一一八 ヒーナの死
ヒーナの亡骸はその日の夜、ドゴレの部下によってバケ屋敷に運ばれた。
バケじぃは無言でヒーナを迎え、すぐさま裏庭の隅に埋めるよう命じた。
バケじぃはヒーナの亡骸を見ようともせず、何も言わずに広間の床に座って腕を組み、目を閉じじっとしているのだった。
そんなバケじぃに、
「ヒーナに何か言葉をかけてやれよ」
ギルが声をかける。
そのギルの声に、バケじぃのこめかみが微かに動く。
「・・・」
バケじぃは目を開け、眉間に皺を寄せた厳しい表情でギルを一瞥すると、すぐにまた目を閉じた。
その鋭い眼光に、バケじぃの想いがつまっているような気がした。
バケじぃの瞳の奥に宿る行き場のない怒り。
バケじぃはじっとして動かない。
「バケじぃ・・・」
ギルはそう呟いて、それ以上何も言えなくなる。
ヒーナの埋葬が終わり、一段落した頃、バケじぃはヒーナの訃報を聞いて集まったラビッツの仲間たちを広間に集めた。
広間に入りきれない霊兎は、広間の窓を開放し、裏庭からバケじぃの話を聞いた。
バケじぃは集まったラビッツの仲間一人ひとりに、ゆっくりと話し始めた。
「ヒーナは一時の感情に流され、無駄に命を捨てた。あれほど私情に流されて大義を見失うことがないようにと、厳しく言っていたにも拘わらずじゃ。そして結果的に、ギル、タヌ、ラウルが白昼堂々、大衆の面前で蛮兵を斬り殺すことになってしまった。これは我々ラビッツが、背信者であると喧伝するためのいい口実を、監視団に与えたようなものじゃ。そしてこのことは、リザド・シ・リザドへ報告されてもおかしくないことなのじゃ。我々が背信の罪を堂々と犯したことは、リザド・シ・リザドとって許されざることであり、もし今回の出来事によって、霊兎族に服従の意志がないとみなされ、儀式が中止されるようなことになれば、今までの計画は台無しになり、先が見えなくなる。ヒーナが私情に流された罪はそれぐらい重いものじゃ」
バケじぃはヒーナの死を冷たく突き放すかのような、そんな厳しい言葉を集まるラビッツの面々に浴びせたのだった。
そこにいる霊兎たちは神妙な面持ちでバケじぃの言葉を聞いていた。
しかし、まだ状況を理解できていない者が多かったし、ヒーナが親衛隊に殺されたことも、まだ実感が湧かない状態だった。
「それなら、それは蛮兵を斬った俺たちの罪だ」
ギルはそう吐き捨て、やるせない思いにその顔を歪める。
「しかし、そうさせたのはヒーナの愚かな行為じゃ」
バケじぃは有無を言わせずそう断言し、すーっと大きく息を吸うと、厳しい表情で宙をじっと睨んだ。
バケじぃの顔が苦しそうに歪んでゆく。
「・・・ヒーナが犯した本当の過ちは、我々ラビッツが、戦いの前にヒーナという大切な仲間を失ったことじゃ・・・ヒーナもこんなところで命を落としたくはなかったじゃろうに・・・」
バケじぃはその目に涙を浮かべ、悲しみを押し殺すように、膝の上に置いた両手の拳を強く握り締めるのだった。
「・・・」
バケじぃの想いが胸に沁みてきて、ギルには返す言葉がなかった。
「ラビッツが何のために存在し、お前たちがなぜここにいるのか、それを改めて考えてほしい」
バケじぃは全体を見渡し、そう穏やかに語りかけてから、今後起こりうる事態について語った。
「もし、服従の儀式が取りやめになった場合、リザド・シ・リザドが取る行動は、霊兎族各都市での公開処刑を再開することじゃ。しかも、今回の出来事を理由に、より激しく処刑を行うじゃろう」
バケじぃはそこで苦々しい表情浮かべ、ふーっと大きく息を吐いた。
「爬神軍は真っ先に、他の都市へのみせしめとして、イスタルを壊滅させるじゃろう。背信の罪を犯した我々ラビッツをあぶり出すために、イスタルの霊兎を一人残らず虐殺するかも知れない。イスタルを血の海にすることで、霊兎族を恐怖で震え上がらせ、いたぶるように残りの都市で公開処刑を行い、公開処刑が終わった後も、我々霊兎族をいたぶり続けるじゃろう・・・これが想定される最悪のシナリオじゃ」
バケじぃは重々しい口調でそう告げた。
バケじぃの想定する事態に、皆言葉を失った。
爬神軍がイスタルを壊滅させる目的で大軍で押し寄せてきたら、ラビッツがイスタルの護衛隊と一緒になって戦っても、それは無力に等しい。全力で戦っても、せいぜい一矢を報いるぐらいのことだ。
広間に集まる霊兎たちは茫然としてしまう。
その霊兎たちに、バケじぃは真顔で続ける。
「まぁ、これはあくまで最悪のシナリオじゃ。ヒーナがやったことは、そういう危険性を孕んでいるということじゃ。だから、どんなことがあっても、私情に流されてはならない。今からでも、それを肝に命じておくように」
バケじぃがそう戒めると、皆それを真剣に受け止め、黙って頷いた。
広間が重々しい沈黙に支配される。
そのとき、その重苦しい空気を一掃するかのように、
「ははは」
と、広間に笑い声が響いた。
ギルだった。
「おい、みんな、そんな暗い顔するんじゃねぇよ!お前らがそんなんじゃ、ヒーナが浮かばれねぇんだよ!爬神だろうが、蛮狼だろうが、掛かってきやがれってんだ」
ついさっきまで思い詰めた顔をしていたくせに、ギルはいつものふてぶてしい態度でみんなを鼓舞し、俯いて暗い顔をしている者たちを叱りつけた。
広間の霊兎たちの視線がギルに集まると、ギルは意味深な目つきで一同を見渡し、
「バケじぃにはちゃんと考えがあるんだよ!」
と告げ、
「なぁ、バケじぃ」
と、バケじぃに声をかけてニンマリと笑うのだった。
そこにいる全員の顔がパッと明るくなり、視線がバケじぃに注がれる。
「うん?」
バケじぃはキョトンとした顔でギルを見返した。
「な、バケじぃ」
ギルは念を押すように言い、その目でバケじぃを強く睨み、何か言えと訴える。
バケじぃは恨むような目つきでギルを睨みつけてから、居心地悪そうに咳払いをした。
「オホン、もちろんじゃ」
バケじぃはとりあえず一同を見渡し、意味ありげに頷いてみせる。
「その考えを聞かせてもらおうか」
ギルが当然のように訊くと、
「は?」
バケじぃは目を点にしてギルを見る。
「じじぃ、耳が遠くなったのか?考えを聞かせろって言ってんの」
ギルが不機嫌にバケじぃをせっつくと、
「お?」
バケじぃは目をひん剥いてギルを見て、
「お前は何を言ってるのかな?」
と惚け、何とかその場を誤魔化そうとする。
「惚けんじゃねぇよ。俺たちが無駄死にしないために、やるべきことを聞かせろよ」
ギルが呆れ顔でそう言うと、広間の霊兎たちがギルに同調してそれぞれに頷き、それを見てバケじぃも観念するしかなかった。
このクソガキめ・・・
バケじぃは真顔でみんなを見渡し、
「うむ」
一つ頷いて腕を組むと、深く思案するように目を閉じた。
「おい、みんな、ちゃんと心して聞けよ」
ギルが声をかけると、そこにいる一同は真剣な面持ちでバケじぃに注目した。
「バケじぃ、さぁ言えよ」
ギルが小声でバケじぃを急かす。
バケじぃはしばらく考える風にしていたが、右眉をぴくっと動かすと、静かに目を開けた。
そして、広間を見渡し、言い放った。
「祈るのじゃ!」
バケじぃの力強い言葉が広間に響き渡る。
うん?
ギルは耳を疑った。
「は?」
思わずギルが聞き返すと、バケじぃは胸を張って、
「最悪のシナリオにならないことを、みんなで祈るのじゃ!」
そう改めて言い放つのだった。
ズコッ!
広間の中にいる霊兎たち、外にいる霊兎たちみんなが一斉にずっこけた。
「じじぃ!」
ギルのこめかみが怒りでピクピクする。
そんなギルにみせつけるように、
「うわははは」
バケじぃは愉快に笑うのだった。
その清々しい笑い声に腹が立つ。
「何笑ってんだよ!」
ギルは声を荒げた。
そのギルの言葉に応えるように、バケじぃは神妙な面持ちになると、胸を張って両手を大きく広げ、そこにいるラビッツの全員に向かって訴えた。
「もし、ラビッツの使命が世界を変えることなら、必ずや、天が味方してくれるはずじゃ!」
バケじぃは恍惚の表情を浮かべ、広間の天井の一点を見つめる。
「・・・」
広間の霊兎たち、裏庭で聞いている霊兎たちは皆、ポカンとしている。
静まり返った広間。
「うわぁはっはっは」
バケじぃは高らかに笑う。
もう笑うしかなかった。
そんなバケじぃに、
「クソじじぃ!」
ギルが怒鳴りながら詰め寄ると、
「誰がクソじじぃじゃ!」
バケじぃは怒鳴り返し、
ゴツンッ!
ギルの頭を勢いよく殴った。
「いてぇ!」
ギルは涙目で頭を擦る。
バケじぃはこう見えても、元イスタル護衛隊隊長なのである。
ゲンコツ一つとっても並みのゲンコツとは破壊力が違う。
頭を擦りながら恨めしそうにこっちを見るギルに、
「今の我々にとって、祈りは最強の武器じゃ」
バケじぃは静かに告げる。
なんだそれ?意味わかんねぇ・・・
ギルは目をパチクリさせ、次第にバケじぃのそのふざけた言い分に怒りが込み上げてくる。
「祈りのどこが武器なんだよ!」
ギルが食ってかかると、
ゴツンッ!
と一発返ってくる。
バケじぃのゲンコツにはキレがある。
「いてぇ!」
ギルは頭を抱えた。
バケじぃは広間の霊兎たちにしみじみと語る。
「天を味方につけなければ、どちらにしても勝てないじゃろう。だから、祈るのじゃ」
バケじぃは自分の言葉に酔いしれるように、二度、三度、頷いた。
「はぁ?」
ギルは顎を突き出すようにして、バケじぃに食ってかかる。
ゴツンッ!
やはり、バケじぃのゲンコツにはキレがある。
「いてぇ!」
ギルは頭を擦りながらバケじぃを睨む。
バケじぃはギルの視線を無視し、広間のみんなに向かって拳を振り上げ、
「祈りが通じたとき、勝利するのは我々ラビッツじゃ!」
そう力強く宣言するのだった。
「通じなかったらどうするんだよ!」
すかさずギルが文句を言うと、
ゴツンッ!
バケじぃのゲンコツがおでこに決まる。
「いてぇ!」
ギルの目に涙が滲む。
「最後は、信じる力じゃ!」
バケじぃは声を張り上げ、そして、
ゴツンッ!
もう一発、ギルにゲンコツを食らわせた。
「いてぇ!俺、何も言ってねぇだろ!」
ギルはおでこを擦りながら、涙目でバケじぃを睨む。
「クスクス・・・」
二人のバカなやりとりがおかしくて、みんなが笑いだした。
張り詰めた緊張が一気に解けていく。
「ギル、何発殴られてんだよ」
グランはそう言い、
「バカだなぁ」
パパンは呆れ返る。
「バケじぃ、本気なのね」
キーナはそう言って肩をすくめ、
「ふふっ」
スーニは口元を手で押さえて笑い、
「この二人のやりとりはやっぱ面白いなぁ」
テナリはしみじみ言う。
いつの間にか、
「ははは」
広間は笑い声に包まれていた。
不思議なことだが、広間が笑いに包まれると、みんなの気持ちも自然と前向きになり、天が味方してくれるような、そんな気がしてくるのだった。
バケじぃは自分の言葉に満足して笑顔になる。
「と、いうことで、最悪のシナリオにならないことをみんなで祈るのじゃ!」
バケじぃが最後にそう声を張り上げると、
「わかりました!」
広間の霊兎たちは声を揃えて力強く応えるのだった。
みんな笑顔で、その目は輝いていた。
どうせ捨てた命だ。
どんなことが起ころうとも、全力でぶつかればいい。
あとは天の計らいだ。
そう思ったら、天に味方してもらうために祈るってのも、なかなか面白いことなのかも知れない。
さっきまでその場に漂っていた重苦しい空気はもうどこにもなかった。
霊兎たちに活気が戻り、広間はリラックスした雰囲気に包まれる。
そんな仲間たちを見て、ギルはほっと胸を撫で下ろした。
ヒーナ、お前の死は無駄にしないからな・・・
ギルは心の中でそう呟くのだった。