドリアにはコンクリ様がいるからな。何事においても他の都市より厳しくなるのは仕方がないことだ。こっちでは当たり前の事が、イスタルでは厳しく感じるのは当然のことだろうし、コンクリ様の存在はそれだけ大きいということだ。だからこそ、どの都市でも護衛隊の隊長、副隊長はラドリア出身者が務めることになる」
ダレロはそう言って顎を撫でた。
「なるほど」
シールはそう相槌を打って納得し、
「あと、イスタルは果物が美味しかったです!」
マーヤはミコンの入った袋を指差して悪戯っぽく笑う。
「私がお土産を頼んだ理由がわかっただろう」
ダレロが嬉しそうにマーヤを見ると、
「はい!」
マーヤは元気良く返事を返すのだった。
シールは続けて本題に入る。
「それからラビッツについてですが、ラビッツは親衛隊がイスタルに到着してからというもの、パタリと姿をみせなくなったようで、私たちが滞在している間、まったく姿をみせませんでした」
シールが淡々とそこまで報告すると、
「私たちが帰る前日までは」
と、マーヤが付け加えた。
「うん?」
ダレロは怪訝な表情を浮かべて二人を見る。
「はい。ラビッツをおびき出すために、蛮兵たちが毎日教会前広場で囚人たちを処刑していたのですが、その処刑の最中にラビッツ・・・一人の戦士が現れ、そして、殺害されました」
シールはあえて〝戦士〟という言葉を使った。
それがラビッツに対するシールなりの敬意の表し方だった。
ダレロはラビッツのメンバーが殺害されたことに驚いた。
「たしか、ラビッツは生け捕りにするはずだが・・・」
ダレロは険しい表情で宙を睨み、シールは報告を続ける。
「詳細は見ていないのでわかりませんが、アク様に首を落とされたようです」
シールがそう告げると、〝アクならやりかねない〟とダレロは思った。
「うーむ」
ダレロは唸ってしまう。
シールはそこでいよいよ、タヌとラウルのことをダレロに伝えようと思った。
すると、急に胸がドキドキして来て、ぎこちなくなる。
イスタルの街中に消えていくラウルの後ろ姿を思い出してしまって、色んな感情が溢れてくるのだった。
「それで、あの、私たち、その広場で、ラウルとタヌを見たんです」
シールはたどたどしく、耳を赤くしながらその事実を伝えた。
そんなシールとは対照的に、
「そうなんです!」
マーヤは胸踊る気持ちで声を上げた。
「おっ」
ダレロは目を見開いて驚き、机に肘をついて身を乗り出した。
シールは気持ちを落ち着けるように深呼吸をし、その時の様子を説明した。
「昨日私たちが広場に駆けつけたちょうどその時に、ラビッツが親衛隊に囲まれていたんです。そしてそこに監視団の蛮兵たちが向かっていて・・・それで私たち二人もその場所に近づいて行ったのですが、私たちが近くに行く頃には親衛隊じゃなくて、監視団がラビッツを囲んでいて、すぐに戦闘が始まったんです。そしたらそこにラウルとタヌがいて、私たちの目の前で蛮兵たちをあっという間に倒したんです」
シールは一つひとつの言葉をちゃんと噛みしめるようにして、落ち着いて伝えようとするが、そのときの光景を思い出し、その言葉に熱がこもるのだった。
「ほんと、凄かったんです。私たちもいつの間にか立ち止まって唖然としていたくらいですから」
マーヤも興奮を隠さない。
「ほぉ。お前たちが言うならよっぽどだな。それは私も見てみたかった」
ダレロが興味津々に応えると、
「ダレロ様にも見て欲しかったぁ」
マーヤは残念そうな顔をする。
ダレロが気になったのはアクの存在だった。
「しかし、その場にアクはいなかったのか?」
アクがその場にいたなら、間違いなくタヌ、ラウルと剣を交えたはずだ。
二人がどれだけ腕を磨いたかわからないが、アクに太刀打ちできるとは思えないのだが・・・
ダレロがそう懸念するほど、アクの実力は飛び抜けている。
「いました」
シールは平然と答えた。
「ほんとうか」
ダレロは目を大きくしてシールを見る。
ダレロにはシールの冷静な表情がなんだか腑に落ちない。
マーヤを見ると、マーヤはニヤニヤしている。
ダレロは首を傾げて二人に尋ねた。
「アクがいたってことは、二人はアクと剣を交えたってことだな」
ダレロのその困惑した表情に、シールは笑顔で答える。
「はい。でも、二人じゃなくて、ラウル一人です。ラウルはアク様と一対一で対決したんです」
シールが目を輝かせてそう告げると、ラウルが一対一でアクと対決したことにダレロは意表を突かれた気持ちになる。
「ほぉ。ラウル一人で?本当かそれは?」
ダレロがどこか半信半疑の面持ちで尋ねると、
「はい」
シールはきっぱりと答え頷いた。
シールのその力のこもった返事に、ダレロは興味をそそられた。
「で、結果は?」
ダレロは率直に尋ねる。
シールの態度を見れば、ラウルがひどい目にあったわけではなさそうだが・・・
ダレロはそんなことを思っていた。
そんなダレロに、
「アク様は、ラウルに殴られて気絶してしまいました」
シールは背筋を伸ばしてそう答え、嬉しそうに笑うのだった。
「えっ、あのアクが?」
ダレロは驚いて思わず聞き返していた。
ダレロの驚いた顔を見て、シールはなぜだかくすぐったい気持ちになる。
「はい」
シールは笑顔で即答する。
「しかも殴られて?」
ダレロがそのことを信じられず重ねて訊いても、
「はい」
シールはそう嬉しそうに答えるだけだった。
あのアクがラウルに殴られて気絶した・・・
ダレロは思わず吹き出して笑ってしまう。
「ぷっ、くくくっ・・・」
それから、
「アクを気絶させるとは、なかなかのものだ」
右手で顎を撫でながらそう言って感心するのだった。
「本当に凄かったんです」
そのときのラウルの姿を思い浮かべ、シールはその言葉に気持ちを込め、
「あのアクがなぁ」
感慨深く相槌を打つダレロを見て、
「アク様はラウルに全然歯が立ちませんでした」
まるで我がことのように誇らしい気持ちになる。
シールが胸を張ると、
「タヌとラウルは無敵です!」
マーヤもそう言って胸を張った。
その二人の誇らしげな顔を見て、
「そうか、そうか」
ダレロは愉快な気持ちになる。
二人に頷きながら、ダレロはふと親衛隊がどうしていたのか気になった。
「それと、当然その場には親衛隊もいたんだよな」
ダレロが親衛隊について尋ねると、
「はい。親衛隊もいました」
シールはその場の状況を思い出すような感じで頷いた。
「二人は親衛隊と戦ったのか?」
ダレロはそういう訊き方をしたが、知りたかったのは、親衛隊がタヌ、ラウルの二人に斬りかかったかどうかだった。
「いえ、親衛隊はタヌとラウルの剣さばきに圧倒されて、身動きひとつ取れませんでした」
シールがそう答えると、ダレロはそのとき親衛隊の取った態度に納得し、
「なるほど」
と、満足した様子で頷いた。
それから、
「明日、アクがどんな顔で帰ってくるか見ものだ」
そう言って、二人に悪戯っぽい笑顔をみせるのだった。
「はい」
シールは笑顔で頷き、
「本当にタヌとラウルは格好良かったんです」
マーヤは誇らしげに胸を張る。
「あ、そういえば・・・」
シールは何かを思い出し声を漏らすと、
「ところでダレロ様、服従の儀式が行われるそうですね」
と尋ねた。
それが、シールがもっとも知りたかったことだ。
服従の儀式という言葉に、
「聞いたのか?」
ダレロの表情が真顔になる。
「詳しいことは知らないのですが、ダレロ様から聞くようにと、ラーミ様に言われたんです」
シールが事情を説明すると、
「そっか」
ダレロは納得して頷いた。
「教えていただけませんか」
シールは真剣な眼差しでダレロに説明を求め、ダレロは頷きそれに応える。
「服従の儀式とは、我々霊兎族にとって屈辱の儀式だ」
ダレロがそう言って説明を始め、
「自らの手で背信者である霊兎を捌き、その肉を爬神に捧げ、爬神がその肉を食すことで我々の犯した罪が許される、というのが服従の儀式だ」
そう締めくくると、
「まぁ」
シールは唖然とし、
「ひどい」
マーヤは苦々しい顔をした。
「ここラドリアでその服従の儀式が行われる。今、すべての都市で、服従の儀式の準備が急いで進められているところだ」
ダレロは現状を伝え、それから二人を睨むように見、
「お前たちにはすべて正直に伝えるが、服従の儀式において、我々は決起することに決めた」
と、重々しく告げた。
「決起・・・」
二人はその言葉をすぐには理解できなかった。
「ラビッツからもちかけられたのだ」
ダレロはそう言って微かな笑みを口元に浮かべ、
「ラビッツから?」
マーヤはそこに食いついた。
「そうだ。ラビッツは服従の儀式こそ、我々が爬神族に対し反旗を翻すにもっとも相応しい舞台だと、そう言ってきたらしい」
ダレロがそう言うと、
—反旗を翻す。
その言葉に二人は護衛隊がしようとしていることをはっきりと理解し、ごくりと息を呑んだ。
「ミカルもそれを待っていた。だから、すぐに話は決まった。ミカルはあの二人がラビッツとして活動を始めたことを知ると、いつでも立ち上がれるように準備を進めていたんだ」
ダレロはそこまで言って一息つく。
「そうなんですね」
シールは頭の整理がつかないままそんな相槌を打ち、
「ミカル様は味方だったんだ・・・」
マーヤはしみじみ呟く。
「そうだ。イスタルに二人を逃がしたのもミカルだ。そして、イスタルにいる二人をずっと見守っていたんだ」
そのことを聞いて、シールとマーヤは驚いた。
二人は守られてたんだ・・・
そう思ったら、胸に込み上げてくるものがある。
「服従の儀式において護衛隊が決起するのと同時に、その日、すべての都市において護衛隊は蜂起し、監視団を襲撃する。それぞれの都市を掌握した後、護衛隊はリザド・シ・リザドへ向かうことになる」
ダレロは淡々とその計画を告げた。
そのあまりの衝撃的な内容に、
「・・・」
シールは言葉なくその顔を強張らせ、
「ほぇー」
マーヤは変な声を出した。
「これは霊兎族の存亡をかけた戦いだ」
ダレロは今までみせたことのない厳しい表情を二人にみせた。
ダレロのその覚悟を決めた眼差し。
爬神族を滅ぼし、この世界を終わらせるという決意。
現実とは思えない現実を突きつけられ、二人はどう反応していいかわからなかった。
真剣な表情でシールが口を開く。
「勝ち目はあるのでしょうか」
シールのその深刻な眼差しに、ダレロはため息をつき、ふと笑みを浮かべる。
「さぁな。でも、立ち上がらなければ何も変わらない。神を恐れ、ドラゴンを恐れ、真実を見ることを恐れ、爬神に都合の良いように刷り込まれたこの思い込みの世界で、気づいているのに気づかない振りをして生きながらえたって、そんなの本当に生きているって言えるのだろうか。ドラゴンを倒せるかなんて、やってみなければわからない。でも、倒せなくたっていいじゃないか。そこに立ち向かっていく志こそ、命の輝きだ。命を輝かせること。生きるってそういう事じゃないだろうか」
いつの間にかダレロの語る言葉に熱がこもり、その思いが二人の胸を打っていた。
「私もそう思います」
シールはダレロを真っ直ぐに見つめる。
「私も」
マーヤもそう言ってダレロを強く見つめた。
そんな二人の熱い視線を受け、
「私は、タヌとラウル、二人に賭けてみたいんだ」
ダレロはそうしみじみと言い、自分の青さを笑った。
その思いは私たちも同じだ・・・
「私たちも一緒に戦います!」
シールとマーヤは同時に声を上げていた。
それから二人は顔を見合わせ、互いにその意志を確かめるように頷き合った。
ダレロは二人に理解を示すように頷き、
「お前たちには爬神族を滅ぼした後の世界をお願いしたいんだ」
そう言って、二人にその後の世界を託す。
だが、
「嫌です!」
二人はまたもや同時に声を上げた。
「私たちもあの二人と一緒に戦いたいんです!」
シールはそう訴え、
「一緒に命を輝かせたいんです!」
マーヤは声を震わせた。
二人の想い。そしてその覚悟。
ダレロは二人に呆れたような笑みを浮かべ、
「お前たちの命だ。どう生きるかは、自分で決めればいい」
そう言って肩をすくめる。
「ありがとうございます」
シールは神妙な面持ちで感謝の言葉を述べ、
「ダレロ様ならそう言ってくれると思ってました!」
マーヤは無邪気に喜んだ。