死のバトンレース with 犬 02
「ダメダメ、払うモンは先に払っていただきますからね」
グラウンドの片隅の応援席裏側、黄色い応援の陰で、あかねは冷静にしかし忙しく、乱れ飛ぶ銀貨を操っている。
「はい、5に一本、次、6に? 二本……ツネちゃんもギャンブラーだね、えっとタネガシマくんは8に一本、そちらも8HRに二本、はいはいもうじき締めるわよぉ」
今日は、学年別クラス対抗リレー三年男子の部予行練習日。何ヶ月も先の体育祭のデモンストレーションから端を発したこの練習試合、すでに何年も前から学校の非公式行事となっている。
フィールドには、すでに全八クラスの選抜選手各四人ずつが散らばって、思いおもいにウォーミングアップを行っている。
一人二百で計八百メートルというかなり見応えのある勝負だった。
そして、それを見守る観客は、冷やかしも含めてゆうに三百名は越えていた。
あかねは、闇の胴元の一人だった。
もちろん、暗黙の了解のうちに札でのニギリ行為は御法度となっている(一応、とある高の名誉のためにも申し上げておくが、学校サイドとしては学生の金銭による賭けゴトは一切禁止となっている。それでもまあ、世の中には色々あるじゃあございやせんか)。
最高でも、一人うん百円の世界。
だが、この一回の勝負で動く金は、ちょっと、PTAには報告できないような額だった。
しかも、数ある胴元の中でも、紅一点のあかねの評判は闇の世界で知らない者はなかった。
「あ、てっちゃん、『すぽっと』読んでくれた(なんと、あかねは独自にペラいちの情報誌まで作っていた)? うん、カタいね、連勝は。ええ? 5―8? オオダマ(この世界ではオオダマとは五百円のことです)? 知らないよ、後で泣いても。え? タクトと同じクラスだろう、って? ダメダメ、あんなオトコ。あ、アタシは一応中立の立場なんだけど、そんでもダメよあんなのに賭けちゃ」
はるか向こうで、所定の位置につこうとしている拓人に、ちらと目を走らせる。
「だいたい、いつも人の期待を裏切るヤツなのよ、アイツは」
拓人は、5HRのアンカーだった。
レースが始まった。八人の第一走者が、足並み揃えていっせいにスタート。
歓声がどっと、沸き上がる。
第一走者はもつれ合い、第二走者でクラスによりかなりの差がついてきた。しかし、そこからがすごかった。一人あたり走らねばならない距離は200メートル、かなりの長丁場となる。5HRは第二走者までぐんぐんと前にせり出し、もつれ合いながらも三番手につけていた。そしていよいよ拓人の前のアオやん、流れるようなバトンタッチでぐい、と前に飛び出した。
拓人、ふうっと深い息を吐いて位置についた。
同じくアンカーの、3HRの大江は落ちつかなげに身体を前後に揺すっている。向う端に入った1HRのサンペーは「ま、今日は流すかなぁ」などとヨユーなコト言っている。その口元は笑っていた、が、目はシンケン。
拓人は黙ったままアオヤんを目で追っていた。いつになく、本気モードに入っている。
バトンの受け渡しが断トツだったアオヤん、最初のコーナーを抜けた所でまず2HR、続けて本命と言われていた8HRを抜いた。悲鳴にも似た喚声が新たに起こる。
「行けえ、バカぁ」明らかに教師らしいオッサンの胴間が響く。
5HR、微妙な差のままトップで直線を疾走した。
「イク、行けよ」「弾丸特急、見せてやれよぉ」「タクト~がんばれ」まわりの応援がまるで耳に入っていない、彼は、じっとレースの行方を追い続けていた。
「手としては、カンタンなこと」
殿下、あごに伸ばした指を当てて、自信たっぷりに言った。
「バトンに、細工をするのです」
「サイク、ですか?」元々トリックとか詐欺とかにとんと縁のない、でも何故か先輩から勧誘されて『ものから団』に入ってしまった人のよい体育教師、ぽかんと彼をみている。
「そう……普通の人には特に害はないが、変化が手にすると、とたんにその力を封じてしまうという鉱物があるのです」
「コウブツ? 大好物なんですか?」そんな受け答えのAマイナーを、じっくり約二秒ほど見つめて黙らせてから、殿下は続けた。
「昔、わたくしのいたウラル地方でたまに見つかって採掘された鉱物、つまり、石なのですがね」
「はあ……」
「今となっては、ダイヤモンド以上の貴重さですが、その石を使いましょう。バトンの空洞になった部分に、それを仕込んでおくのです」
「だって、大コウブツなんでしょ」Aマイナー、何か納得がいってない。
「そんなのが、あんな小さな穴に果たして入るのでしょうか」
「あなたね」殿下、その質問にはけだるげな拍手で応えた。
「そのボケ、すでにもうフランス人並みですね、ご立派です、ブラーボ」
拓人はコース上で足の位置をもう一度確認した。
心臓は早鐘のように打っている。だが、心の中はなぜか平静だった。
変化の時と少し似ている。しかし、何かが違う。
恐ろしいと思ったことももちろんあったし、敵を倒すという熱い情熱に浮かされた時もあった。夢中にもなれた。
ただ、いつもこれだけは言える。
変化の時は、自分は自分ではない。
そして、戦いが一つおわるたびに、言いようのない深い虚脱感に襲われる。
頭の中をかけめぐるモヤモヤがひとつの問いを形作り、彼の目の前に大きな影を落とす。
オレって、何のために戦っているんだろう?




