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第5話

四方八方から、やかましい声が飛び交っている。


実に見ものだった。


ゴブリンどもが、あちこちで引っ越しをすると言って荷物をまとめている。


短くはない人生を生きてきたつもりだが、まさか自分の人生で、ゴブリンが引っ越しをする光景を見ることになるとは、一度も思ったことがなかった。


「キェッ!」


ゴブリンが、牢に閉じ込めていた人間たちを解放し始める。


捕まっていた者たちは、何が起きたのかわからない様子で周囲を見回したあと、そのまま逃げ出していった。


誰も俺の姿は見ていないようだったが、むしろ好都合だ。


人間がゴブリンと会話しているなどという噂は、広まったところでいいことなど何一つない。


「準備は終わった、キィッ」


ゴブリンの祭司が近づいてきて言った。


そいつの後ろを見れば、人間から奪った荷車に、さまざまな荷物が山のように積まれている。


もちろん、その大半は人間である俺の目には、何の役にも立たないガラクタばかりだった。


だが、こいつらが持っていくということは、こいつらにとっては必要なものなのだろう。


俺に持っていくなと言う権利などない。


「じゃあ、出発するぞ」


俺の言葉に、ゴブリンどもがギャアギャアと声を上げた。


人間が先頭を歩き、ゴブリンがその後ろをついてくる。


ほかの人間が見れば、きっと俺を化け物だと思ったに違いない。


ザシュッ。


ちょうど、この人のように。


一匹のゴブリンが、悲鳴すら上げることなく地面に倒れた。


動揺したゴブリンたちが、背後を振り返る。


そこに立っていたのは、人間だった。


身につけている装備と、手に握った剣を見る限り、ただの人間ではない。


おそらく、冒険者。


「冒険者が、こんな辺鄙な場所まで来るとは思わなかったな……」


ピッ。


剣についた血を払いながらゴブリンを見ていたそいつは、顔まで含めて全身を鉄鎧で覆った人間だった。


そいつは俺を見ると、指でこちらへ来いと合図した。


「あなた、死にたくなければこっちへ来なさい」


声からして女だ。


おそらく、そいつは俺がゴブリンに捕まっている人間だと思っているのだろう。


「ケェッ! ど、どうする?! もう俺たち皆死ぬのか、キィッ!」


「おい、お前は連中を連れて先に洞窟へ行ってろ」


「だ、だが、俺は道を知らない、キィッ!」


「俺が進んでいた道を、そのままずっと行け。そうすりゃ出る」


「あ……わかった、キィッ!」


ゴブリンの祭司が奇声を上げながら走り出すと、残りのゴブリンたちもそれに続いて駆けていった。


俺を助けようとしていた冒険者は、俺がゴブリンどもを逃がしたのを見て、不思議そうに首をかしげた。


当然、おかしく見えるだろう。


ここに来る前の俺だったとしても、同じ光景を見れば変だと思ったはずだ。


捕まっていると思っていた人間が、むしろゴブリンに命令しているのだから。


「あなた、人間?」


「見ればわかるだろ。どう見ても人間だ」


「人間がどうやってゴブリンを指揮しているの?」


「方法があるからやってるんだよ」


俺が言葉遊びをしていることに気づいたのか、そいつは背中から盾を取り出して左手に構え、剣をこちらへ向けた。


「私はゴブリンを全て殺さなければならない。生きたいなら、どいて」


「残念ながら、それはできないな。俺にはあのゴブリンどもが必要なんだ」


ガキン!


ゴブリンが必要だと言い終わるやいなや、そいつは一気に俺の懐へ飛び込み、剣を振るってきた。


かなり速い。


ただの低級冒険者ではないはずだ。


B級か。

A級か。


おそらく、そのあたりだろう。


ガン、ガン、ガン!


剣と槍がぶつかり合う。


ドン、バキィッ!


盾が木を砕き、そのまま俺の身体を打ちつけた。


かなりの衝撃が槍を伝い、腕まで響いてくる。


「なかなか腕が立つじゃないか」


もう返事をする気はないということなのだろう。


そいつは俺の言葉にも口を開かなかった。


「つまらないやつだな」


盾と剣を持っているということは、騎士型ということだ。


つまり、攻撃と防御をどちらも取ろうとする欲張りというわけである。


そして、槍と盾なら有利なのは当然――槍だ。


バキィッ。


鉄で作られたそいつの盾が、そのまま貫かれた。


盾が一撃で貫かれたことに驚いたのか、そいつは後ろへ下がって避けようとする。


だが。


ザシュッ。


そいつの鎧まで貫き、槍の穂先がそのまま脇腹を斬り裂いていった。


穴の開いた鎧の隙間から、血がぽたぽたと流れ落ちる。


「そろそろ帰ったらどうだ?」


「くっ……」


俺の問いに、そいつは歯を食いしばるだけで答えなかった。


ならば残念だが、そいつの命を奪うしか――


『グレートヒール!』


別の女の声が、周囲に響いた。


同時に、目の前の騎士の身体を黄金の光が包み込む。


このスキルは神官の固有スキル、グレートヒール。


グレートヒールを習得しているということは、少なくとも司祭級の神官ということだ。


しかも。


『ファイアスピア!』


魔法使いまでいる。


ズガァン!


巨大な炎の槍が五本飛んできて、俺のいた地面に突き刺さり、爆ぜた。


「面倒なことになったな……」


これはよくない。


フルパーティーとまではいかないが、騎士、神官、魔法使い。


この三つは最も基本的なパーティー構成であり、同時に戦闘に最適化された組み合わせでもある。


「フレイア、大丈夫ですか!?」


白い服を着た神官の女が、騎士のそばへ駆け寄る。


「大丈夫」


「だから一人であんなふうに飛び出さないでって言ったでしょう……」


続いて、赤いドレスを着た女までもが近づいてきて、俺を睨みつけた。


「あなた、人間なのにどうしてゴブリンの味方をしているんですか!?」


俺だって、好きでゴブリンの味方をしているわけではない。


だが、生き残るためには仕方のない選択だった。


そう言ったところで、信じてくれる人間などいないだろうが。


「隣にいる騎士にも言ったが、俺にはあのゴブリンどもが必要なんだよ」


その言葉に、神官は何やら妙な勘違いをしたのか、深刻な表情で俺に尋ねた。


「あなた……魔王になるつもりですか?」


魔王か。


魔王になれるなら、それはそれで悪くない。


だが、俺は魔王になる方法を知らない。


そもそも、人間が魔王になれるものなのか?


人間が魔王になったら……ただの悪い王になるだけではないのか?


「オセリン、聞いても無駄」


「ですが……!」


隣にいた騎士が神官の肩に手を置き、前へ歩み出た。


「私の行く手を阻む者は、すべて殺す」


剣だけを手にしたそいつの身体から、少し奇妙な光が流れ出す。


「何か変だと思ったら……」


普通の冒険者が、あんな力を使えるはずがない。


どうやら、あいつは――


「勇者か」


勇者に会うのは久しぶりだ。


おそらく十年以上前。


十三年……くらいだったか。


「はあっ!」


鋭い気合とともに、騎士が俺へ向かって駆け出し、剣を振るった。


普通の相手なら、その力を受け止めていただろう。


だが――


俺も、かつては勇者だった者だ。


ヒュッ。


わかっている。


あの力をまともに受ければ、俺の身体が危険だということを。


そいつは逃がすまいと、今度は俺へ向かって横薙ぎに剣を振るう。


俺は身体をひねってもう一度かわし、後ろへ跳んで距離を取った。


「くっ……」


悔しそうに、そいつが再び剣を握り直す。


「今度は俺が……」


勇者の力を解放――しようとした。


だが、どうやら俺の主だというあいつは、俺を放っておく気がないらしい。


『早く戻れ』


その声とともに、俺の身体が光に包まれた。


「決着をつけられなくて残念だな」


「どこへ行くつもり!?」


よほど悔しかったのか、騎士が声を上げた。


「どこって。ゴブリンどもが目的地に着いたみたいだから、俺も戻るんだよ」


自分の身体が、少しずつ透けていくのが見えた。


「待って!」


「またあとで会おうぜ」


最後の挨拶が終わるやいなや、視界がぱっと明るくなり、次の瞬間には真っ暗になった。


しばらくして視界が少しずつ明るくなると、目の前にいたのは巨大な白色のモンスターだった。


「ただいま」


焚き火のぱちぱちという音が響いている。


今はもう存在しないゴブリンの村。


その場所で、三人が焚き火を囲んで座り、炎の中で燃えていく薪をじっと見つめていた。


「あいつ……いったい何者なの?」


ズレイには信じられなかった。


フレイアはれっきとした勇者だ。


並の人間や冒険者など比べ物にならないほど、強大な力を持つ者だった。


そんな彼女が押された。


もちろん、完全に負けたわけではない。


途中で、あの男が逃げるように姿を消したのだから。


だが、戦い続けていたとして、フレイアは勝てただろうか。


それもまた、違う。


「勇者と渡り合える人間……それは……」


オセリンが小さく呟いた。


勇者と渡り合える人間は、たしかに存在する。


勇者と戦える人間。


それは、つまり。


「勇者……」


「あの男が勇者だって?」


「ですが……勇者でなければ、勇者と渡り合って勝てる人はいません」


「たしかに、それはそうだけど……」


ズレイはもう一度考えてみた。


茶色の長い髪。


口元にまばらに生えた髭。


筋肉の一つもなさそうな痩せた身体。


何度考え直しても、その姿は勇者とはかけ離れていた。


「違うと思うけどな……」


「私も、違うと思いたいですが……」


勇者がモンスターに命令している。


それは、ほかの勇者たちにとっても良くない知らせだった。


モンスターを自由に操る勇者の話が広まれば、ほかの勇者も同じことができるのではないかと警戒する勢力がさらに大きくなる。


そうなれば、ただでさえ少ない支援金はさらに削られ、人々に無用な警戒心まで抱かせることになるだろう。


「フレイア、あなたが言って。あの人、どう思う?」


実際に剣を交えたのは、フレイアだけだ。


その彼女の言葉を待ち、黙って座っている二人に向けて、フレイアはゆっくりと口を開いた。


「違うと思う」


フレイアもまた、考えなかったわけではない。


戦闘が終わってから、今いる野営地にたどり着くまで、ずっと考えていた。


自分がなぜ押されたのかを。


自分の戦い方を見透かしているかのような動き。


力を解放した時、すでに何が起こるのか知っていたかのような行動。


彼が勇者である可能性は、たしかにある。


だが、もし彼が勇者ならば、必ず世間に知られているはずだ。


しかし、これまで彼女が見聞きしてきた勇者たちの中に、彼と似た外見をした者は一人もいなかった。


彼女の言葉に、二人は静かになった。


少しして、ズレイが深くため息をつく。


「だから言ったじゃん。この依頼は受けるなって!」


「それはもう過ぎたことじゃないですか。過ぎたことを後悔しても仕方ありませんよ」


「オセリン! うやむやにしないで! あの時、あんたもフレイアを止めてたら、この依頼を受けずに済んだんだからね!」


「知っているでしょう? フレイアは一度決めたことを変えないって」


そう言って微笑みながら、オセリンはフレイアを見た。


フレイアは木の枝で焚き火をかき混ぜながら言った。


「むしろ、よかった」


「よかった?」


フレイアが頷く。


「世界の脅威になるかもしれない人間に出会えた」


その言葉に、オセリンが小さく笑った。


「そうですね。むしろ、もっとよかったです。その人がさらに強くなる前に、倒せばいいのですから」


ズレイは深くため息をついた。


「倒すって……こっちが倒されるかもしれないんだけど……」


「ズレイは悲観的すぎます。もっと前向きに考えましょう!」


「はぁ……口さえ開かなきゃねぇ……」


そう言って、ズレイはくすりと笑った。

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