1.『音楽』嫌いの音大生
大昔に執筆した私の処女作品です。是非、読んでみて下さい。
「やめろよ!」
なぜ、僕はこんな事を言ったのだろう?
その言葉の向かった先には、誰ひとりいない。
「フワァ~ァ。夢・・?それにしても、なかなか目覚めの悪い夢だな」
アクビ混じりの寝ぼけた頭は、僕を魅惑のベッドからなかなか離してくれない。まだ朝だと言うのに、初夏の日差しがいたずらに僕の目をチクチクと刺激した。ようやく意識がはっきりしてくる中、僕は壁の時計を見る。
「少し、早く起きすぎたかなぁ?うわぁ、眩しい!」
ブラインド越しに光が差し込むと、それまで薄暗かった部屋の壁に、縞模様の色彩が幻想的に浮かび上がる。
「いつまで寝てるの?遅れるわよ」
なかなか起きないものだから、しびれを切らした母は最後通告を突きつけてくる。
母は呆れたのか、心配したのか、僕をからかう。
「あなたが寝坊するなんて、珍しいわねぇ?(笑)」
「おはよう、母さん。ひどいな、寝坊だなんて・・・大学の講義は午後からだって言わなかった?」
「あら、そうだったかしら?」
朝食の準備をしながら、そう言って小首を傾げる母を横目に、僕はTVをつけた。そして、二人で遅めの朝食を済ませた。僕が後片付けをしていると、身支度を整えた母が玄関に向かった。
「それじゃ、母さんは出掛けるからね」
「行ってらっしゃい」
こうして僕たちの日常は始まる。
僕はいわゆる母子家庭、母は中学校で音楽教師をしている。子供の頃に父を病気で亡くしてからは、女手ひとつで僕をここまで大きく育ててくれた。両親の影響もあり、僕は幼少の頃からピアノを習っていた。ピアノは嫌いじゃなかったけど、音楽にはそれほど興味が沸かなかった僕は、皮肉にも今では音楽大学に通っている。神のみぞ知る、人生とは何が起こるか分からないものだ。
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大学につくと、夏の暑さと同じくらい厄介な人物に遭遇した。さっき、通学途中にスマートフォンで見ていた『お告げサイト』が人気のはずだと頷く。僕は、占いやお告げなどの眉唾ものには興味が無かった。でも、今に限っては信じてしまいそうだ。
(『厄介事に巻き込まれるでしょう』やけに具体性抜群のお告げである)
「おっはよ〜!!ところで今晩、暇?」
「あのなぁ。なんだよ、その時間を超越した挨拶は。今から、もう夜の心配か?」
「そうだよ、それが何か!?なぁなぁ、そんなことより、今晩飲み会があるんだよ!聞いて驚け?なんと、あの梨紗ちゃんが来るんだぜ!」
こいつは同期の桑原雅樹、何かと鬱陶しいが悪い奴ではない。強いて言えば、ただのお調子者である。何故こんな奴が音大にいるのか僕は不思議でならなかったが、彼の父親はそこそこ名のある指揮者であり、母親はヴァイオリニストである。そんな音楽家ファミリーにありがちな、生まれながらにして『才能の有無とは無関係に』子供の進路が決まってしまう、と言ったアレだろう。そんな彼の事情を知った今でも、僕の不思議は未解決のままだった。
「僕も似たようなものか・・」
ふいに言葉が出てしまった。
「何か言ったか?」
「いや、別に。そう言えば、さっきお前が言ってた梨紗ちゃんって誰?」
僕は他人には興味がない。とは言え、自分に関心があるわけでもなかった。
「お前、知らないのかよ?あの梨紗ちゃんだぞ?梨紗ちゃん!これだから、ほんと、お前って奴は!いいか、よく聞け?」
鼻息を荒くしながら、僕の意思とは無関係に話を続けようとする。
「その話、長くなるか?だったら聞かなくて良いよ」
「音楽の敵め!」
「意味が分からない。それに何だよ?音楽の敵って。お前にそこまで言われる筋合いは無い。そんなことより遅刻するぞ!」
「あ~ぁ、早く夜になら無いかな?楽しみ~!!」
僕は音楽があまり好きではない。あまりと言うのは、ピアノを弾くのは好きだけど、ただそれだけだ。ほかに目標もなく、たまたまここに受かったから来ているだけだ。しかし、周りの学生は違って、本気で一流の演奏家や作曲家などを目指しているから、僕は完全にアウェイである。
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今日の講義が全て終わったので僕は帰ろうとした。これと言って特別な予定も無い。
(そう言えば、さっきあいつが言ってたな、飲み会のこと・・・)
そんな事を考えながら歩いていると、ふいに声をかけられた。
「なぁ、お前はどうするんだ?今日の飲み会。もちろん来るよな?」
案の定、声の主は奴だった。僕はあまり気乗りしなかったが『たまには良いか』とついうっかり口走ってしまった。
「そうじゃなくっちゃ!たまには良いだろ?しかも梨紗ちゃんが来るんだぜ!お前だって、彼女とお近づきになりたいだろ?」
「梨紗ちゃん?またそれか。そんな事、興味ない。たまには気晴らしにだなぁ・・」
「またまた~!照れるなって。そんな言い訳、しなくて良いよ。男なら、こう、もっとだなぁ・・素直になろうぜ!」
別に照れているわけでも、言い訳してるわけでもなく、いつも通り僕に大意はなかった。
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飲み会の場所に到着した僕らは、すでに外で待っている人たちと一緒に店内へ入った。
「こんばんわ~!さぁ座って座って!もうビール、頼んであるから~」
雅樹が妙に張り切っている。いつもながら女性の前では、俄然とヤル気を出すタイプだ。
(生ビール、お待たせしました)
「みんな、ビール来たぞ〜。それじゃ、お疲れ様!!俺は疲れてないけど〜(笑)せっかくだから自己紹介といこう!」
雅樹はいきなりのハイテンションで捲し立てる。
「まずは俺から。ヴィルトゥオーソ学科の桑原雅樹、二十歳。将来を約束されたヴァイオリニストだ。よろしく!!次はお前な」
雅樹は僕を名指しすると、場を盛り上げろと言わんばかりに無言の圧力をかけてくる。
「雅樹、自己紹介で嘘はダメだろ!」
無言の圧力に少しばかり力を貸してあげると、一瞬でその場の雰囲気は和らいだ。
「将来の無い、ヴァイオリニストの卵!!って何で俺の輝かしい未来に泥を塗る!!」
雅樹は自虐ネタを披露してまで盛り上げる。
「バカは放っておいて、僕は伊藤、音楽教育学部ピアノ科、以上」
話の内容はシンプルの極みであったが、そんなことは別にどうでもよかった。僕は最初の雰囲気作りに協力したわけで、あとはゆっくりと飲み食いでもしようと思った。
(ねぇ、今の人、めちゃくちゃカッコ良くない?ピアノ科かぁ。こんな人もいるんだね、うちの大学)
女の子達が僕を見ながらヒソヒソと話をしている。いつもの事ながら僕はこういうのは好きじゃない。だから合コンとか飲み会とかは面倒なのだ。
男子による自己紹介が続いたが、僕は話をまったく聞いてなかった。そしてほどなく女子の自己紹介が始まった。僕は自己紹介などに興味はなく、ビールを飲みながらタバコに火をつける。そんな僕の態度を見かねてか、雅樹が小声でよこやりを入れてきた。
「なぁ、お前のその態度、もうちょっと何とかならんのか?女の子がこんなにたくさんいるのに、つまらんヤツだな。お前、この中だったらどの子がタイプだ?」
「別に」
僕は正直な感想を述べた。『ただ飲んで食べれれば良い』とは言わずに。
「ちぇ、イケメンは言う事が違うな!正直に白状するなら今のうちだぜ!後で後悔するなよ?」
何を後悔するのか分からないが女の子たちの自己紹介を聞き流した。
「音楽科2年、清水梨紗です。よろしくお願いします!」
「おい見ろよ。やっぱ梨紗ちゃんカワイいな〜。そう思うだろ?お前と並ぶとモデルみたいじゃね?って並ばせね〜けどな」
雅樹が小声で話しかけてくる。
「興味ない」
僕は全くと言って興味が無かった。
「興味ないって、お前、ほんとに男か?アレついてるのか??」
他愛もない話をしているうちに女の子たちの自己紹介も残り一人となった。
「あ〜、この子は自己紹介しないから。私たちの引き立て役っ、違うかぁ、人数合わせ(笑)に一応呼んだだけ、友達ってわけでもないからさぁ。みんな、気にしないで。さぁ飲も~う!」
女の子の一人が取り繕ったように説明をした。僕は聞いていてムカついてきた。自己紹介を拒否された彼女のことは正直どうでも良かった。
「あの、その子の自己紹介も聞きたいな」
僕はそんな事を口走っていた。
(おい、やめとけよ。雰囲気悪くなるだろ!)
雅樹が小声で忠告してきた。
(何かムカついたから)
(頼むから、俺と梨紗ちゃんの時間を壊さないでくれ!)
「・・・あのぅ、私は自己紹介しなくて良いです・・・みなさんで楽しんで下さい)
おとなしそうと言うよりは暗い雰囲気、黒ぶちのメガネをかけており、お世辞にもお洒落とは無縁の女性だった。精一杯の気遣いなのだろう、気の毒にさえ感じた。
「本人も、あぁ言ってる事だし、今日は楽しく盛り上がろう!!」
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しばらく歓談が続き、女の子達が僕の周りに集まってきた。
(雅樹はちゃっかりと梨紗の隣りに陣取り、話に夢中であった)
「あの〜、伊藤君だっけ?初めまして〜ピアノ科なんでしょ?凄いね。わたし、ピアノは苦手なの。でもフルートはずっとやってて、だから伊藤君がピアノ弾けるなんて凄い。あのね、だから・・・」
(ほら、もっと色々聞きなさいよぉ。彼女がいるのか?とか、好きなタイプとか趣味とか・・・)
女の子たちがどんな意図で近づいて来たのかは、すぐ察しがついた。
「全部、聞こえてるんだけど。まず、彼女はいない、作る気もない。好きなタイプは特にない。趣味はピアノ。それで?ほかには??」
僕は打算と言うか、遠回しな物言いが嫌いである。それと、面倒な事が一番嫌いである。
「え〜と、だから・・・もっとお話がしたいなって思って」
女の子たちが次第に引いて行くのが分かった。僕はわざとキツく言ったが、これで良い、変に期待させて付きまとわれるよりよっぽどマシだからだ。
(なんか、期待はずれだったね、あの人。カッコいいから話そうと思ったけど、あ〜あ、どっかにカッコいい男、いないかな?)
女の子たちの本音が小声で聞こえてくる。
「悪い、ちょっと失礼」
僕はそう言って離席した。店外に出てみると、夏とは思えない程に涼しげであった。タバコに火をつけ、一人の時間を満喫する。分かっていたことだが、なぜここに来たんだろう?僕の頭にそんな思いが過る。タバコを吸い終えると席へ戻った。
先ほどまで僕が座っていた場所に目をやると、席がシャッフルされていることに気づく。みんな酔いが回っているのか、僕が戻って来たことにも気づいてない様子だった。この状況は、僕にとっては好都合であり、座れそうな席を探した。周りから少し離れたところに空席を見つけると、そこには自己紹介をしなかった女性がポツンと座っている。僕はその隣りに鎮座すると、まるで独り言のように語りかけた。
「今日はどうして来たの?」
女性は戸惑いを隠せない様子だった。自分が話しかけられるとは思ってなかったのだろう。
「なんとなく誘われたので来てみました」
うつむきながら、遠慮がちに呟いた。話すのが嫌いと言うわけではなさそうだ。
「僕も、今日に限って何故か来てしまった」
自問自答のように、独り言にも似た物言いだったが彼女はこう返してくれた。
「今日、私たちはここに来る運命だったのです」
彼女がどんな意味を伝えたかったのか分からなかったが、その言葉に、僕は反論する気さえ起きなかった。
「えっ・・?(笑)運命・・か。お前、面白いことを言うんだな」
僕は突然の言葉におかしくなり、思わず吹き出してしまった。
(なになに?何であの陰気メガネがイケメンと盛り上がってるの??あのイケメン、きっと、ああ言うのが趣味なんだよ)
「ちょっと、失礼」
僕の隣りにいきなり割り込んでくる人が居た。
「えっと・・・君、誰?」
「なんですの?わたくしの事を知らないとでも?」
「ああ、知らない。僕たち初めましてかな?」
「まあ、知らないものは良しとしましょう。でも、今から覚えておきなさい!?このわたくしは・・」
「悪い、興味ないから」
「ずいぶんな態度ですこと、良いかしら、覚えてらっしゃい。後悔する事になりましてよ」
「ご忠告、ありがとう」
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(すでにお店の予定時刻は過ぎていた)
「みんな、時間みたいだ。おひらきにしようぜ!二次会に行く人はそのまま残って!それじゃ、取りあえずお疲れ様!」
雅樹が二次会に行く人を集めだしていたが、もちろん僕に参加する意志はなかった。
「お前は二次会どうする?」
「聞くまでもないだろ?」
「だな、それじゃお疲れ〜」
僕はみんなと分かれて歩き出した。しばらく歩くと自販機が目に留まり、そこでコーヒーを買う。コーヒーを飲みながら、ふと夜空を眺めると、頭の中にさっきの言葉が流れた。
「・・・ここに来る運命だった・・」
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「ただいま」
時刻は22時、母は僕の帰りを待っていたようだった。
「遅かったわね」
「大学の連中と飲んでたんだよ」
「大事なそうだんがあるの」
「ごめん、シャワー浴びたら寝る。話だったら明日ね」
僕は音楽があまり好きではない。ピアノを弾くのは嫌いじゃないけど、ただ、それだけだった。
夢も希望も目標も何も無い、僕は何のために生きているのだろう。
こうして今日も終わろうとしていた。
平穏を望むこんな僕に、まさかあんな出来事が訪れようとは想像もできなかった。