犬と変化とヤカンと地下と 01
「あら」あかね、ふと足をとめる。
とある高校玄関前
事務室の窓下すぐ近く
そよ風のみが通りゆく
青葉のかげのその下で
ひとりぼんやり黄昏て
野良犬なぞを撫でているのは、イクシマタクト、その人だった。
「どこ行ってたの、探したのよ」
彼の前に仁王立ちになる。
「カズラが呼んでたわよ、また補習忘れてんのかぁ、って」
英語構文の本名カズハラ、あれは絶対ズラだ、ということであだ名はカズラ、拓人はすでに彼の補習を受けるのは両手の指でも足りないくらいの数になっていた。
拓人はものうげな瞳を静かにあかねの方に向けた。
「いま忙しい」
「はあ?」隣に並んだ雑種犬「ヨシダさん」も、かなしそうにあかねを見た。
誰がマジックで描き直すのか、きょうもくっきりと黒くて太い眉がやや八の字になっているのも更に哀しい感じを与える。
「かなりお忙しそうにみえるけど」相変わらずあかねの口調はきびしい。
「一応、なにが忙しいのかお聞きしてみたいわ」
そこに伝助と朔太郎が通りかかった。
「あら、タクちゃん、何してはりますのぉ」
拓人は、ヨシダさんの首を抱いた。「コイツに、何だか懐かれちまって」
「で、何? デート中だったん?」
拓人の頬に、ヨシダさんがそっと鼻づらを近づける。
「コイツさ、野良犬なんだろ? 首輪もヨレヨレだし、名札もとれてるし」
あのバトンリレーで追いかけられた日から、何故かこの犬、しょっちゅう拓人にばかりついて回るようになっていた。一日に一回はつきまとわれる。まさか教室までは入ってこないだろう、と思っていたら先日は化学実験の実習時、実験室の骨格標本わきで、授業が終わるのを『伏せ』のままずっと待っていたし(お利口なことに骨を一本くわえて運び去るということはなかった)、教室の廊下、柱の影によりかかるようにして、通りかかる彼を濡れた瞳でみていたり……「おいヒュウマ、アキコ姉ちゃん来てるぞ」と友人どもには笑われるし、現国のオニヅカからは「オマエ、おつき合いするならちゃんと責任とれよ」と笑った目で言われるし。
「なあ、」拓人は犬から手を離して立ち上がる。
「モノは相談なんだけどさ」
「はんたい」打てば響くがごとき、あかねの即答。
「アナタの言うコトは見えてるわよ、アタシには。
この犬がノラで可哀そうだから、どこかで引き取ってやれないかな、な~んて思っちゃったんでしょ」
よろめく拓人。まさにその通り、心の中を完全に読まれていた。あかねは冷たく続けた。
「自分ちアパートだから飼えない、だからとりあえずヘンゲの仲間の中でだれか飼ってくれる人いないかなあ、って思ったんでしょ?」
「…サクんちは、もう犬いるよな」
朔太郎の家は個人医院。病院裏手のかなりゴウセイな本宅ならば犬の一匹や二匹は軽そうだが、
「うん、血統書つきのボルゾイが」なんだそのボルゾイ、って? 拓人にはさっぱり。
田舎のお触りバーの名前か? かなりぼるぞい、はぁ。
目線が来たのを感じ、伝助もあわてて手を振る。「ウチはあかん、お店やし」
あかねは容赦がない。
「どうせ、アナタのような思いつき行動オトコのことだから、わあ可哀そうな犬だ、よし、みんなでヒミツキチで飼うぞいいなオトナには内緒だあ、とか何とか言っちゃってさ、大雨でも降ると、あっ、オレらのヨシダさんが流される、タイヘンだ!みんなで守れ~みたいなお涙ちょうだい的な流れになる、今から全部、読めるのよねそんなチープな台本が」
拓人はぐうの音もでない。そんな拓人をなぐさめるように、デンが横から口を出した。
「だいじょうぶよ、タクちゃん。その犬はガッコーケンなんだから」
「ガッコウケン?」そ、とデンがうなずく。
「その犬はね、かなり昔から学校に出入りしとるんよ。先生方も何も言わしませんでしょ。校長教頭かて、そうですわ。しかもそこの」
正面玄関脇に下げられた岡持ちを指さして
「松華堂弁当、週に二回火曜日と木曜日、ヨシダさん宛に届けられる、聞きましたわ」
「えええっ」裏切りにあった子どものようなリアクションで、拓人が立ち上がる。
「誰が払うのよ、そのカネ」やはり会計関連に食いつくあかね。
「よう知りませんけど、事務の特別予算枠に入ってはる聞きましたわ」
拓人は唇をかみしめて立ち上がったまま、じっとオカモチを見つめていた。
「あれって、千二百円はすんのよ」あかねもフンガイしている。
「それを週二回も? 信じられない。二千四百円よ、それで月換算で少なくて八回としても……」早速計算している。
だんだんと、拓人の表情が厳しさを増した。珍しく金額計算に反応しているのか? あかねが気づいて、「タクト……」手をかけようとした時、
「読めたっ」
拓人、爆発的スタートダッシュで正面玄関から校舎に駆けこんだ。
「ど、どこ行くのよっ」追うあかね。
伝助と朔太郎も顔を見合わせた。
「見とかきゃ、かもね」「うん」そして二人も後を追う。
ヨシダさんはその様子を、相変わらずの八の字眉毛で見守っていた。




