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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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一〇〇 正論


 夕方、スラム街にあるサスケの家に、仕事を終えたタケル、アジ、セジが集まって、酒を飲んでいた。


 サスケの家は簡素なもので、一部屋しかない。


 部屋の真ん中に四角いテーブルと四脚の椅子が置かれ、入り口から入って右側の壁に沿ってベッドが置かれている。それだけの部屋だった。部屋の奥の方にはロープが張られていて、そこに服やズボンがぶら下がっているのだが、それは洗った衣類を干しているのであり、サスケはそのままそこから取って着替えているのだった。サスケにとって近くを流れるサイノ川が汗を流す場であり、洗濯をする場だった。


 テーブルの上には酒の入った瓶と、炒った豆を盛った皿が置かれていて、四人はそれを囲んで酒を酌み交わしながら談笑していた。


 話す内容は治安部隊に関することばかりだったが、唐突に、


「そうそう、タケルたちが会ってる三人ってまさかラビッツじゃないよね?」


 セジがそう言って疑うように三人を見るのだった。


 ドキッとした。


 三人はそれぞれに平静を保ちつつ、


「さぁ、どうだろうな」


 タケルは興味なさげに応え、


「万が一そうだったとしても、それを俺たちには言わないんじゃないか」


 アジはそんな風に(とぼ)け、


「ラビッツだったら俺は嬉しい」


 サスケが正直な気持ちを口にすると、


「俺もそうだ」


 タケルは迷わず同意し、


「俺もあいつらがラビッツなら嬉しい」


 アジもそれに同意した。


「なんで?」


 セジにはまったく理解できない。


 そもそもタケルたちが会っている三人がラビッツだったら、会うのを止めるよう注意するつもりだったのだ。


「ラビッツが目指しているのは、この世界を変えることだと思うから」


 タケルが真顔でそう答えると、


「世界を変える?何言ってるの?」


 セジは唖然とした。


「それがラビッツの志だと思う」


 タケルはきっぱりと言い、セジはタケルのその言葉を受け付けない。


「それ、志かなぁ。今のままでいいじゃないか。兎人だって、俺たち烏人だって、ずーっと今のやり方でやってきて、平和だったじゃないか。誰だって不満はあると思うし、みんなが我儘を通したら混乱するだけだろ。だから、ラビッツのは志じゃなくて、ただの我儘だと思うけどね、俺は。そうは思わない?」


 セジはそう言って、タケル、アジ、サスケそれぞれに視線を向けて同意を求めた。


「我儘か・・・」


 アジはそうつぶやいて不快な顔をする。


「思わない」


 サスケは一言、それだけ言って口を一文字に結んだ。


 セジが言っていることは間違っているとは言えないし、秩序を守るジベイ家の人間として当然の考え方なのだろう。だから、セジを非難することはできない・・・


 タケルはそう思う。


 それでも、タケルはラビッツの想いを代弁した。


「兎人は常に監視され、献身者としてその命を捧げてきた。ドラゴンや神人(しんじん)にすべてを捧げるような人生。それを当たり前だと受け入れてしまえば、それでいいのかも知れない。でも、それをおかしいと思ったから、あいつらは立ち上がるしかなかったんじゃないのかな。俺はそれを我儘だとは思わない」


 そのタケルの言葉に頷いたのは、アジであり、サスケだった。


 セジは首を傾げて反論する。


「じゃ、百歩譲ってそれが志だとして、世界を変えるって、どうやって変えるんだろうね。蛮兵を襲うことで何かが変わると思っているとしたら考えが甘いよ。ただでさえ兎人の都市では爬神様による処刑が行われているんだよ。もし、ラビッツなんて存在が知られたらどうなるか、考えたらわかることだろ。恐ろしいことになるよ」


 セジはそう言ってラビッツの志を鼻で笑う。


 セジの見解は反論の余地のないものだった。


 セジはセジなりに状況を冷静に分析している。


 冷静なだけに、セジの見解は的を射たものだった。


 タケルは頷くしかなかったし、アジもそんなことわかっていた。


 サスケはといえば、セジを哀しく見つめるだけだった。


「お前の言っていることは正論だ。それはわかってる。でも、俺にはあいつらの気持ちがわかるんだ」


 タケルが熱く語りかけると、


「どういうこと?」


 セジはキョトンとした顔になる。


「俺たちにとっても他人事ではないということだ。リザド・シ・リザドにいる奉仕者たちがどういう末路を辿るか、お前も聞いただろ。働くだけ働かされて、最期は爬神様に食べられてお終いだなんて、あまりにも(ひど)い話じゃないか。今の俺たちは爬神様を恐れ、それを見て見ぬ振りしているだけだ。そのことにお前は何も感じないのか?」


 タケルは苦渋の色を浮かべ問いかける。


「平和には犠牲が必要ってことだろ。爬神様に逆らってサムイコク自体が滅ぼされてしまうことに比べたら、奉仕者が食べられることになったとしても、それは仕方のないことだろ」


 タケルの熱い想いはセジには届かなかった。


 タケルはセジの他人事のような返事に、落胆の色を隠せない。


「お前の言っていることは間違っていないと思う。だけど、奉仕者へ志願する者たちは、爬神様に食べられるなんて夢にも思っていないんだぞ。爬神様に奉仕することに喜びを感じ、天国に行けると信じている者たちなんだぞ。だからこそ、家族や友人たちも奉仕者に選ばれたことを祝福し、喜んでリザド・シ・リザドへ送り出すことができるんだ。だけど、真実はそうじゃなかった。それなのに・・・それでも俺たちは嘘をつき続け、奉仕者を送り続けなければならないなんて、おかしくないか。真実を知った今、俺たちはそれを見過ごして良いのだろうか。それを許して良いのだろううか」


 タケルの胸は奉仕者たちに対する憐れみの気持ちで一杯だった。


 そして、奉仕者をリザド・シ・リザドへ提供する立場の人間として、自分自身を責めてもいるのだった。


「それで万が一爬神様に剣を抜いたら、サムイコクは滅びてしまうよ。俺たちがしなければならないことは、今の秩序ある世界を守ることで、世界を変えることじゃないよ」


 セジはいつものように、あっさりと言い返す。


「この国で公開処刑が行われることになっても、お前は見て見ぬ振りができるのか」


 タケルが真顔で問うと、


「もちろん」


 セジはきっぱりと答え、片頬に笑みを浮かべるのだった。


 セジにはタケルの想いがどうしても理解できないし、理解しようとも思わない。


 セジはもう結論を出していて、議論する気もないし一緒に考える気もなかった。


 何が何でもサムイコクを守ることがすべてなら、犠牲者をどれだけ出したとしても、今のまま、何もしないまま、爬神様に従うことが正解だ。だから、セジは今のままでいて何の問題もない。


「お前は冷静だな、セジ。そう言われたら反論できないよ」


 タケルはセジに自分の考えをわかってもらうことを諦め、頭を掻きながら降参した。


 タケルが降参すると、


「でもさ、そもそも爬神様に剣を抜くって言い出したのはサスケだよね。サスケがみんなをけしかけたんだよね」


 セジは矛先をサスケに向けた。


 そのときのことをセジは今でも苦々しく思っていて、サスケを見る眼差しには怒りがこもっている。


 サスケはそんなセジを見てふと寂しげに笑う。


「けしかけるもなにも、おかしいものはおかしい。俺は見て見ぬ振りができないだけだ」


 サスケは真顔で応え、そっぽを向くようにセジから目を逸らした。


 その瞳の奥にあるのは、この世界に対する憤りだった。


「なるほどね。でも、サスケは部隊長の一人なんだから、私情に振り回されちゃだめだよ」


 セジはサスケの置かれている立場というものを指摘し、訓練場でのサスケの言動を非難した。


 これは義憤であって、私情ではない・・・


 サスケはそう言い返したい気持ちをグッと(こら)え、


「俺はタケルに従うだけだ」


 不機嫌にそう言うだけだった。


「ありがとう、サスケ」


 タケルはサスケの言葉に感謝する。


「俺もだ」


 アジもそう言ってタケルへの忠誠を誓う。


 二人の想いに、タケルは胸が熱くなる。


「アジもありがとう」


 タケルは照れくさそうに感謝の気持ちを伝え、酒を一口飲んだ。


 それから、


「セジは?」


 タケルは冗談めかしてその意思を問う。


「うーん」


 セジは考える振りをしてから、


「俺はムサシ様と父上に従う。タケルに従ったら、ひどい目に合いそうだから」


 と冷静に答え、それから、


「それにしても、タケルも変わったよね」


 そう言って皮肉めいた笑みを浮かべた。


 セジに〝変わった〟と言われ、タケルは自分がどう変わったのか興味を覚えた。


「どう変わった?」


 自分の正面に座るセジに前のめりになって訊いてみる。


 セジは呆れ顔でふーっと息を吐き、


「だって、タケルは兎人を見下してたんだぜ。それが今では兎人と仲良くして、ラビッツの擁護までするんだからね」


 そう不満顔で答えるのだった。


 それはタケルにとって胸に痛い言葉だった。


「セジの言う通り、俺って嫌な奴だった。今なら心からそう思う」


 真剣な眼差しで、しみじみと過去の自分を省みる。


 深く反省するタケルの態度に、セジは慌てた。


「いや、兎人を見下すのは当然のことだよ。俺が言いたかったのは、逆だよ、逆。前のタケルの方が良かったってことなんだから」


 セジはそう言ってタケルを慰めた。


 しかし、そのセジの慰めの言葉は、今のタケルには意味のないものだった。


 タケルはセジの目を真っ直ぐに見つめ、


「セジ、俺は無知だったんだよ。兎人のことを何も知らないくせに、ただの思い込みで下等な人種族だって、そう決めつけていたんだから。俺は本当にバカだった。俺は稀に見る愚か者だった」


 と告白し、自嘲的な笑みを浮かべた。


 タケルのその言葉は、自分の愚かさを戒めるためのものではあったが、その自分の愚かさから学んで欲しいという、セジへの思いが込められたものでもあった。


 しかし、セジにそんなタケルの思いは届かない。


「そうは思わないけど」


 セジはそっけなく応え、酒を一口(すす)る。


「お前もあいつらに会えばわかるさ。あいつらに会って、俺は人間にとって大切なものが何なのかわかったんだ」


 タケルがそう言うと、


「ふーん。大切なものねぇ・・・」


 セジは気のない相槌を打つ。


 タケルは構わず言葉を続ける。


「人間にとって大切なもの、それは、この肉体に宿る魂だ。この肉の体は魂の乗り物に過ぎない。あの日、新世界橋の上であいつらと出会って、そして、付き合っていく中で、俺にはそれがわかったんだ。あいつらといると、もう自分がちっぽけに思えてしょうがないんだ。賢烏(けんう)族とか霊兎族なんてどうでもいいことなんだよ。この体に宿る魂に、賢烏族も霊兎族もない。それがわかったから、俺は兎人を見下していた自分自身が恥ずかしくてしょうがないんだ」


 タケルは過去の自分を恥じるように笑うと、コップの酒を一息に飲み干した。


 そのタケルの想いを、アジとサスケは胸を熱くして聞いていた。


 二人の想いはタケルと同じだった。


 そしてあの日以来、タケルが人としてひと回りもふた回りも大きくなっていることを、二人は感じていたのだった。


「それ、俺もわかるよ」


 アジはタケルに同調し、


「大切なのはこの肉の体じゃない。俺もそう思う」


 サスケはしみじみと言う。


 そんな三人を見て、


「うわっ、気持ち悪っ」


 セジは顔をしかめるのだった。


 そんなセジに苦笑いするだけで、


「それはそれとして、イスタルに行ってみないか?あいつらに最近会えてないから、こちらから様子を見に行かないか」


 タケルはアジとサスケにイスタル行きを提案した。


「お、いいね」


 アジは喜んで賛意を示し、


「是非、行こう」


 サスケも乗り気だった。


「ふーん」


 セジがつまらなさそうにすると、


「行くか?」


 タケルは喜んで誘い、


「行かない」


 セジは真顔で即答した。


 そのあまりにもあっさりとした態度に、タケルは思わず失笑し、


「セジはセジらしく、それでいい」


 そう言いながら瓶を手に取り、コップに酒を注ぐのだった。


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