一〇三 ムニム市場にて
タヌとラウルは夜が明ける前に果樹園に行って、ミコンの収穫を始めた。
この年も豊作だった。
カゴ一杯のミコンをいくつも荷馬車の荷台に積み込んだ。
「今日はみんなで市場に行くか」
テムスはその顔を朝日に輝かせながら、二人を誘った。
二人はそれを喜び、
「これ全部売れるといいね」
タヌはそう笑顔で返し、
「タムネギとキャブツもあるから、今日は忙しくなりそうだね」
ラウルは嬉しそうに荷台のカゴを眺めた。
「今日は賑やかになるな。ラーラも喜ぶぞ」
テムスはそう言い、ニコニコしながらラーラを呼びにいくのだった。
この日は荷台が一杯なので、荷馬車にはテムスとラーラが乗り、タヌとラウルはそれぞれ馬に乗って荷馬車の後を付いて行くことになった。
手綱を握り、馬の歩調に合わせて揺られながら、
「いよいよだね」
タヌがラウルに声をかけると、
「ああ、いよいよだ」
ラウルは気持ち良く馬に揺られながら、タヌに笑顔を返した。
数日前の夜、二人がバケ屋敷にいるとき、ドゴレからの使いがやってきて、服従の儀式の日程が決まったことが伝えられた。
ドゴレがバケ屋敷に使いを送るのは珍しいことだったので、使者が来たときはみんなに緊張が走ったものだった。
ドゴレからの使者が伝えたのは、服従の儀式が一ヶ月後に行われるという事と、〝親衛隊や監視団がどれだけ酷いことをしようとも絶対に動かないように〟という事だった。
いよいよだ・・・
そんな空気がバケ屋敷を包んだ。
タヌはその時の一人ひとりの目の輝きと、その精悍な顔付きを思い浮かべ、手に握る手綱をギュッと握り締める。
「でも、ほんと、急だよね」
タヌは服従の儀式の準備期間が一ヶ月しかない事に驚いた。
何事にも準備というものがある。
献上の儀式でさえ、二ヶ月前には通達があるというのに、霊兎族全体で行う服従の儀式の準備期間がたった一ヶ月しかないというのは解せないことだった。
「わざとかも知れないな。理不尽な要求を出して、霊兎族に服従の意志がどれだけあるのか試してるんじゃないか」
ラウルはそう推測してみせる。
「あり得るね」
タヌは相槌を打ち、
「親衛隊も明後日にはラドリアへ帰るみたいだし、これで広場での処刑もなくなってくれればいいんだけど」
その願望を口にする。
「どうだろうな。あいつなら俺たちが現れるまでやり続ける可能性の方が高いと思うんだけど」
ラウルは苦虫を噛み潰したような顔をし、タヌも厳しい目つきになる。
「コンドラはまともな人間じゃない」
タヌはそう吐き捨てる。
「あいつはラドリアにいるときから汚い奴だった。顔を思い出すだけで反吐が出る」
ラウルはコンドラに対し心の底からの怒りを感じ、その顔を歪めるのだった。
コンドラの前身がラドリア精鋭養成所の教官であり高位兎神官だったドリルだということを護衛隊隊長ドゴレから聞かされたときは、唖然とし、腸が煮えくり返ったが、同時にすべての辻褄が合うような感覚を覚えたのだった。
「反吐が出る、かぁ」
タヌはそう言って笑ったが、タヌがおかしかったのは、その言葉に対してではなかった。
ラドリアにいる頃のラウルなら、たとえそれがドリルだったとしても、統治兎神官のことを汚い言葉で罵ったりしなかったはずだ。
ラウルも変わったなぁ・・・
そう思ったら、嬉しくて笑えてきたのだ。
「とにかくコンドラは許せない。蛮兵たちが罪のない住民を襲っているのもコンドラが許可したことだし、あいつは監視団と組んで自分の権威を維持することしか考えちゃいないんだ」
ラウルの怒りは収まらない。
「人間って、ああも醜くなれるものなんだね。コンクリ様がなぜそういう人間を統治兎神官に任命したのか、俺には理解できない」
タヌはそう言い、すべてを見通しているはずのコンクリがなぜ、コンドラのような人間をイスタルの統治兎神官に任命したのか、首を傾げてしまう。
ラウルは横目でチラッとタヌを見、
「コンクリ様に取り入るのが、それだけうまかったってことなんじゃないか」
と、吐き捨てるように言う。
そりゃそうだろうな・・・
タヌはそう思いつつ、
「それにしてもって感じだ」
と嘆き、「はぁ」と大きなため息をつくのだった。
二人が馬をゆっくりと歩かせながら話している間に、テムスの荷馬車は大分先を走っていた。
ラウルはそれに気づくと、
「コンドラは必ず成敗しようぜ」
そうタヌに声をかけ、ポンッと馬の腹を蹴ってテムスの荷馬車を追った。
「絶対だ」
タヌはラウルの背中に向かってそう応え、その後に続く。
ムニム市場に到着すると、テムスは市場の南口でラーラを降ろし、駐車場に荷馬車を停め積み荷のカゴを降ろしにかかる。
駐車場には荷馬車を預かることを仕事にしている〝馬車番〟と呼ばれる人たちがいて、駐車場に停めた荷馬車の見張りから馬の面倒まで見てくれるので助かっていた。
タヌとラウルは馬車番に馬を預けてから、荷降ろしを手伝いに急いでテムスのもとへ向かった。
テムスのもとに向かう途中、
「おじさんに本当のこと言わないとね」
タヌがしみじみ言うと、
「そうだな。何も言わず家を出るわけにはいかないからな」
ラウルはそう応え、神妙な面持ちになる。
テムスの家を出る日が近づいていた。
「うん」
タヌは頷いて視線の先のテムスを見る。
テムスは荷物を降ろすために荷台の扉を開けたところで、そのキビキビとした動きから、いつもより嬉しそうにしているのがよくわかる。
俺とラウルがいなくなったら、おじさんはおばさんと二人っきりになってしまう・・・
そう思うと、なんともいえない寂しさが込み上げてくるのだった。
市場内の店にカゴを運び終わる頃には、ラーラが店の周りの掃き掃除を終わり、商品台の上をキレイに拭いて開店の準備を終えていて、あとはミコン、タムネギ、キャブツを笊に盛って、台の上にキレイに並べるだけだった。
市場内の売り場には、荷馬車に積んであるカゴをいっぺんに置くことができないので、とりあえず半分ほど運び入れていた。カゴを運ぶのはタヌとラウルの二人で、テムスにはできるだけ楽をしてもらっている。それが二人にとって当たり前の親孝行だった。
小走りでカゴを運び終えた二人が息を荒くしていると、
「ありがとう。疲れたわね。少し休んでなさい」
ラーラは笑顔で二人の労をねぎらい、
「疲れただろう」
テムスはにこやかに声をかけ、二人を頼もしく見る。
「これくらい平気だよ」
ラウルは右腕に力こぶを作ってみせ、
「全然疲れてないよ」
タヌもそう応えて白い歯をみせる。
そんな二人がラーラにはかわいくてしょうがない。
「ふふふ。でも、休んでなさい。必要なときは声をかけるから」
ラーラは目を細め、二人に休むことを命じた。
「わかった」
ラウルは笑顔を返し、市場の休憩所で少し休むことにした。
朝起きてから働き通しなので、正直なところ、疲れていないわけではなかった。
タヌも素直にラーラの優しさを受け入れることにした。
「はーい」
そう返事をし、ラウルと一緒に休憩所に向かった。
もうすぐこの穏やかな日々が終わりを迎えると思うと、なんだか切ない気持ちになる。
市場の開場直前の、忙しなくバタバタとした騒音でさえ、なぜだか寂しく感じるのだった。