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第1話

頭がずきずきする。

なぜかと聞かれれば、俺にもよくわからない。


二日前に飲んだ酒のせいだろうか。

いや、それはない。


なら、昨夜の殴り合いのせいか。

それも理由の一つではあるだろうが、できるだけ頭は守っていたし、そもそも一方的に俺が相手をぶちのめしただけだ。

ここまで頭が痛くなるほどのことではない。


「あ」


思い出した。

今朝、馬車に轢かれたんだった。


昨夜の熾烈な戦闘――と言っても、酒を樽ごとあおっただけなのだが――そのせいでふらついていた俺を、馬車が轢いていった。

おそらく俺が歩道を歩かず、車道をふらふら歩いていたからだろう。


「クソ野郎……」


人を轢いたのなら、せめて医者のところへ連れていくのが人としての道理だろうに。

だが、俺が目を覚ました場所は、医者どころか人っ子一人いない洞窟の中だった。


「洞窟?」


なぜ洞窟なんだ。

俺が倒れた場所は、たしか大都市ルクペンの中だったはずだ。


俺の予想では、こうだ。

人を轢いた。

だが、都市の中に隠しておけば見つかるのは目に見えている。

だから都市の外へこっそり抜け出し、近くの洞窟に放り込んだ。


「見つけたら覚えてろよ、あのクソ野郎」


必ずボロ雑巾みたいにしてやる。


だが、そんなことができないということを、俺はよくわかっていた。


俺はかつて勇者だった。


勇者。

名前だけ聞けば大層なものだが、実際は名前が大層なだけで、普通の冒険者より少し才能に恵まれた人間、という程度のものだ。


そんな人間たちを勇者に任命するものだから、当然のように死んでいく勇者も多かった。


野外で盗賊どもの集中攻撃を受けて死ぬ者。

ダンジョンを探索中、モンスターに頭を食い千切られる者。

さらには、勇者は国王から支援を受けているから金持ちだ、などという噂が広まり、町の中の物乞いどもが持つ錆びきった短剣で心臓を裂かれて死ぬ勇者まで、ちらほらいた。


もちろん、それは馬鹿げた噂だ。


国王からの支援がないわけではない。

だが、それは任命されたときに渡される最低限の初期資金にすぎない。

物乞いの生活が一変するほどの金をもらえるわけではないのだ。


そもそも、少し考えればわかる。

一年に何十人、何百人という勇者が任命され、そして死んでいく。

国王がそんな連中に金を使いたがると思うか?


俺が国王でも、勇者なんていうろくでなしどもに無駄な金を使いたいとは思わなかっただろう。


俺もまた、かつては勇者だった。


のどかな田舎の村でモンスターを数匹退治したことが貴族連中の目に留まり、そのまま勇者として呼び出された。


きらきらと輝く瞳。

農作業で鍛え上げられた頑丈な肉体。

誰が見ても、まさしく勇者――のはずだと、俺は思っていた。


そう思っていたこと自体が笑える。


都市で訓練を受け、ぬくぬく育った貴族どもですら勇者になれないというのに、ただの農民が勇者だなんて。

おそらく俺が胸を張って歩いていたら、人々はゲラゲラ笑っていたに違いない。


さっきも言った通り、都市で訓練を受けて育った貴族どもですら勇者になれない。

つまり、勇者という地位は、ただの農民である俺が耐えられるようなものではなかったということだ。


俺の結末も、ほかの勇者たちの引退話とそう変わらない。


最初のうちは、命を懸けてモンスターと戦った。

ゴブリン、オーク。

ノールやビホルダー。

ガーゴイルを倒したこともあるし、巨体のオーガを仕留めたこともある。


そしてある日、ダンジョンの中で犬に腕を噛まれ、砕かれた。


もちろん、普通の犬ではない。

ケルベロスだ。


大事なことだから、もう一度言う。

ケルベロスに噛まれて、俺は勇者稼業を畳んだのだ。


とはいえ、勇者をやめたことを惜しいと思ったことも、後悔したこともない。


クソみたいな貴族どもと顔を合わせなくて済む。

魔王を討伐しなければならないという、馬鹿みたいに重い責任からも解放される。


それだけで十分だった。


この話を聞いた誰かは、負け惜しみだと俺を笑うかもしれない。

だが、どうでもいい。


誰が何と言おうと、俺はそう思っているのだから。


ぽたり、ぽたり。


水滴の落ちる音が、ふらつく俺の頭の中にまで響いてくる。


「いったいどこまで運んで捨てやがったんだ……?」


この洞窟の中を歩き始めて、もうかなり経つはずだ。

だが、不思議なことに出口が見えない。


あのクソ野郎が俺を洞窟に捨てたのなら、当然、外へ出る出口もあるはずだ。

なのに目に入るのは、頭上から今にも落ちてきそうな鍾乳石と、妙な光を放つキノコばかりだった。


「う……喉、渇いた……」


朝から水を飲んでいないせいで、喉がからからだ。

乾ききった砂漠の、ひび割れた荒野にでもなったら、きっとこんな感じなのだろう。


頭上の鍾乳石を伝って水滴が落ちているのを見る限り、この洞窟のどこかには湖があるはずだ。

だが、妙なものばかり目に入るというのに、肝心の湖は見当たらない。


「小さな水たまりでもいいから、頼む……」


水さえ飲めれば、このくらくらする頭も少しはましになるはずだ。


そう思いながら、さらに数分ほど進んだ。


ぽたり、ぽたり。


再び耳元に、水滴の落ちる音が届く。

だが、今度は違った。


ぽちゃん。


水滴が地面に落ちる音とは違う。

少し軽やかな音がした。


これは水滴が湖、いや、水たまりに落ちる音だ。


音のする方向へ、そう遠くない距離を歩いたところで――


「見つけた!」


目の前に広がっていたのは巨大な湖――ではなく、ただの小さな水たまりだった。


水の中には泥のようなものが少し沈んでいたが、表面のほうはそれなりに澄んで見える。


ごく、ごく。


乾ききった喉に水が流れ込んだからだろうか。

その水は、やけに甘く感じられた。


「ふぅ……」


少し喉を潤すと、頭がいくらか冴えてきた。


ひとまず急場はしのいだ。

あとは出口を探せばいいのだが――


――どこへ行けばいい?


真っ先に浮かんだのは、その疑問だった。


出口を目指して動いていたつもりではある。

だが、何よりも水が必要だったため、水音のする場所へ足を向けた。

しかし出口となると話は別だ。


俺が向かっている道が、実はこの洞窟のさらに奥へと続く道だったら?

その場合、俺は一生ここをさまよい続けることになる。


それだけではない。

奥へ進んだ先でモンスターにでも出くわした日には、それこそ俺の命日だ。


武器でもあれば、どうにかこうにかモンスターを殺して進めるだろう。

だが、今の俺が持っているものといえば、あちこち破れた服と、無事なところが一つもない身体だけ。


この状態では、あの弱いゴブリン相手でさえ危ない。


「はぁ……」


だからといって、前へ進まないわけにもいかない。

方角もわからない。

奥に何があるのかもわからない。


それでも、このままじっとしているわけにはいかない。

どこであろうと、とにかく進むしかない。


そうしなければ、俺は飢え死にする。


「はぁ……哀れな俺の人生」


勇者なんてものが、いったい何だというのか。

故郷で畑でも耕しながら、両親が決めてくれた相手と結婚していれば、今より少しは幸せな暮らしができていたはずなのに。


今さら後悔したところで遅いのはわかっている。

それでも後悔してしまうのは、どうしようもない。


「それでも、神はまだ俺を見捨てていなかったらしいな」


前へ進むうちに、俺の顔をかすめていくものがあった。

風だ。


この広い洞窟の中に風が吹き込んでいる。

それは一つのことを意味していた。


風が入り込む場所。

つまり、外とつながっている場所があるということだ。


おそらく、それは出口だろう。

そう思いたい。


風を辿ることには成功した――と言いたいところだが、失敗だった。


「おいおい……」


たしかに、風は外とつながっている場所から吹き込んでいた。


だが、残念なことに、その場所は目の前にそびえる巨大な岩山でも、背後にある俺が通ってきた通路でも、足元の地面の下でもなかった。


真上だった。


頭上、はるか高い場所に、ぽっかりと開いた大穴。

俺がこれまで見てきた穴の中で、一番大きな穴が、頭の上に口を開けていた。


「どこから出ろってんだよ!」


苛立ちのあまり大声を張り上げたが、残念なことに、声だけが風に乗って上へ抜け、外へ消えていった。


「あのクソ野郎、なんで俺をこんな場所に捨てやがったんだ……」


いくら人を轢いて怖くなったとはいえ、まだ死んでもいない人間をこんな場所に放り込むなんて、人間のやることか。


ますます、あのクソ野郎の頭を叩き割りたくなってきた。


俺は丸く突き出た岩に腰を下ろし、今いる空間を見回した。


「まるで蟻の巣だな……」


あちこちへ抜けていく穴が、やけに多い。

あの無数の穴の中に、出口へつながる道はあるのだろうか。


あるにはあるだろう。

だが、俺がそれを見つけられるとは思えない。


「よし、こういう時は……」


俺が勇者だった頃、一緒に旅をしていた友が教えてくれたことがある。


手のひらに唾を吐き、反対の手でぱんと叩く。

そうすると、唾が多く飛んだ方向に道があるのだ、と。


「ぺっ」


唾を吐いて、ぱんと叩いてみた。


「クソが」


両手が唾まみれになっただけで、どの方向に多く飛んだのかはまるでわからなかった。


「結局、運か……」


人生は運七割、実力三割だという。

いくら唾がうまく飛んだところで、運には敵わない。


そして俺の運は、まさしく――


「最悪……」


今のこの人生を見れば、最悪だということはすぐにわかる。

なら、せめて唾が一番それっぽく飛んだ方向へ進むのがましだろう。


そうして一歩、また一歩と、広く開けた空間を進んでいた、その時だった。


ゴゴゴゴ。


地鳴りが響いた。


身体が揺れ、腹の中がひっくり返るような揺れ。

これは自然に起きる地震ではない。


これは――


ヒュウウウッ。


ズガガガァン!


岩山が崩れ、地面が裂け、床が岩塊と化す。

そして、その隙間から何かが無理やり這い上がってきた。


それも、とびきり巨大なやつが。


ギイィィ。


背筋が凍るような音が、その巨大なものから響いた。


土煙が晴れ、目の前に現れたもの。


人間なら一口で丸呑みにしてしまいそうな巨大な牙。

土に汚れた白い鬣。

そして、黒い縞模様。


こんなモンスター、聞いたことも見たこともない。


そいつが落ちてから、そう時間も経たないうちに、また何かが一つ落ちてきた。


だが、あのモンスターとは違い、今度のやつからは、どん、という音が聞こえない。


当然だ。


そいつは、俺も知っている。

世間の誰もが知っている。

翼を持つモンスター。


ドラゴンだからだ。

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