一一三 緊急の知らせ
シールは驚いてマーヤの元に引き返した。
「どうしたの?」
シールは心配して声をかける。
マーヤは耳を澄ませながら、
「今、タヌの声がした・・・」
そうポツリと呟いた。
その声が微かに震えている。
「えっ」
マーヤのその言葉にシールは驚いた。
タヌがいるということは、ラウルもいるはずだ・・・
ラウルへの想いがシールの胸に溢れ出し、腹の底から震えるような切なさが湧き上がってくる。
「ほんと?」
シールは自分の感情を抑え、優しくマーヤに聞き返す。
「うん」
マーヤは顔を強張らせたままコクリと頷いた。
そして、二人はタヌの姿を探した。
二人はしばらくのあいだ注意深く周囲にある店に目を凝らしたが、どこにもタヌらしき人物の姿は見えなかった。
マーヤは耳を澄ませて見るが、さっき聞こえたはずのタヌらしき声は聞こえなかった。
マーヤが諦めるように俯くのを見て、シールはふーっと静かに息を吐いて自分の気持ちを落ち着ける。
いるわけないか・・・
シールは心の中でそう呟いて、マーヤに声をかけた。
「マーヤ、気のせいよ」
シールのその哀しい声に、マーヤの胸は締め付けられる。
「気のせいなのかな・・・」
マーヤはタヌに会いたい気持ちが込み上げてきて、今にも泣きそうな顔になる。
シールはマーヤの背中を擦りながら優しく慰める。
「会いたい気持ちが強いからそう聞こえたのかも知れないわね。でも、いつか必ず会えるわ。ただ、それが今じゃないってことだと思うの」
シールがそう言って明るい笑顔をみせると、
「そうだね。いつか会えるよね・・・」
マーヤは自分に言い聞かせるように呟き頷いた。
シールの優しさにマーヤは涙をぐっと堪える。
お姉ちゃんだって辛いはずなのに・・・
そう思ったら、自分がここで崩れるわけにはいかないと思った。
「絶対に、会えるわ」
シールはそう断言して笑った。
でも、その目が寂しげだった。
マーヤはそんなシールの強がりを、愛おしいと思った。
マーヤは想いを振り切るように、もう一度辺りを見渡し、そこにタヌの姿がないことを確かめると、目を閉じ「ふーっ」と長い息を吐いた。
それからゆっくりと目を開け、
「うん。もう大丈夫」
と自分の気持ちを確かめ、シールにニコッと笑顔をみせるのだった。
そんな健気なマーヤにシールは癒やされる。
「ハチミツ、買いに行こ」
シールは笑顔でそう言い、
「うん!」
マーヤが元気に応えると、二人は人混みの流れを上手く横切りながら、ハチミツ屋に向かった。
「ミコンいかがですかー」
タヌは呼び込みの声を張り上げた。
今日はいつにも増して市場が賑わっているように感じる。
タヌは後ろを振り返り、タムネギを笊に盛り付けているラウルに声をかけた。
「ラウル、タムネギまだ?」
ラウルは七つある笊の最後の一つにタムネギを載せ終わると、
「できたよ」
と返事を返した。
そのラウルの横で、テムスは椅子に座って居眠りをしている。
そんなテムスの姿が微笑ましい。
「それじゃ、台に載せようか」
タヌがそう言ってラウルの用意した笊を取りに行こうとした、そのときだった。
「お姉ちゃん!」
ふいに聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
タヌは懐かしい声を聞いたような気がして、ビクッと動きが止まる。
「マーヤ?・・・」
タヌは振り返り、市場の人混みに視線を走らせる。
「どうした?」
ラウルはそのタヌの動きが気になって声をかける。
タヌは市場の人混みの中に鋭い視線を向け、そこにマーヤを探した。
耳を澄ませ、人混み中の一つひとつの顔を意識する。
しかし、そこにマーヤの姿はなかった。
タヌはもう一度眼前の人混みをゆっくりと見渡してから、後ろ髪を引かれるような思いでラウルに振り返った。
そして首を傾げ、
「今、マーヤの声が聞こえたような気がしたんだ」
ラウルにそう返事を返した。
ラウルはタヌの言葉に一瞬驚いた表情をみせたが、すぐに思い直して首を振り、
「そんなわけないだろ」
と、呆れ笑顔でタヌの認識を否定した。
「だよね」
タヌも自分に呆れて自嘲気味に笑う。
タヌのどこか寂しげな表情を見て、
「いつか必ず会えるさ」
ラウルは爽やかな笑顔で慰めるのだった。
タヌにはラウルのその言葉が胸に沁みる。
「うん」
タヌは希望を捨てない眼差しで頷いた。
それからなんとなく、もう一度外の雑踏を見渡し、そこにマーヤの姿がないことを確かめると、ふと笑み浮かべ、
「こんなところにいるわけないか・・・」
そう呟いて、ため息をつくのだった。
「よし、タムネギもこれを売れば終わりだ」
タヌは気持ちを切り替え、タムネギの笊を商品台の上に並べ終えると、胸の前で手をパンッと叩き、最後のひと仕事に気合いを入れる。
それに応えるように、
「よし、最後のひと踏ん張りだ」
ラウルはそう言いながら商品台に並べられたミコンとタムネギを見、気合いを入れるために両手で顔をパンッパンッと叩くのだった。
そのとき、
「あれ?」
タヌが市場の人混みの中に何かを見つけた。
「どうした?」
ラウルが訊くと、
「キーナ・・・」
タヌはそう声を漏らして目を見張る。
ラウルはタヌの視線の先を追い、
「あっ」
そこにふらふらのキーナが、こちらに向かって歩いて来る姿を見つけたのだった。
「今日は午後から訓練があるはずじゃ・・・」
ラウルは首を傾げる。
キーナは人混みを掻き分け二人の前に辿り着くと、
「はぁ、はぁ・・・タヌ・・・はぁ、はぁ・・・ラウル・・・はぁ、はぁ・・・」
息も切れ切れに、商品台の縁に手をついた。
タヌはキーナの様子からただならぬ事態を察し、ラウルは緊張の面持ちでキーナを見つめた。
「どうした?」
タヌが尋ねると、キーナは顔を上げ、
「ヒーナが・・・はぁ、はぁ、ヒーナが・・・」
と、ヒーナの名を繰り返した。
「ヒーナがどうした?」
タヌは目つきを鋭くし、キーナは大きく深呼吸をして呼吸を整えた。
「ヒーナが黙って市街地に・・・」
キーナはそう答え、救いを求めるような眼差しでタヌを見る。
それだけでは状況を理解できず、
「どういうこと?」
タヌはそう言って眉間に皺を寄せる。
キーナはもう一度大きく深呼吸をしてから事情を詳しく説明した。
「ヒーナの知り合いが監視団に捕まってて・・・それでヒーナは広場での処刑にすごく怒ってて・・・誰にも言わずに黙って市街地に行ったみたいなんだ・・・こんなこと今まで一度もなかったから・・・今、ギルがヒーナを追って市街地に向かってるんだけど、タヌとラウルにも知らせてくれって・・・ヒーナが何をしでかすかわからないからって・・・」
キーナはそこまで言うと、泣きそうな顔でタヌを見つめた。
そのキーナの説明で、タヌとラウルの二人はすべてを理解した。
まずい・・・
タヌはそう思った。
そのタヌの思いを見透かすように、
「行ってきなさい」
背後からテムスの声がした。
テムスはキーナと二人とのやりとりを寝耳に聞いて、目を覚ましていたようだ。
タヌとラウルは驚いてテムスに振り返る。
「急いだ方がいいんじゃないか」
テムスは穏やかな口調で二人を急かした。
「いいの?」
タヌは思わず聞き返していた。
「ああ、いいとも。ラーラもそろそろ戻ってくる頃だ。ここは大丈夫だ。行ってきなさい。その娘にはここで休んでもらえばいい」
テムスはそう言って微笑んだ。
「ありがとう」
タヌとラウルの二人はすぐに店を飛び出し、急いで市街地へ向かった。
「そこのお嬢さん、中でミコンでも食べて休みなさい」
テムスは店の前で二人の後ろ姿を見送るキーナに、そう優しく声をかけた。