3、
それを見た瞬間、伯爵は眉宇をしかめた。
地面には何も無いが、何も有る。遺体はないが、そこにあったのであろうと一目で分かるように、血がベットリと残されているのだ。
「ここに被害者が横たわっていました」
その説明は必要? とモンドーは思わなくもないが、重い表情で語るカルディロンからすれば必要なのだろう。
モンドーが振り返れば、伯爵は神妙な面持ちで地面に膝をついて血の跡を睨んでいた。
難しい顔をしている伯爵の脳裏には、一体どのような推理が流れているのだろう。
カルディロンは興味津々で伯爵の様子を伺い見る。だがモンドーは知っている、伯爵は何も考えていないことを。
元来伯爵は、推理物を読むのは好きでも考えるのは嫌いなのだ。推理小説の中で事件が起きれば、まず本の最後を見て犯人が誰か確認する。確認してから本文に戻るような、推理小説好きとしては邪道の類に入るのだ。
おそらく今伯爵が考えているのは、『どんな顔をすれば推理しているように思われるだろうか』だろうな、とモンドーは推理する。そしてきっとその推理は当たっている。
ややあって伯爵は立ち上がった。
「おびただしい血の量だね。何度も刺されたのかな?」
「ええ、医者の見立てでは、短刀で何度も腹部を刺されたのだろうと」
「何度も……恨みによる犯行の可能性は?」
「リバリースに限ってそんなことはあり得ません。誠意ある商売してましたし、豪快な性格が皆に好かれてましたから」
「この辺では有名な人物と?」
「有名、というか、まあ住人ならみんな知っているでしょうね。古くから家具屋をやっていましたから」
「そうか」
一体伯爵はどんな推理を見せるのだろう。
ワクワクだかドキドキだかを連想させるような顔のカルディロン。
だが次の瞬間、伯爵が
「よし。モンドー、さっきも言ったが、急ぎ探偵に連絡してくれたまえ」
と言えば、ガクッと力抜けるのだった。
なにも推理しないんですかい! とは彼の心の声だが、伯爵には聞こえない。
「いいですけど……探偵って?」
カルディロンに聞こえないように、コソッと伯爵に耳打ちするモンドー。彼はこれまで探偵なんてものに知り合いは居なかった。なのに突然言われてどう対応して良いのやら困惑し、伯爵に伺いを立てる。
それに対し、伯爵は肩をすくめた。分かるだろう? と言いたいらしい。
対してモンドーも肩をすくめた。分かるわけないだろ! と言いたいようだ。
二人の無言の会話がしばし続き、ようやく伯爵が、
「あいつだよ、あいつ。ほら、私に呪いをかけた……」
と具体的な説明をしたところで、モンドーが「ああ、あの人のことですか」と納得する。
どうやら心当たりのある人物が、脳裏に浮かんだらしい。
「……あの人が、探偵なんですか?」
「適任だろう?」
イケメンが無駄にキラキラなウインクを軽く弾き飛ばす様に、モンドーはハアと溜め息をつくのだった。
彼の脳裏には「面倒なことにならなければいいのだけど」という言葉が浮かんで消える。
その願いはおそらく叶わない。
現場検証を終えた伯爵は、自警団に挨拶してから町長の家へと向かう。モンドーは、探偵とやらを呼ぶためどこかへ消えた。従って、伯爵は一人で町長の家に行かねばならないのだ。
ハッキリいって、気が重い。
町長は昔から町長で、親も祖父も町長だった。それが彼のプライドとなり、それこそが彼を形成するものであり、それこそが彼でありそれ以外は彼ではなかった。すなわち町長であることが彼を支えている。
そんな町長が昔から苦手な伯爵。ちなみに先代も先々代も苦手。つまり伯爵は、町長一家が大の苦手。もっと言えば、嫌い。
記憶操作しているから伯爵の実年齢を知らないとはいえ、いつ会っても伯爵を小僧扱いするのだ。若造扱いされるのは別に構わないのだけれど、一応領主であるのだから見下されるいわれはない。そして小バカにされるのはあまり気分の良いものではない。
「なんだ、一体何しに来たんだ?」
なんて言われようものなら、温厚な伯爵でも苦笑するしかない。形だけでも敬意を払えと偉そうなことを言うつもりはないが、形だけでも敬語を使って欲しいなとは思う。
「自分の領地内で連続殺人が起きれば、そりゃ来るよ」
そう答えれば
「ふん、暇人め」
と返って来るのだ。顔は笑顔で心は青筋立てる伯爵。
記憶操作して、恐怖心を植え付けてやれば良いのでは? とモンドーは言っていたが、それでは温厚で皆から愛されるイメージが壊れると拒否したのは、誰あろう伯爵自身。
彼はことなかれを望み、平穏に、永遠の時を生きたいのだ。化け物と追い立てられるのを好まない。
長い時を生きて培った作り笑いは、けしてそうとは悟らせない。ひたすら温厚そうな笑みを浮かべて、伯爵は町長宅に上がった。……一応は入れてくれる町長である。
「連続殺人、ついに六件目ですね」
「まったく、無能ばかりで腹が立つわい!」
そう言って、町長はドッカと椅子に腰かける。促されてはいないが、テーブルを挟んで正面の椅子に座る伯爵。何も言われないということは、座って良しということであろう。
「最初は……半年ほど前でしたか」
「ああ。裏通りでフラフラしてる、宿無し野郎だ。あんなのはどうでもいい」
冷たい町長の物言いに内心いい気はしないが、それも顔には出さない。
そう、最初の被害者は身寄りもなく家も職も持たない、生きるためには手段を選ばない、そんな輩だった。どんな悪事に手を染めて手に入れたのか分からないが、酒を飲みさびれた裏通りで泥酔してるところを殺された。
正確には、泥酔してるのを起こされたのか、襲われて起きたのか、争った形跡や逃げようとした痕跡があった。
「次は三ヶ月後に、これまた身寄りのない男だったね」
「あれは悪党の幹部だったので、腕っぷしはあった。だというのに、そんなのまでやられるとはな」
次の犠牲者は盗賊団の団員だった。つまりは素人ではないということ。ある程度腕に自信はある者だった。
「血痕は二人分ありました。それだけでも収穫でしょう?」
「怪我をしたのは一人でも、犯人が複数いないとも限らんさ。お前、本当に馬鹿だな」
ピキッ。
これは実際に伯爵に立った青筋。顔は笑って心で……とはさすがにいかない。
「はは、これは手厳しい。で、次が一ヶ月半後、それから一ヶ月で数週間が……今回は十日、ですね」
「全ては自警団が無能なせいだ! ワシは無駄金を使うために奴らを雇っているのではないぞ!」
自警団は町長直轄だ。無駄金と言うが、自警団員はそれだけで生活できるほど給金を貰っていない。皆が別の職業……というか、本職を別にもちながら自警団員をしているのだ。
(偉そうなことを言う前に、給金をきちんと支払え)
とは出さない伯爵の心の声。
自警団は様々で、町長や村長次第で色々変わる。ちなみに伯爵が直接治めている、拠点の屋敷がある街は、その給金だけで生活できるので、なかなかに優秀な自警団で形成されている。
「翌日仕事があるんですから、夜の見回りにも限界があるんでしょう」
「人の命がかかってるんだ、仕事くらい休め!」
「いやいや、生活がかかってますから……」
「治安が悪くなったら町から人が出て行くかもしれんではないか! 人が減れば税収が減る!」
結局は、自分の懐に入る金の心配か。
このヅラ爺め! と叫びたいところをグッとこらえる。
村長の髪はヅラで、それを取れば立派なツルリンが待っているのだ。そんなことの為に町長への給与──税金はあるのではない。と、声を大にして叫びたい伯爵。
ヅラを取ったところを想像したら吹き出しそうになった。思わず口に指を当てたら、思案してると思ったのか、「お前如きが考えても犯人なんぞ分からんだろ」と言われた。いよいよそのヅラを奪ってやろうかと、伯爵が腰を浮かしかけた、その時。
「父さん、なにを大声でわめいているんだい。赤ん坊が起きてしまうじゃないか」
家の奥から声がして、見れば若い男性が立っていた。
「おや、これは伯爵様」
伯爵の顔を知る人物、それは彼がこの家の長男……つまり、町長の息子だからに相違ない。
「やあザカエル。久しぶりだね」
「ご無沙汰しています」
およそ町長の息子とは思えぬ丁寧な態度と言葉遣いで、町長の息子ザカエル・ディッパルオは頭を下げた。伯爵の知る中で、この代々続く町長一族で彼に頭を下げたのはザカエルが初めてである。
町長はともかく、その亡き奥方が至極真っ当に息子を育てたのであろう。
幼い頃の彼を思い出して目を細める伯爵。
ザカエルは女の子のように可愛らしい子だったが、成長した今や立派な青年。男らしいがその美しさはそのままで、とても美形に育っている。ちなみに子供二人を持つ良き父親だったりもする。
滅多に来ないが、今回のようにやむを得ずこの町長宅を訪問するたびに、むしろ伯爵こそがストレスで髪を失いそうになった。だがそうはならなかったのは、ひとえにザカエルがとても可愛い子供で、癒しになっていたからだろう。
これもまた、この代々続く町長一族では初めてのこと。
(どうか彼の息子もまともに育って、この呪いの連鎖を断ち切ってくれることを願うよ)
そうでなければ、いい加減髪が無くなりそうだ。そんな怖い事を考えて、思わず伯爵は頭に手をやった。
「今日はどういった御用で?」
「うん……れいの殺人事件が気になって、ね」
「ああ。リバリースと彼の家族には気の毒なことで……」
「そうだね。ちなみに何か情報は入ってないかな?」
頷いて質問するため見た先は、町長だ。一応は町長、腐っても町長、この町のことなら彼に全ての情報が流れる。それを得るための訪問だ。けして髪を減らすためではない。
だがフンッと町長は鼻を鳴らすのみ。
「ワシに入る情報は、自警団が無能ということくらいだ。被害者の身元くらいなら分かるが、それ以上のことはなにも知らん」
「さようで」
つまり無駄足だったということか。
深々と溜め息をついて、伯爵は立ち上がった。
「ではリバリースの家にでも行ってみるかな」
被害者に共通点は無い。夜中に出歩いていたということだけ。
とはいえ、あんな物騒な裏通りになぜ家具屋の店主が夜中に行く必要があったのか。昨夜は満月で明るかったとはいえ、十日前に殺人があったばかりで警戒心はなかったのか。
詳細を聞くには遺族に話を聞くのが手っ取り早い。
カルディロンら自警団も話を聞きに行ったのかと問えば、「してません」と言われてしまった記憶は新しい。
忙しいとはいえ、なるほど確かに町長の憤りも分かる気はする。まあ数日のうちに話を聞きに行くだろうが。
こういうのは時間が勝負だ。……と、これまで読んだ推理小説が教えてくれる。
「リバリースの家ってどの辺だろう?」
これ以上は町長と会話したくないと、伯爵の質問先は息子のザカエル。
すると彼は、
「ご案内しますよ」
と、連れて行ってくれると言うのだった。町長と違って、彼はきっとハゲないだろうなと伯爵はこっそり思ったり。
連れだって外に出れば、背後から
「早く帰って仕事をしろ! 遊びの仕事じゃないぞ、後継として町長の仕事をだ!」
と町長の声がかかって扉は閉じた。