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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
109/367

一〇八 乱暴者は懲らしめるべし


「いてっ!」


 男は後頭部に走る強い痛みに思わず悲鳴を上げた。


「誰だ!」


 男は怒鳴って振り返り、怒りの眼差しで石の飛んできたであろう方向を睨みつけた。


 すると、そこに美しい二人の娘が立っていて、その娘たちが兎人であるにも拘わらず、男はその美しさに見惚れてしまうのだった。


 男はその二人を凝視(ぎょうし)し、


「あ?」


 と、間抜けな表情で短い声を出すだけだった。


 状況を理解していない男に、


「ちゃんとお代は払いなさい」


 シールは優しくそれを促した。


「食い逃げなんて、みっともなーい」


 シールの隣に立つマーヤは呆れ顔でそう言い、右手に持つピンポン玉ほどの大きさの石を軽く上に放り投げ、落ちてきたところをそのまま右手でキャッチしてみせる。


 それを見て、男は状況を理解した。


 石を投げたのはこいつらか・・・


 男はふつふつと怒りが込み上げてきて、その顔を(みにく)く歪める。


 だが、


 こんな華奢な若い小娘を本気で相手にしたら、笑い者になっちまう・・・


 そう思って相手にしないことにした。


「うるせぇ、お前らにとやかく言われる筋合いはない!」


 男は乱暴に言い返すと、逃げるように新世界橋に向かって歩き出した。


 すると、


 ゴツンッ!


 と音がして、ピンポン玉ほどの石が男の後頭部に当たって跳ね返り、


「いてっ!」


 またもや男は前につんのめるのだった。


 男は怒りに任せて振り返る。


「貴様ら!女だからって容赦しないぞ!」


 そう怒鳴り散らしながら、二人に大股で近づいていった。


 二人は男を鋭い目で見つめる。


 近づいてくる烏人の男。


 その体の大きさから感じる威圧感は物凄かった。


「舐めやがって!」


 男は二人の前に来ると、杖を振り上げ殴りかかった。


 男は最初にシールに向かって杖を振り、


 ヒュンッ!


 シールに軽くそれを(かわ)されると、すぐにマーヤに殴りかかった。


 ヒュンッ!


 マーヤはそれを躱しながら男の背後に回り込み、


 ドンッ!


 その背中を強く押した。


 二人の美しい娘の俊敏な動きを、店主は目を丸くして目つめていた。


 男は空振りして前につんのめっているところをマーヤに背中を押され、勢いよくすっ転んだ。


 ドサササッ!


 男は一回転して地面に仰向けになっていた。


 いつの間にか、周りには大勢の野次馬が集まっていた。


「まだお代払ってないわよ」


 シールは厳しい口調で言い、


「見苦しいわよ」


 マーヤは呆れた顔をする。


「ちくちょう!」


 男は恥ずかしさと怒りで顔を紅潮させ、すぐさま立ち上がると、


「お前たちは生かしちゃおかねえ!」


 と怒声を上げ、殺気に満ちた目で二人を睨みつけながら、手に握る杖の持ち手部分を両手で握って前後にひねった。


 カチッ。


 と音がして、男が杖の竿の部分を捨てると、中からキラリと光る刃が現れた。


 男が持っていたのは仕込み杖だった。


 こういう特殊な武器を持っているということは、人を殺し慣れているのかも知れない。


 周りに集まる野次馬から、


「おお」


 と、どよめきが起こった。


 野次馬の中に烏人もいるが、こういう喧嘩は珍しいことでもないし、いつもやられるのは兎人の方なので、楽しそうに眺めているだけだった。


 野次馬の中の兎人たちは、か弱そうに見える美しい二人の娘が俊敏な動きで烏人の男の攻撃を躱し、突き飛ばしたのを見て、手に汗を握って事の成り行きを見守るのだった。


「その綺麗な顔を血で染めてやる」


 男はそう言って気色の悪い笑みを浮かべた。


「果実酒一杯のことで傷つけたくはないんだけど・・・」


 シールは男を憐れむように(つぶや)くと、腰に下げる剣を抜いた。


 シールのその憐れみの眼差しに、男はさらに怒りを爆発させた。


「兎人の分際で、烏人の俺様をバカにするんじゃねぇ!」


 男は殺気立った目つきでそう叫び、シールとの間合いを詰めた。


「お姉ちゃん、バカね、この人」


 マーヤがため息交じりにそう言って、腰に下げた剣の柄に手を添えると、


「ここは私に任せて」


 シールはマーヤに向かってウィンクをし、余裕の笑みを浮かべた。


 マーヤはシールのその余裕の笑みにゾクゾクッとした。


 お姉ちゃん、かっこいい・・・


「死ね!」


 と叫びながら、男はシールに向かって斬りかかった。


 ガキンッ!


 シールは男の剣を払いながら、


「今ならまだ間に合うわよ」


 と優しく声をかける。


 シールのその余裕な態度に、男は益々苛ついた。


 野次馬の前で自分が侮辱されたように感じたからだ。


「うるせぇ!」


 男はしゃにむに剣を繰り出した。


 ヒュンッ!ヒュンッ!ガシッ!


 シールはそれを俊敏な動きで躱し、払っていく。


「仕方ないわね」


 シールは諦め顔で肩をすくめる。


「死ねぇえ!」


 男は雄叫(おたけ)びを上げながら剣を振り上げ、シールに渾身の一撃をぶつけた。


 ビュン!


 しかし、男の一撃は空を斬るだけだった。


 シールはすっと流れるようにその一撃を躱し、空振りして男がよろめいたところを、


 バサッ!


 一瞬の気合いでその手首を斬ったのだった。


 ガシャンッ!


 仕込み杖が地面に落ちる音がして、男の右手がその横に転がった。


「ぎゃああああ!」


 男は膝から崩れ落ち、血が吹き出す右手首を左手で握り()め、その場にうずくまった。


「できれば、こんなことしたくなかったんだけど・・・」


 シールはそう言いながらしゃがむと、剣についた血を男の服で拭い、鞘に収めた。


 それから、男の腰に下げられた巾着袋を取って店主に渡した。


「お代はこれでお願いします。すみません。後始末をお願いしていいですか」


 シールは店主にそう言って頭を下げる。


「あ、ありがとうございました」


 店主は目に涙を浮かべて礼を言い、


「後は任せて下さい」


 そう言って胸を張った。


 シールは笑顔で頷くと、そのまま新世界橋に向かって歩き出した。


「これからはお金、ちゃんと払うのよ」


 マーヤはうずくまって呻き声を上げる男に、そう優しく声をかけてからシールの後を追った。


 パチパチパチパチパチパチッ・・・


 いつのまにか野次馬から称賛の拍手が沸き起こっていた。


「すげぇぞ!」


「よくやった!」


 そんな声が野次馬から上がる。


「あの娘たちかっこいいなぁ」


 そういう声もあった。


 野次馬の中にいた烏人たちは居心地が悪くなったのか、いつの間にかいなくなっていた。


 シールとマーヤの二人は新世界橋の入り口にある検問所の手前を左に曲がって川沿いの道を少し歩き、ヒシリウ川の土手を登ってそこから橋を眺めることにした。


 土手を登ると、右手に新世界橋の横顔がはっきりと見えた。


 橋は対岸のサムイコクまで真っ直ぐに伸びていて、その揺るぎない姿は見るものを圧倒するものだった。


 でもマーヤの頭の中は、新世界橋よりもさっきの出来事で一杯だった。


「やっぱり烏人ってろくな人たちじゃないわ。私たち兎人をバカにし過ぎよ」


 マーヤは土手に腰を下ろすなり、烏人に対する不満を口にした。


「そうね」


 シールはそう相槌を打ち、


「でも、それは仕方がないことかも知れないわね」


 そう言ってため息をつく。


 マーヤにはシールの口にした〝仕方がない〟という言葉が理解できなかった。


〝仕方がない〟という一言で、その行為を受け入れてしまっていいのだろうか。


「どうして?」


 マーヤはどこか突っかかるような口調でその真意を尋ねる。


「うーん」


 シールは宙を見つめて唸り、それから、考えを整理するようにして真顔で答えた。


「人はいつも誰かと自分を比べて喜んだり悲しんだりしている。自分が(すぐ)れていれば嬉しいし、劣っていれば悲しいよね。人より優れていることが嬉しいのはなぜかしら。人より劣ってることが悲しいのはなぜかしら。それはやっぱり、この世界が弱肉強食の世界だからなんだと思うの。結局どの世界でも、力のない者は淘汰されていくし、淘汰されないためには自分が優れていることを示す必要がある。差別の根本にあるのはそれなんじゃないかしら」


 シールはそこで一息つき、それから言葉を続けた。


「結局、差別って、この弱肉強食の世界を生き抜くための本能から来ていると思うの。つまり、人は基本的に差別をするように創られているってことになるわね。何を基準に差別するかは人それぞれだけど、さっきの人は自分が賢烏族であるということを鼻にかけて私たち霊兎族を見下すし、見下すことで、自分たちが優れているということをアピールしてるんじゃないかしら。まぁ、でも、人間がそういう風に創られてるのなら、仕方ないことだよね。だから、差別って、この弱肉強食の世界では当たり前のことにすぎないのよ。だって、この世界で生き残るためには、自分は他者より優れていなければならないんですもの。だから人は差別するし、誰かを差別することで優越感に浸るのは、この世界で生きていくための安心感なんだと思う。それが本能なんだと思う。つまり、さっきの人は、本能丸出しの人にすぎないってことになるわ」


 シールは差別に対する自らの考えを真剣に語った。


 しかし、マーヤは思わず、


「ぷっ」


 と吹き出してしまう。


〝本能丸出し〟という言葉が、なんだかツボに嵌まってしまったのだ。


「あはは。本能丸出しって、何よそれ、その通りじゃない」


 笑いはしたけど、もちろん話は真面目に聞いている。


「でも、もし本能が私たちの差別の原因だとしたら、差別はなくならないんじゃないかしら」


 マーヤはそう疑問を投げかけ、


「でもね、私は思うの。人は、本能を超えられるって」


 シールは真剣な眼差しでそう答え、宙を見つめる。


「本能を超える?」


 マーヤはその言葉に惹きつけられた。


「うん。本能は私たちのこの体に宿るものでしょ。だから、私たちが自分自身をこの体だと見るのか、そうじゃないと見るかで、世界は変わるんじゃないかしら。私たちの体って、この弱肉強食の世界に合わせて創られているはずよ。だから、私たちが自分自身をこの体に紐づけてしまったら、この弱肉強食の世界に縛り付けられるのは当然のことじゃないかしら。でも、もし、私たちが自分自身のことをこの体に紐付けることをしなければ、私たちはこの世界から自由になれると思うの。私たちがこの体から自由になれたら、もしそこに存在するのが、何にも紐づけられない純粋な意識だけだとしら、そこにはなんの違いも見つけられないと思うの。だから、私たちがこの体から自由になれたとき、私たちは本能を超えられるんじゃないかって、私は思うの」


 シールはしみじみと語る。


「お姉ちゃん、何を言っているのかさっぱりわからないけど、私もそう思うよ」


 マーヤはそう言ってニッと笑う。


 シールはその無邪気な笑顔に、ぷっと吹き出してしまう。


 しんみりとした空気を明るくするマーヤの気遣い。


「あはは。ちょっと真面目になりすぎちゃったね」


 シールは恥ずかしそうに笑い、照れ隠しにマーヤのほっぺをチョンチョンとつつく。


「人間って複雑だ」


 マーヤは大きく伸びをして空を見上げた。


 水色の空には雲ひとつなかった。


 ポカポカと温かな陽射しが降り注いでくる。


「ここってラドリアと全然違って、なんだか開放的ね」


 シールはそう言いながら、胸一杯に新鮮な空気を吸い込んだ。


「最高!」


 マーヤは空に向かってそう叫び、シールと同じように、胸一杯に川辺の新鮮な空気を吸い込むのだった。


 のんびりとした時間が過ぎ、川風が二人を優しく()でていく。


 話すこともなくなると、ただじっと景色を眺めていることに、マーヤはソワソワしてしまう。


 もしかしたら、市街地にラビッツが現れてるかも知れないのだ。


「お姉ちゃん、もう飽きちゃった。お土産買って帰りましょ」


 マーヤはそう言って立ち上がり、服についた草をはたいて落とす。


 シールはもう少しのんびりしていたかったが、潮時のような気もしてマーヤに従うことにした。


「そうしようか」


 シールは気持ち良さそうに伸びをしてから立ち上がり、二人はいよいよムニム市場へと向かうのだった。


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