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本と魔法とふたりの私  作者: 但野 ひまわり
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     Ⅲ

 魔法使いが言ったように廊下を真っすぐ進むと赤い扉が見えた。

『畑山、早くその鍵で開けちゃいなさいよ』

 ワタさんの言葉に頷いたが、気づけば思わず唾をごくりと飲んでいる自分がいた。どうやら少し緊張しているらしい。

『畑山さん、大丈夫ですよ。さぁ、その鍵で扉を開けて下さい』

 私は案内猫の心強い言葉に、扉を開けた。

「え?」

 そこには、木製の台に立てかけられた円形の鏡が一枚あるだけだった。私は恐る恐るその鏡に近付いてみた。覗いてみると、当然のことながら、鏡には私が映っていた。

『何なの、これ。ただの鏡じゃない』

『いったい、どうなってるんだ』

 ワタさんも藤原さんも、鏡を見ながら困惑していた。

「これって、いったい……」

 種と書いてあったから木の実か何かと思っていたのに、どういうことだろう。案内猫の方を見ると、ルビは何も言わず、ぴょんと私の前に出て来ると、右前足で鏡に触れて文字を浮かび上がらせた。


 心の鍵で扉を開け

 魔法の種を手に入れよ

 種芽吹く時

 もう一人の己を知ることとなる


『畑山さん、これに見覚えありますか?』

「これは、確か」

 本のタイトルの下に書かれてあった物だ。

『畑山さん、あなたは見事心に描いたイメージで本の表紙である扉を開けました。そしてその瞬間、魔法の種はあなたの心に宿り、旅をしながら得た、様々な経験や感情と言う名の潤いを種に与えていました』

 案内猫は私の顔を見ながら満足するように微笑んだ。

『その結果、ここまで読み進めることが出来た。辿り着くことが出来たんです』

 私は戸惑いながらもルビの話を理解するように努めた。

 魔法の種を探して旅をしていたが、それは扉を開けたと同時に手に入れていたと言う。しかし種が芽吹くとはどういう意味だろう。

 もう一人の己とは? 

 もしかして、自分勝手な私の影のことだろうか。それなら既に長い間旅を続けている。

『それはワタさんではありません』

「えっ。違うの?」

 私は自信を持っていた答えが不正解だったことに、少なからず驚いた。だったらどういうことだろうか。

『畑山さん、あなたの今までの旅、どうでしたか?』

「どうでしたかって」

 情熱の国ジャンバラヤでは、行方が分からなくなってしまった巫女を探しに青年ペパルと行動を共にした。彼の彼女に対する歪んでしまった愛情が物語を危うくさせたが、私とワタさんの怒りの言動によって、その復讐の鉾を下ろした。巫女はその座を降りて国の王子と結ばれた。その微笑ましいとも、目を覆いたくなるような甘い光景は、味気のなかった私の心に淡く甘い赤みを生みだした。青年ペパルは心を一新、新しい巫女と力を合わせ、国の発展を助けて行くことだろう。

 トリット族の湖では、魔神デレクという魔物が湖の平和を乱していた。非力、且つ、泳ぎがそこまで得意ではない私に力になれるのか不安だったが、命を助けてくれたヨギさんの頼みで魔神を倒しに行くことになった。湖の王の娘、ララさんは不甲斐ない父親に苛立ちを周りにぶつけていたように思えたが、彼女の湖の平和を守りたい、そして湖を愛する想いが私の胸を打ち、非力な私でも力になれるように思えた。魔神を倒した彼女は、きっとこの先も、己の力でこれからの道を切り開いて行くに違いない。

 熊次郎の村では、老若男女問わず、村の熊たちは好漢揃いで私の訪問を快く歓迎してくれた。そこで熊八郎さんという若い熊に出会った。彼は魚を一匹も釣ることが出来ず、そのせいで成人の儀式が行えないと悩んでいた。私は自分の若い頃と重なって放っておくことが出来なかった。話を聞いてあげたのが良かったのか、熊八郎さんは念願の魚を釣ることに成功した。あれは自分のことのように嬉しかった。熊八郎さんは次の長として立派に成長していくだろう。

『今までの畑山さんは、面倒臭いことには手をつけず、文章を読むのが苦手なテレビだけをこよなく愛する人でした。違いますか?』

 全くもってその通りである。

『僕が旅の当初に言ったこと、覚えてますか?』

「えっと……」

『読者は主人公と一体となって、物語を進めて行かなくてはならない。ある時は客観的にそれを見つめ、ある時は共に泣いて笑う』

『その通りです』

 ワタさんが私の代わりに答えてくれた。そして、こんなことも覚えてないの? と軽蔑の眼差しを送ってきた。

『畑山さんは、まさにれっきとした読者となって主人公たちと一体となり、物語を進めました。主人公たちが成長するごとに畑山さんの種も成長していった。そしてゼロムという最後の試練を乗り越えた今、種は芽吹いたんです』

 自分のことしか考えていなかったペパルさんの愛憎劇。確かに今までの私だったら、そんな面倒臭いことに首を突っ込まなかっただろう。シャンシャンさんとジャン王子の恋物語は正直、羨ましいなと思った。トリット族ララさんの故郷を愛する気持ちと、何にも負けない心の強さ。それは出来ないと決めつけていた私の気持ちまで突き動かしてくれた。そして熊八郎さんが抱える未来への悩み。今の自分と重なって、他人事とは思えなかった。

 気づけばペパルさんや熊八郎さんと共に考え、ララさんには勇気づけられていた。立ち直ったペパルさんの姿を頼もしく感じ、漁が出来た熊八郎さんと喜びを分かち合い、そしてララさんとお互いを讃え合った。 私はいつもの私らしくない感情や行動に、改めて驚かされた。

『畑山さん、あなたは読書という旅を通して、主人公たちと共に悩み、感じることで面倒臭がりではない、もう一人の自分を生みだすことが出来た。知ることが出来たんです』

 そう言うと、ルビの体はノイズが走るように揺らめき始めた。徐々に猫の姿から人のそれに変わって行く。そしてノイズが収まると同時に目の前に現れたのは、二十代を越えたばかりのような青年だった。欧州人を思わせる白い肌に、ブロンドの髪。見つめられたら瞬時に恋に落ちてしまいそうな翡翠色の瞳。優しく微笑むその顔は、いつも私に向けてくれるものと同じだった。

「あなたは……」

『驚かせてしまってすみません。僕の本当の姿は、この本の作者であるオラクル・フォンド・リーブルです』

 私はあまりの驚きで声が出て来なかった。もう、何が何だか分からない。

『混乱させるつもりはなかったんです。僕はただ、物語は主人公と一緒に夢がもてる。共に成長できる。そして主人公を通して様々な体験が出来る。その楽しみをみんなに分かって欲しかった。もっと本を読んで欲しかったんです』

『じゃぁ、本が自我を持って読者をこの世界に迷い込ませたんじゃなくて、作者のあんたがそうしてたってこと?』

 オラクルの本に対する強い想いが、この物語を創ってしまった。

 本当のことを知らされていなかったワタさんは『そういうことは、初めにきちんと言ってくれないと困るじゃない』と言いながら、不服そうに口を尖らせていた。

『ゼロムもあんたの仕業だってわけ?』

 ルビ、いや、オラクルは、本当にすみません、と再び頭を下げた。

『読者自身が最後まで読み進めてもらうには、妨げる者からの制約と、導く者からの助力が必要だったんです。そして心細くならないよう、読者の影はそのパートナーとして登場してもらいました』

 ワタさんは『とんだ食わせ者だったのね』と毒突いた。

『俺の体は元に戻してくれるのか?』

 藤原さんは、私の肩の上から話に割って入った。しかしオラクルは、再び申し訳なさそうに頭を下げた。

『それは出来ません』

「どうして……」

 人の姿に戻れないなんて、あまりにも可哀想だ。

『藤原さんは元々この世界の登場人物だからです』

 えっ。そうなの? と私と同様、藤原さんは目を丸くさせている。

『藤原さんだけじゃなく、箪笥の館山さん、ヤシの木の杉野さん。全員最初からこの本の登場人物なんです』

 私は途端に力が抜けてしまった。最後まで読み進めることが出来なければ、人としての一生を放棄しなければならない。その張りつめた気持ちが一気に緩んで行くようだった。

『俺……端から梟だったのかよ』

 藤原さんはその事実にショックを受けているようだった。

 私が何と声を掛けようか迷っていると、梟は開き直ったように『しょうがねぇな』と呟いた。

『迷い込んだ読者にちょっかい掛けた後、一緒に旅をしながらここまで来る。これが俺の物語だったってわけだ』

「藤原さん……」

『でもまぁ、楽しかったぜ。坂道を転がったり、悪者をやっつけたり』

 短い間だったが藤原さんもまた、読者である私の成長に関わってくれたキャラクターであったことに違いない。

『生きとし生ける者、全てに物語があります』

 ジャン王子にメルさん、ポセイドンさんにヨギさん。熊七郎さん、ザボエラさん。主人公ではなくとも、それぞれに物語がある。私はこの本を通してそれを見せて貰った。

『僕の勝手な想いで本の世界に連れてきてしまいましたが、次は畑山さん。あなたの物語、見せて下さい』

「私の物語?」

 オラクルは私の顔を見つめながら頷く。

「でも……」

 そんなこと言っても、のんべんだらりと今まで過ごしてきた三十歳である。若い子からすれば、もうおばさんの域だ。今更物語もないだろう。しかしオラクルは首を振って私の方に歩み寄りながらこう言った。

『畑山さんの物語、まだこれからじゃないですか』

 そう思ってもいいのだろうか。自信がなかった私の前に、ワタさんがぬっと出て来た。

『畑山のくせに、何一人前に悩んでんの? そんなんじゃ、ペパルやララ、熊八郎に恥ずかしいったらないわよ』

 同じように悩み、苦しんだ三人もまた、もう一人の己を知り、前に進んで行ったではないか。偉そうなことを言ったくせに、これでは三人に面目がない。

「そうでした。私はまだ、ぴっちぴちの三十歳でした」

『ぴっちぴちねぇ……』

 自分勝手な影と口うるさい梟は、頭大丈夫かしらと囁きながら、私を眺めていた。

「ちょ、ちょっと! 酷いじゃないですか! せっかく自分を奮い立たせようとしてるのに!」

『あら、御免なさぁい。嘘はつけないのよね。ワタシ』

 オラクルは私とワタさんのやり取りを微笑みながら見守ってくれていたが、突然はっと顔を上げた。

『畑山さん、時間がありません。もう最後のページになってしまいました』

「えっ」

 急に辺りの景色が変わり始めた。一つの部屋だった物がいつの間にか無くなり、星が瞬く宇宙へと変わる。そして光が帯を描き始めた。星が私の前に現れては、次々に後ろへと流れて行く。

 頭の中に声が響く。

『畑山さん。あなたの物語、楽しみに見させてもらいます』

『ハタケ、お前なら大丈夫だ』

『畑山のくせに!』

 最後の言葉が何気に引っ掛かったが、私の意識は何かに引っ張られるように遠のいた。




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