↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/57

一人称複視点は絶対に使ってはいけない

文学賞を狙うのであれば、一人称複視点は絶対に使ってはいけません。


これは好みや流行の問題ではなく、評価上の明確なリスクだからです。


一人称は、語り手の視界・知識・感情に物語が強く縛られます。


その制約があるからこそ、臨場感や切実さが生まれます。


ところが複数の一人称を使った瞬間、その前提が崩れます。


読者は「いま誰の意識にいるのか」を逐一確認しなければならず、物語への没入は確実に削がれます。


選考の場では、ここで失格です。


「技巧的にやろうとして失敗している」


「視点の基礎が分かっていない」と判断されるからです。


さらに悪いのは、一人称複視点を許してしまうと、癖になることです。


この癖は三人称に移っても残ります。


必要のない場面で視点を移動し、説明できることをすべて説明し、結果として「誰の物語なのか分からない」作品になります。


この延長線上にあるのが、主人公不在の失敗作です。


登場人物は複数いるのに、感情移入の核がない。


誰の選択が物語を動かしているのか分からない。


これは二次落ち、場合によっては一次落ちの典型例です。


「○○side」「△△side」といった表記も同様に避けるべきです。


これは視点操作の工夫ではなく、視点処理を放棄しているサインと受け取られます。


読み手に「今は誰の話か」を注釈で教えなければ成立しない時点で、構造が破綻しているのです。


ネットに長々と一人称複視点を書いてる人がいます。


こういう書き方をすると、読者は2冊以上の本を同時に読まされているような負担を感じ、途中で止める可能性が高いです。


同じ場面を別の視点で書くのは、同じ話を2回読まされることになり、話がのろのろとして前に進まないので、ますますダメです。


特にエージェント物はそういうのろのろは絶対にいけません。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。