みすずセンセをつきとばせ! 02
母親が心配しているのは十分承知だった。
「サク」
拓人らが呼ぶのとはちょっと違う、やや母音をひっぱるような言い方で母親は言う。
「いくら学年でトップクラスだと言っても、受験の時にベストが出ないと何にもならないのよ。それでなくても狙うのはかなりの難関ばかりだし」
「うん」
「この頃、少し成績が下がって来た、って二年の時の先生も心配されてたし」
そりゃそうだろう。いくらサクでも急な『変化』で度々勉強を中断されたり、おかしな作戦会議で仲間割れに延々とつきあわされたりしていれば、少しは学習に身も入らなくなるのは必然の理。
「三年になってもう1ヶ月はたったんですもの、やっぱり塾だけでは不十分よ、個人の先生をお願いした方がいいんじゃない」
「そうかなあ」
元々、親に刃向かうなぞ考えたこともないサク、ここでの中途半端な返事が、結局こんな事態を招くことになってしまった。
しかし、これでみすずの前でもしものことがあったとしたら。例えば、変化の瞬間を見られてしまうとか……
いくら脳天気そうなみすずでも、どういう反応をみせるか想像がつかない。そして、それが両親にバレでもしたら。
今までは彼らの診療時間が長いせいで両親とはあまり顔を合わせずに済んでいたサク、両親在宅中の夜半にヘンゲがあったとしても、部屋が両親の寝室と離れていたし、彼らもベタベタするタイプではなかったので、いざという時には飛び出して行きやすかったのだが。
しかしみすずの闖入でバレる確率はかなり高くなったと言える。
どちらも極めて現実的、かつ論理的な彼ら、逆に案外卒倒してしまったり、錯乱してしまうということはないだろうか……心配は尽きない。
かなり幼い頃、仮面ライダーの変身ベルトを近所の子が持っていて、それを欲しがったサクに向かい、母は「ニンジンとピーマンが食べられるようになったら、また考えてもいいわよ」と言った。しかし絶対無理だと解っていての条件提示だ、とサクは幼心に直感。
いつまでも泣いていたサクに、父が言った。
「そんなに正義の味方になりたかったのか? 実際にあんな方法で戦うのなんて、誰にとっても一銭の得にもならんぞ。だったら一生懸命勉強して、本物の『正義の味方』になりなさい。どちらにせよニンジンの喰えないような子どもに世界の平和を守るのは無理だ」
結局、ニンジンもピーマンも食べられるようにはならず、ベルトも買ってもらえず終い。
そんな認識の下に育てられた子どもが、今ごろになってこのクソ忙しい受験前に、絵に描いたような『正義の味方』をやっているなんて知られた日にゃあ、どうなることやら。
しかもそれが、身の安全にも係わることだなんて、口が裂けても言えやしない。
「サっくんの部屋、二階の右側だったよね」
「うん」あ、散らかしっぱなしだと思い出し、みすずを引きとめる。
「ちょっとだけ、ここで待ってて」
そうして先に入りかけたとたん
気配だ。
まずい、今はかなりまずい。
「う」
こらえようとした、しかし
「サっくん」
みすずが怪訝そうに声をかける。「トイレ? ゲリしてんの?」
衣擦れの音が強くなる。そして、風が。
「ごめん!」
サク、みすずを押しのけるように外に飛び出す。靴を引っ掛ける間もない。
「サっくん!!」
その声にも答えられず、彼は走った。みすずが追いかけているのが判る。でも、後もふり返れない。ヘンゲが始まろうとしている。しゅる、と黄色いたすきが目の端になびく。
「はっ」
彼は左にあった工場のコンクリート塀に駆け上がりそのまま敷地へ消え、そして工場の屋根に瞬間姿をみせてから向うに消えた。
「……?」
鬱金変化は知らなかった。みすずがその後、10分はその場にただぽかんとした顔でつっ立っていたのを。稲妻のようなその姿を認めたのはほんの一瞬。
「サっくん、は……どこ? あの空飛ぶ伊達巻は……何?」
とりあえず彼女に判ったのは、今日はオシゴトを一つ、逃したということだけだった。




