第31話 妖将の真骨頂。三体の妖怪、一時的なる「巨大な真の姿」への変態
大宮ダンジョン第九階層。
第八階層へと続く関所の入り口にて、太田佑は自身の足元で渦巻く漆黒の影へ向けて、数百個に及ぶ高品質な魔石のストックをすべてぶちまけた。
ジャララララララララッ……!!!
中層のボスたちから抉り出し、丹念に貯蔵してきたエネルギーの結晶。
それが、水彩画の黒インクが深海へと沈んでいくように、影の中へと次々に吸い込まれていく。
直後、大宮ダンジョンの空間そのものが、悲鳴を上げるように激しく震動し始めた。
【致命的なエラー。致命的なエラー。】
【対象妖怪の霊格が、観測不能な領域へと突入しています。】
【テイマーの精神リンクに深刻なダメージ。直ちに術式を解除してください――】
脳内で絶叫するシステムのアラートを、佑は「黙れ」と一蹴した。
精神を焼かれるような激痛が走る。だが、前世の戦場で味わった、腹を槍で抉られながら泥水を啜ったあの痛みに比べれば、システムがもたらす負荷など児戯に等しい。
「来いッ!! 『妖将』の真の姿を、この絶望の底に顕現させろッ!!!」
佑の凄絶な咆哮に応えるように、彼の足元の影が、関所の空間全域を覆い尽くすほどの規模で爆発的に膨張した。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
凄まじい霊力の奔流が、黒死の騎士が放ったドス黒い呪いの冷気を、物理的な暴風となって吹き飛ばす。
そして、暗黒のインクが飛び散る影の底から、三つの『規格外の厄災』が、天地を裂くような産声を上げて誕生した。
『ウオォォォォォォォォォォォッ!!』
最初に顕現したのは、先ほど黒死の騎士のたった一撃で粉砕された『塗り壁』だった。
だが、その姿はもはや、空間に固定された目に見えない透明な断層ではない。
莫大な魔石を喰らい、リミッターを外されたそれは、巨大な『実体』を持って現れた。
ズズズズズズズッ……!!
関所の岩壁と同化するようにして立ち上がったのは、見上げるほどに巨大な、苔むした『漆黒の城門』。
太い注連縄が巻かれ、無数の梵字が刻まれたその重厚な石垣は、かつて関東を支配した名城の土台を思わせる、絶対的な質量と威容を誇っていた。
高さ二十メートル、厚さ十メートルにも及ぶ和風の要塞が、西洋の悪夢たちの進行ルートを完全に、そして物理的に塞ぎ塞いだのである。
「(……第一の陣。万軍を退ける絶対の要塞、『塗り壁(城塞形態)』)」
続いて、城門の頭上――暗く高い岩天井の影から、毛羽立った巨大な八本の脚が、音もなく這い出してきた。
『シュルルルルルルルッ……!!』
建物を丸ごと覆い尽くすほどの、おぞましい巨体を誇る大蜘蛛。
『土蜘蛛』の巨大形態であった。
その腹部から射出されるのは、もはや極細の不可視の糸ではない。鋼鉄のワイヤーよりも太く、銀色にギラギラと輝く『死の捕縛網』。
土蜘蛛が天井を這い回りながらその網を投網のように広げると、上空から迫っていたヴァンパイア・バットの群れが、一網打尽に絡め取られる。
ギチギチギチッ!!
銀糸が収縮するだけで、Aランクの魔物たちの身体がトマトのように容易く圧壊し、大量の光の粒子となって降り注いでいく。
「(……第二の陣。天羅地網を張る死の絡繰り、『土蜘蛛(巨大形態)』)」
そして、最後。
城門の頂上に、太陽が昇るかのような眩い黄金の閃光が弾けた。
『コォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!』
神気を帯びた圧倒的な咆哮。
そこから姿を現したのは、もはや可愛らしい小狐の面影など微塵もない。
体長三十メートルを超える、黄金の毛並みを持った巨大な妖狐。その背後には、川のようにうねる『九本の尾』が、神々しい燐光を放って揺らめいていた。
『管狐(九尾形態)』。
その巨大な口から吐き出されるのは、黒死の騎士の呪いを中和し、焼き尽くす、極彩色の『狐火』の奔流である。
「(……第三の陣。呪いを焼き尽くす神代の炎、『管狐(九尾形態)』)」
和の妖怪たちが、その真の姿を現した瞬間。
8Kドローンのカメラを通じて、この光景を目の当たりにした世界100万人の視聴者たちは、完全に言葉を失い、自らの目を疑った。
『………………………………は?』
『えっ……? 城……? 巨大な城門が生えてきたぞ……!?』
『蜘蛛!? ビルくらいあるクソデカい蜘蛛が天井に!!』
『キツネ……九尾の狐!? 伝説のバケモノじゃねえか!!』
『これ、太田ニキが召喚したのか!?』
『見えない守護霊なんかじゃない……。実体化した、規格外の巨大妖怪軍団だ!!』
『テイマーってなんだっけ……? あんなの、国を滅ぼす魔王の軍勢だろ!!』
これまで、透明な罠や見えない壁を使って「運よく倒している」ように見せかけていた底辺職の青年。
その彼が、絶体絶命の危機において、ついに隠し持っていた『真の戦力』を解放した。
視聴者たちの脳を焼くような、圧倒的すぎるカタルシス。
画面は瞬く間に、狂乱と熱狂、そして畏敬の念に満ちたコメントで埋め尽くされ、投げ銭のエフェクトが滝のように流れて視界を塞ぐほどになった。
だが、その狂熱の中心にいる佑は、もはやドローンのカメラに向かって「怖いよぉ」と泣き言を言うことはなかった。
彼は、巨大な塗り壁(城門)の頂上――九尾の狐の足元へと軽やかに跳躍し、城壁の上から、眼下に広がる何万という西洋モンスターの群れと、黒死の騎士を見下ろしていた。
「……さて。外野への愛想笑いはここまでだ。ここからは、俺の『本軍』をもって、貴様らを一匹残らずすり潰す」
佑の声は、これまでのオドオドとした気弱な青年のものではない。
戦場で何万という命を指揮し、自らも血の海を渡り歩いてきた、冷酷無比なる『妖将』の絶対的な号令だった。
そののっぺりとした狐面の奥の瞳には、一切の感情を排した、氷のように冷たい殺意だけが宿っている。
『ギルルルルルルォォォォォォォッ!!!』
目前で巨大な城塞と化け物たちが顕現したことに、黒死の騎士もまた、深層の主としてのプライドを刺激されたのか、激しい怒りの咆哮を上げた。
騎士は巨大な大剣に、先ほど塗り壁を一撃で粉砕した以上の、ドス黒い呪いの冷気を極限まで収束させる。
ズンッ!!
大地を蹴り、四メートルを超える黒騎士の巨体が砲弾のように宙を舞う。
狙うは、城門の頂上に立つ佑の首。
空間を切り裂き、すべてを死の氷へと変える必殺の剣閃が、佑の頭上へと振り下ろされた。
「(……来い)」
佑は、一歩も引かず、腰の解体ナイフを抜くことすらしなかった。
ただ静かに、足元の巨大な城門へと思念を送る。
ゴッガァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!
大剣の直撃。
だが、今度は違った。
限界突破し、実体を持った『塗り壁(城塞形態)』は、黒死の騎士の全力の一撃を、分厚い石垣の表面で完全に受け止めていた。
火花と呪いの冷気が凄まじい勢いで撒き散らされるが、城門には微かなひび割れ一つ入らない。
『……ギルッ!?』
信じられないというように、騎士の兜の奥の鬼火が揺らぐ。
「(どうした、西洋の鉄屑。俺の城は、貴様の鈍ら剣で斬れるほど柔ではないぞ)」
佑が酷薄な笑みを浮かべた瞬間、城門の上空から、極彩色の炎が滝のように降り注いだ。
『コォォォォォォォォォォンッ!!』
九尾の管狐が放った、神代の狐火。
それはただの熱ではない。呪いを浄化し、魔力を燃やし尽くす『破魔の炎』だ。
黒死の騎士の装甲を覆っていたドス黒い氷が、狐火に触れた瞬間にジュワァァァッと音を立てて蒸発していく。
『ガァァァァァッ!!』
深層の主が、初めて苦悶の声を上げ、後方へと大きく跳び退いた。
だが、その退路すらも、すでに妖将の計算の内である。
「(……逃がすか。土蜘蛛、絡め取れ)」
シュバババババッ!!!
天井に張り付いていた巨大な土蜘蛛が、騎士の着地点を予測し、太い銀色の粘糸を何本も射出した。
鋼鉄の鎖のような糸が、黒死の騎士の巨大な両腕と、大剣の刀身に幾重にも巻き付く。
先ほどの不可視の糸は騎士の冷気で凍らされたが、限界突破したこの銀糸は、呪いの冷気すらも強引に締め上げ、決して切れることはない。
『ギ、ギルルルルォォォォォッ!!!』
黒死の騎士は、両腕を拘束され、もがき苦しみながら、配下のデュラハンやレイスたちに向かって、一斉攻撃の命令を下した。
主の危機に呼応し、何万という深層のスタンピードが、怒涛の勢いで塗り壁の城門へと押し寄せてくる。
だが、それは単なる『自殺行為』に過ぎなかった。
「(……良いぞ。有象無象は、すべて我が城の泥濘に沈めてやる)」
佑が右手を高く振り上げ、鋭く振り下ろした。
それを合図に、和の妖怪軍団による、一方的で泥臭い『蹂躙』が幕を開ける。
土蜘蛛が、天井から無数の銀糸の雨を降らせ、デュラハンの騎馬隊を串刺しにする。
九尾の管狐が、巨大な九つの尾を鞭のように振るい、狐火の嵐でレイスの大群を広範囲にわたって灰塵に帰していく。
そして塗り壁は、その圧倒的な質量をもって、押し寄せる敵をただ物理的に『すり潰し』続けた。
鮮やかな極彩色の炎と、銀色の糸、そして漆黒の城門。
それが、西洋の悪夢たちを次々と光の粒子へと変えていく。
もはや防衛戦ではない。それは、妖将・太田佑が指揮する、完全なる『包囲殲滅戦』であった。
『すげえ……!! すげええええええっ!!!』
『あの絶望的な大群が、逆に蹂躙されてる!!』
『和風妖怪の軍勢が、西洋のモンスターをすり潰していく爽快感ヤバすぎる!!』
『太田ニキ、完全に城主じゃねえか!! あの指揮の取り方、素人じゃないぞ!!』
『これ映画化決定だろ!! ドローンのアングルが神がかってる!!』
世界中の視聴者たちが、その圧倒的な無双劇に我を忘れて熱狂する。
同接数はついに150万人を突破し、人類の配信史上に残る伝説の数字を叩き出していた。
城門の上で、吹き荒れる狐火の熱風と、敵の血飛沫の光を浴びながら。
太田佑は、土蜘蛛の糸に拘束され、もがき苦しむ『黒死の騎士』を冷然と見下ろした。
「(……有象無象の掃除は終わった。あとは、貴様のその無駄に分厚い装甲を引き剥がし、姉ちゃんを呪った代償を、魂の底まで支払わせるだけだ)」
佑の右手に、再び解体ナイフが逆手で握られる。
妖将は、城門の頂上から、拘束された深層の主へ向けて、死を運ぶ一陣の風のように跳躍した。
最終決戦の幕が、今、切って落とされた。




