一一四 すれ違い
ガヤガヤとした市場の人混みの隙間から、マーヤはやっと見つけた。
「あ、あった。あそこ!」
マーヤはミコン屋さんを見つけると、シールに振り返ってその店を指差した。
「やっと見つけたわね」
シールもほっとした表情をみせる。
二人は人混みの合間を縫って、その店に向かった。
「ふーん、それでタヌとラウルはいないのね」
ラーラはそう納得して頷いた。
テムスとラーラの二人は商品台の後ろに椅子を並べて座っていて、店番をしながらお喋りをしていた。
「そうなんだよ」
テムスは心配そうに相槌を打つ。
「で、そのお嬢さんはどうしたの?」
ラーラは二人を呼びにきた娘のことを尋ねた。
「屋敷に戻らないといけないって言うから引き止めるわけにもいかなくてね。でも、相当疲れているようだったから心配だよ。大丈夫かなぁ」
テムスはキーナに中で休むように勧めたのだが、キーナがそれを断っていた。
キーナは疲れてはいたが、休んでいるわけにはいかなかった。
バケ屋敷に戻って次に備えなければならなかった。
ラーラはため息をつく。
「私はあの二人が心配でならないわ。いつも穏やかで優しい二人だけど、たまに思い詰めた表情で何かを隠しているように見える時があるから・・・」
ラーラはタヌとラウルがいつか突然いなくなってしまうんじゃないか、そう思うことが何度もあった。だから、不安でしょうがなかった。
テムスにはラーラの気持ちがよくわかる。
「うん。そうだな。あの二人は背負っているものが大きいからな」
テムスは頷き、二人の生い立ちに想いを巡らせる。
そのテムスの言葉にラーラは表情を曇らせると、
「私には二人が自分たちの父親の背中を追いかけてるんじゃないかって、そう思えてしょうがないの」
その正直な思いを吐露するのだった。
それはテムスも感じていることだった。
「そうだな」
テムスはそう相槌を打って黙り込む。
そこに、
「こんにちわー」
重苦しい空気を一掃する明るい声がした。
二人が顔を上げると、そこに美しい娘が二人、素敵な笑顔で立っていた。
テムスとラーラにはその二人が眩しく見えた。
「いらっしゃい」
ラーラがそう言って立ち上がると、テムスも立ち上がってラーラのそばに立った。
美しい二人の娘は、ハチミツの入った巾着を手に持つシールと、中身が詰まった袋を胸に抱えるマーヤだった。
「ミコンください!」
マーヤが元気よくラーラに声をかける。
その元気な声に、ラーラも元気をもらって自然笑顔になる。
「好きなだけどーぞ」
ラーラはそう応え、台の上にあるミコンの山を両手を広げる感じで指し示す。
ミコンの笊は三つしか残っていなかった。
「じゃ、これで」
マーヤが真ん中の笊を指差すと、ラーラはその笊を取ってテムスに手渡した。
テムスはのんびりそれを袋に詰める。
「この店、やっと見つけたんですよ。ハチミツ屋さんでテムス農園のミコンが美味しいって聞いて」
シールは笑顔でラーラに話しかける。
ラーラはチラッとシールの持つ巾着に目をやる。
なるほど。後でお礼言わなくっちゃ・・・
そんなことを思いながら、
「そうなの?嬉しいわねぇ」
ラーラは笑顔で応え、それから、
「二人はどこから来たの?」
と尋ねた。
このお嬢さんたちはイスタルではみかけないタイプの女の子だ。雰囲気が清楚で近寄り難いし、なによりこんな綺麗な娘は見たことがない。
ラーラはそう思い、二人にどこから来たのか尋ねたのだった。
「ラドリアです。明日帰るので今日はお土産を買いに来たんです」
シールは笑顔でそう答えた。
ラーラはラドリアと聞いて、この二人のお嬢さんたちとの距離がぐっと縮まったような気がした。
「ラドリア?」
ラーラがそう聞き返すと、
「はい」
シールは優しく頷いた。
ラーラはシールのその表情に親しみを感じ、ふとあの二人のことを口にする。
「うちにも二人、ラドリア出身の男の子がいるんだよ」
ラーラがそう自慢げに言うと、
「そうなんですか?」
シールとマーヤの二人は同時に笑顔で応え、ラーラに親近感を覚えるのだった。
ラーラはこの目の前いるお嬢さん二人の柔和な笑顔に魅了され、なぜだかタヌとラウルのことを知っているか訊きたくなった。それは何かに突き動かされるような不思議な衝動で、本来なら絶対にあり得ないことだった。タヌとラウルはラドリアから逃げてきたいわゆる犯罪者で、今でも追われている身だ。その二人の名前をラドリアから来た客に対して口にすることは、あまりにも危険なことだった。
それでも、ラーラはその衝動を抑えきれなかった。それはまるで魔法にかけられてしまったかのようだった。
「二人にだけ教えてあげるけど、タヌとラウルって言うんだよ。知らない?」
ラーラはほんの少しの罪悪感を感じながらも、自慢げな笑みを浮かべ、二人の名を口にした。
ミコンを袋に詰め終わり、ラーラと二人の娘との会話を隣で聞いていたテムスは目をパチクリさせて驚いた。でも、なんだかそれでいいような気がした。
「えっ・・・」
シールは言葉を失い、
「うそ・・・」
マーヤは目を見開いてラーラを見つめた。
タヌとラウル、二人の名前を耳にして、シールとマーヤは頭が真っ白になる。
でも、すぐに、
「知ってます!」
声を合わせ叫んでいた。
ドキドキドキドキ・・・
二人の鼓動が激しく胸を打つ。
これは夢なのか、現実なのか、よくわからなくなる。
二人の驚く様子に、ラーラとテムスもびっくりしていた。
シールは気持ちを落ち着け、
「赤毛と、薄灰色の男の子ですよね?」
と、二人の髪色について確認した。
その目は真剣だ。
シールのその質問に、
「ここに来たばかりの頃はそうだったな。今は赤褐色と銀色だけどね」
そう答えてテムスは微笑んだ。
間違いない。タヌとラウルだ。
こんなところにいたんだ・・・
二人の目に涙が滲む。
「私たち幼馴染みなんです。二人はどこにいるんですか?」
シールが尋ねると、それに重ねて、
「二人に会いたいんです!」
マーヤはそう訴えていた。
そのマーヤの声は微かに震えていた。
二人の気持ちは一緒だった。
胸がぎゅーっと締め付けられるような、会いたい気持ちと切ない想い。
二人の目から今にもこぼれ落ちそうな涙。
二人の切実な声、強張った表情に、テムスは申し訳ない気持ちになる。
「それがね、ほんのちょっと前なんだけど、急ぎの用があって市街地に出かけたばかりなんだよ」
テムスはそう答え、二人に憐れみの表情を浮かべた。
市街地と聞いて、
「市街地に?」
シールは聞き返し、
「ああ。ついさっき、友達が急ぎの用で来たもんだから、慌てて出ていったんだよ」
テムスがしんみりと答えると、シールは嫌な胸騒ぎを覚えた。
市街地でラビッツに何かあったに違いない。だとしたら、そこで待ち構えているのは、あのアク率いる親衛隊だ。
「・・・」
二人が険しい表情で宙を見つめていると、
「あの、名前を聞いてもいいかしら」
ラーラは二人に名を尋ねた。
「シールといいます」
シールが笑みを浮かべて答えると、
「マーヤです」
マーヤも名を名乗って微笑んだ。
二人の笑顔がラーラには寂しそうに見えた。
ラーラは申し訳なさそうな表情を浮かべ、二人を慰めるように言葉をかける。
「あの二人に伝えておくからね。でも、残念だわ、本当に。タヌとラウルも二人に会えたらとても喜んだはずよ」
そう言って、ラーラはミコンの入った袋をシールに手渡した。
シールは代金の銅貨を渡そうとするが、
「あの二人の知り合いじゃ、お金は取れないわね」
ラーラはそう言ってニコリと微笑んだ。
ラーラのその笑顔が素敵だった。
シールは素直にラーラの好意を受け取ることにした。
「そのお言葉、とても嬉しいです。ありがとうございます」
シールは礼を言って頭を下げる。
タヌとラウルの知り合いだから・・・
という理由が素直に嬉しかった。
二人がどれだけここで愛されているか、それが伝わってくる言葉だからだ。
「このご恩は一生忘れません!」
マーヤは大袈裟に言って目をキラキラさせる。しかし、それは決して大袈裟ではなく、タヌとラウルを守ってくれた二人に対する、マーヤの心からの感謝の想いだった。
「あら」
ラーラはそんなマーヤの無邪気さを微笑ましく思う。
シールは二人に向かって、
「是非、ラウルとタヌに、ラドリアで待っているとお伝え下さい」
そうお願いし、頭を下げた。
「絶対に帰って来るようにって、約束だからって、そう伝えてください」
マーヤも真剣な顔でお願いして頭を下げる。
二人の想いのこもった眼差しに、テムスとラーラは胸を打たれていた。
「約束する。ちゃんと伝えるわ」
ラーラはそう応えて優しく微笑み、その隣でテムスはうんうんと頷くのだった。
シールとマーヤの二人はテムスの店を離れると、足早に北口へ向かった。
「急いで市街地に戻らないと・・・」
シールは焦りの表情で人混みを掻き分ける。
「間に合うといいけど・・・」
マーヤも急ぎ足で歩きながら、焦りの声を漏らす。
「いよいよ私たちの出番かも知れないわね」
シールはそれを覚悟した眼差しで言い、
「うん」
マーヤは鋭い眼差しでシールのその横顔を見て頷いた。
タヌとラウルを守るんだ・・・
二人は急いで市街地へと向かった。