時代小説は架空の話でもいいが、資料の読み込みが大変
時代小説は、物語そのものが架空であっても構いません。
しかしその場合でも、資料の読み込みは不可欠であり、しかも相当な労力を要します。
登場人物や事件を創作する自由はありますが、時代の空気、制度、言葉遣い、生活感まで架空にしてよいわけではありません。
ここが崩れると、物語以前に「嘘だ」と判断されます。
選者や編集者は、細部でその作品がどれだけ調べられているかを見ています。
たとえば、身分制度、金銭感覚、移動手段、時間の流れ、季節感、法律や慣習。
これらは物語の中心でなくても、必ず背景としてにじみ出ます。
一つでも現代感覚が混じると、時代小説としての信頼性は一気に失われます。
厄介なのは、架空の話ほど資料が必要になるという点です。
史実をなぞる場合は、出来事自体が骨格になりますが、完全な創作では、その骨格を自分で組み立てなければならない。
そのため、調べる量はむしろ増えます。
文学賞の観点では、時代小説はうまく書けてると非常に受賞の可能性が高いです。
その代わり調査に時間を取られ、その努力は文章上では見えにくい。
しかも、少しの誤りで評価を落とすリスクが高い。
架空であっても、時代だけは嘘をつけない。
それが、時代小説というジャンルの厳しさです。




