一人称単視点を使うなら、主人公が知らないことは書いてはいけない
一人称単視点の代表格は夏目漱石の「坊ちゃん」である。
これを見ると、家を売った話などは詳しいことは一向に知らぬと書いてあり、それでよい。
一人称単視点を選んだ以上、主人公の知らないことを書いてはいけません。
これは技術論ではなく、一人称という形式を選んだ時点で背負う契約です。
一人称は、「私」が見たこと、聞いたこと、考えたことだけで世界が構成されます。
にもかかわらず、主人公がその場にいない会話や、他人の内心を説明し始めた瞬間、視点は破綻します。
選考では、ここで即座に「視点理解不足」と判断されます。
よくある誤りは、
「彼は内心、こう考えていた」
「彼女は本当は恐れていた」
といった一文を、無意識に差し込んでしまうことです。
これは三人称の癖が抜けていない証拠であり、一人称では許されません。
他人の考えや過去をどうしても伝えたい場合、方法はあります。
手紙、日記、メール、録音、噂話、第三者からの伝聞――
つまり、主人公が「知るに至った経路」を物語の中に用意するのです。
この手間を惜しないことが、一人称の信頼性を保ちます。
逆に言えば、その手間を省いた瞬間、
「なぜ主人公はそれを知っているのか?」
という疑問が生じ、読者は物語から離れます。
文学賞では、この種の違和感は見逃されません。
一人称は没入感が高い分、一か所の破綻が致命傷になる形式だからです。
一人称単視点とは、自由な書き方ではありません。
制約の多い形式です。
しかし、その制約を守り切ったときにだけ、強い臨場感と説得力が生まれます。
主人公の視界の外にあるものは、直接は書かない。
書きたければ、物語の中で「知る理由」を作る。
それが、一人称単視点の最低条件です。




