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2.ピアノレッスン


 今日は大学の講義がない。これと言った予定もなく、アルバイトをしていない僕には、本当にすることがない。


「やっぱり、バイトでもするかな・・」


「ちょっと、今の話は本当?」

母が会話に入って来た。


「今の話って?」

「アルバイトするって話よ!」


「あ〜その事ね、暇だからバイトでもしようかなって思って」

「昨日、あなたに相談があるって言ったでしょ?そのアルバイトの事なのよ。今すぐ、着替えて支度なさい!!」


「・・誰が???」

「あなたに決まってるじゃない。早く、支度、支度!」


僕は訳も分からぬまま、母に言われるように支度を整えた。


「ところで、支度とバイトと、どう言う関係があるの?」

「母さんがピアノを教えてる事、知ってるでしょ?」


「ああ、学校に内緒でね」

「そうなの、内緒で。どうしてもって友人に頼まれたから引き受けたけど、本当は困っていたのよ」


「まさか?」

「さすが、察しがいいわね。今日からあなたがピアノの先生になりなさい。と言っても生徒さんは4人しかいないから大丈夫よ。うふふ」


「うふふ、じゃないよ。いきなり先生だなんて言われても無理だって。教えた事なんて無いんだから」

「母さんを失業させたい気なの??」


「分かったよ、やりますよ・・やればいいんだろ」

「はい、これが生徒さん達のレッスン記録。よく目を通しておいてちょうだいね」



 週に一度の土曜日、4人の生徒さんが訪れる。全員とも女の子、いずれも母さんの知り合いのお子さんたちだ。小学生が2人、中学生が1人、高校生が1人、本格的にピアノを習得するのではなく、あくまで趣味として弾ければ良いとの要望で母がレッスンをすることになった。


(レッスン記録を眺める。へぇ〜、懐かしい曲ばかりだな、僕も昔はさんざん弾かされたなぁ)




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




(ピンポ〜ン)


「先生、こんにちは」

もう、最初の生徒が来てしまった。心の準備が出来ていない。


「こんにちは、み、みきちゃんかな?初めまして、きちんと練習してきたかな?」

「あなたは誰ですか?」


(彼女は小田みき、小学2年生。ピアノ歴は二年と言ったところだ)


「僕は今日からみきちゃんの先生になったんだ、今までの先生は僕のお母さん」

僕は子供相手にどう接すれば良いか戸惑っていた。


「江梨子先生は?」

江梨子先生とは僕の母である。


「江梨子先生は忙しくて、これからは先生が教えることになったからね、嫌かな?」

「嫌じゃない」


「ふぅ~良かった、それじゃ早速レッスンしようね。では、バイエルの95番から弾いてみようか」

(上手に練習して来たようである)


「次に、バイエルの96番ね」

(課題として出した曲はマスターしてきたようだ)


「先生、次はどんな曲を弾くの?」

「そのまま、バイエルを順番どおりにやっていこうね」

「は〜い」

(小さい子は素直でカワイいものである)


「ねぇ、先生。先生も弾いて。私、先生の弾くピアノを聴いてみたい」

(子供に曲のリクエストなど聞いてはいけない。アニメや動揺などを指名されてしまうに決まってるかるだ。ここは当たり障り無くクラシックピアノの曲をチョイスするのが無難だろう)


「そうだなぁ、知ってるかな?シューマンのトロイメライと言う曲」

「分からない、でも先生が弾いてくれるんだったら聞きたい!」


(シューマン作曲 子供の情景よりトロイメライ)


「どうだった?聞いたことあるかな?」

「先生、知ってるよ、この曲。先生、お上手だね!!」

「あははは(笑)お上手だった?ありがとう!それじゃ今日のレッスンはおしまい。課題曲の練習、きちんとしてきてね」

「先生、ありがとうございました」

「気を付けてね」


(ふぅ〜、次の生徒さんが来るのは30分後か)

僕はコーヒーを飲んで一息つくとピアノを弾き始めた。


(ショパン作曲 エチュード Op.25 No.1 エオリアンハープ)


僕はこの曲が好きだ。暇なときはたいてい弾いている。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




(ピンポ〜ン)



「こんにちは~」


「こんにちは、初めまして!ゆかりちゃんだね」

やはりと言うか、いきなり僕が現れたものだから戸惑っていた。


(彼女は天野ゆかり、中学2年生。ここに来る前は他の教室でレッスンを受けていたらしい。ピアノ歴は五年、チェルニーの30番を始めたところだ)


「あの~、江梨子先生は今日どうしたのですか?」

至極当然の質問だった。今日は最後の生徒さんまで、このやり取りから始まるのか・・・。


「今日から江梨子先生に代わって僕が先生になるからね。江梨子先生は僕の母なんだ」


「先生が代わったことは分かりました。でも、あなたがピアノを弾けるとは思えません。何か弾いてみて下さい。ただ聴いているだけの先生は必要ありませんから!」

手厳しい意見だけど当然かもしれない。僕は大好きなあの曲を弾くことにした。


「手厳しいなぁ、それじゃ弾くよ」


(ショパン作曲 エチュード Op.25 No.1 エオリアンハープ)


僕は流れるようにピアノを奏でた。その様子を時が止まったかのように聴きいる彼女。


「・・この人・・・上手い・・・カッコいい!」

「何か言った?僕は言われた通りに弾いたのだから、もうレッスンを始めるよ」

「あっ、はい。お願いします」


「早速だけど、課題を弾いてみてね」

彼女は機械のようにピアノを叩いた。


「はい、次の曲」


(この子には難しいはずのパッセージも難なく弾いている)


「はい、よく弾けてるよ。確かにこれはエチュード・ドゥ・メカニズムなんだけど機械的すぎるね。こう弾いてみて!」


(僕は強弱を意識して緩急をつける)


「私が弾いたのと違う曲みたい、分かりました」


「次はこれを弾いてね。良く聞いて雰囲気を掴んで」

(僕は次に出す課題の2曲を演奏した)

「はい、分かりました」


「次週までにこれらの2曲を練習して来てね。本日のレッスンは終わりです」

「あの先生?」

「どうしたの?」

こう言うタイミングで来る質問は、たいてい良からぬものと相場が決まっている。


「あの、さっき先生が演奏していた曲、もう一度弾いてもらって良いですか?」

僕は少し安心した。てっきり『彼女はいますか?』などと言った思春期の女の子にありがちな興味本位かと思っていたからだ。


「ああ、そんなこと。良いよ、そこに座って聞いててね」


(ショパン作曲 エチュード Op.25 No.1 エオリアンハープ)


「はい、おしまい。この曲を知っているのかい?」

リクエストした生徒は、涙ぐんでうつむいている。何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。


「どうしたの?何か嫌なことでも思い出させてしまった?」

僕は取り繕ったように話を逸らした。だから、この年頃の女の子は苦手である。


「違います。さっき、この曲を初めて聴いたのですけど、先生のイメージにピッタリと言うか、とても綺麗だなぁって思いました。そうしたら急に涙が出てしまい・・すみませんでした」


「謝ることはないよ。『ショパンの練習曲25−1エオリアンハープ』って曲だよ。まさか、先生のピアノが誰かを喜ばせるなんて、自分でもちょっと驚きだ」


「先生、ありがとうございました」


午前中のレッスンはこれで終了だ。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




(ピンポーン)


「こんにちは・・・江梨子先生・・・は?」

次の生徒がやって来た。またこれか、三度目ともなると手慣れたものだ。


「はいはい、江梨子先生に代わって今日から僕が新しい先生だからね。ちなみに江梨子先生は僕の母だよ」


(彼女は高城まどか、小学6年生。ピアノ歴は四年でソナチネを始めたところだ。おとなしめな子でピアノが上手になりたいそうだ。練習は熱心でピアノが大好きなのだと書かれていた)


「それじゃ、あらためて。こんにちは、まどかちゃん。頑張って練習してきたかな?」

「・・はい」



「それでは、さっそく課題曲を弾いてね」


(課題曲 クーラウ作曲 ソナチネ Op.20 No.1)


「終わりました」


「上手に弾けたね。文句なしだよ。次の課題に進もうね。ところでピアノは楽しい?」

僕は何を思ったのか、突然こんなことを聞いてしまった。


「はい、楽しいし好きです」

「良かった、一緒に頑張ろうね。それじゃ、今日のレッスンはおしまい」

「ありがとうございました」




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




(ピンポーン)


「こんにちは~!」

本日最後の生徒さんが訪れた。


(彼女は山本栞、高校1年生だ。ピアノ歴は三年ほどで、練習はあまり好きではないらしい。その割りには有名な曲や難しい曲を弾きたがる困った子である)


「こんにちは!江梨子先生に代わって今日から僕が新しい先生だからね。ちなみに・・・・」

途中まで言いかけたが、彼女が会話を塞いだ。


「あぁ、そう言うの良いから。新しい先生なんでしょ?とにかく早く始めようよ。先生、ベートーヴェンとか弾ける?」


困ったものだ。今時と言うのか、何を考えているんだろう。僕は返答に困った。


「ベートーヴェン?弾けなくはないけど」

「マジで?スゴいじゃん、だったら月光弾いてよ!有名でしょ?」

彼女のペースにはまっている気がするけど、面倒は嫌だからあわせることにする。


(ベートーヴェン ピアノソナタ 月光 第三楽章)


「なにそれ?違うって。先生、月光って知ってる?よくテレビとかで良く流れるあれ!」


どうやら第一楽章のほうだった。


(ベートーヴェン ピアノソナタ 月光 第一楽章)


「それそれ、良いよね。その曲、私にも弾けるかな?」


「栞ちゃんが今どの程度ピアノが弾けるか分からないから、ハノンの一番を速めに弾いてみて」


「はい、ハノンね!分かった」


そこそこの速さで弾けている。これなら月光も弾けるかな。


「それじゃ、さっそく月光の練習でもしようか」

母はよく彼女のワガママに付き合ってきたものだと感心する。


彼女は月光の最初の四小節を何度も繰り返し練習している。


「来週までにここまでやってきてね」


僕は指定した箇所までピアノを弾いた。


「頑張って来るからね、先生ピアノも上手だし、超カッコいいから、私もやる気が出てくるよ」


「それは良かった。ピアノ頑張って!それじゃ、レッスンは終わり!」


最後の生徒さんが帰った。慌ただしい1日だったけど、悪くない気分だ。僕はそのままピアノを弾いた。



(リスト作曲 愛の夢 第一番)

(リスト作曲 愛の夢 第三番)



今までにない緊張を味わえる、なんて期待が僕に生まれた。そんなことを考えていた矢先、母が尋ねてきた。


「今日はどうだったの?先生!」

「暇潰しにはちょうどいいかな。ピアノなら願ったりだし」

「そう、良かったわ。親御さんには先生が息子に代わったことを早目に伝えなくちゃね。そうそう、お月謝も上げてもらわなくちゃ!うふふ」

「月謝、普通は下げるんじゃないの?」

「良いのよ、こんな機会でもなきゃ言い出せないでしょ?(笑)」

「さいですか・・・」


何の変化もなかった僕の日常に新たなページが加わった。その夜、僕は緊張と疲れから早く寝てしまった。そしてあの不思議な体験をするのであった。


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