らいく・あ・ばんじー
リミットの日。
拓人は朝から頭がガンガン鳴っていた。
さすがに、昨夜は一睡もできなかったから。
学校、休もうかな……歯をみがきながら、ぼんやり思っていた矢先
ぴん・ぽーん
「たく、ちゃーん」
人類創生の時から今まで変わることのない、朔太郎の間延びした声。だが、今朝に限って拓人、その声に顔をしかめた。
「たく・」
「いるよ」いらいらした気分で拓人、目の上を揉みながらのっそりと玄関先に出てゆく。
「あれえ? 着替えは?」
「う、オレ今日さ」
と、一陣の風が二人をまいた。
ぞわっ、と体中の毛が逆立つ。拓人
(来た!)その場に、立ちすくむ。
「オレ……」
朔太郎、半分口が笑ったまま、彼の顔をみている。
なおも凍りついたまま待つ、拓人。
耳元で、さらさらと衣ずれの音、まずい、『変化』が始まろうとしている。
「ヤツらは、我々の気配をかぎつけます。どのようにしてかは分かりませんが」
ものから団第四師団長『ストマック・ウォーマ』はいまいましげにこう言った。
「通常フォームの時は、町なかで会っても気づかれないのですが、この前、とうとうやられてしまいました」
ローソンで、おかかおむすびにオガクズをつめこむ極秘任務を遂行中のこと。
いきなり薔薇変化が現れ、「変化参上!」アンドロイドの手下を片っ端から蹴散らした。
彼女自身は、正体をつかまれないようにバックヤードから逃げ出すのがやっとだった。
それが、とある町での初めての戦闘らしい戦闘だった。
「この前のゲーセン占拠も失敗でした。それまでたいして強くもなかったのに。あの時のパワーはもう、『バカ』がつくくらいでしたよ。ドーピングの検査をしていただきたいくらいです」
近ごろ情緒不安定の『ストマック・ウォーマ』、つい、地声になってぐずり出す。
「なぜバレてしまうんでしょう?」
「ヤツら自身は知らずとも、ヤツらの『裏』に棲むモノが勘づくのだよ」
「で?」
「裏のモノが現れる、たちどころに。ヤツらが好むと好まざるとに関わらず。だが、その姿も実はヤツら自身に他ならぬ」
「ヤツらはそれを『ヘンゲ』と称しております」
「うむ」
「変化を、倒すことは」
『主たる影』はふふ、と低く嗤った。
「変化は、倒せたのだ、簡単にな」
そう、あの時までは。
拓人と朔太郎二人にとって、そこからはさながらスローモーションの悪夢のようだった。
まず、拓人が何か言いかけて、動かなくなった。
何かを、待っているように。
朔太郎はその時初めて、『気配』を感じた。
視界から少し外れたところを誰かが通りかかったような、あるいは、地震の前の、耳鳴りにも似たかすかなうなりを聞いたかのような。
それは、五感には捕えられない、だが、五感からほど近い部分でかすかに感じられる程度の、ある意味あからさまともいえる、感覚だった。
朔太郎も、身構えた。
だが、拓人と違ってその正体を知らないばかりに、彼はまず恐れを覚えた。
理性より早く、本能が彼に呼びかけた。「逃げろ!」
彼は、身を引いた。
一歩だけのつもりだったが、通路の手すりに背中が当たった。と、背中に当たる鉄棒の感触が消え、彼はそのまま、まっさかさまに落ち始めた。
朔太郎の耳に、短い悲鳴が聞こえた。
自分が発した声か、拓人のか、それともアパートの下をたまたま通りかかった人の叫びなのか。
(三階、いや四階? どちらにしても)宙に漂うわずかの間、朔太郎は思いのほか冷静だった。
(この高さでは、助からない)手足を振り回そうとしたが、情け容赦のない重力の腕にがっちりとつかまれ、彼は落下した。
頭の後ろに、見えはしなかったが固い地面を感じた。
そして、ひどいショックと背中から頭に走る痛み。
小学校に上がったばかりの時、鉄棒から落ちて、下の砂場のふちで思い切り頭をぶつけたことがあった。ごつ、と鈍い音がして、目の前が真っ暗になった。その時は、この世でこれほど痛いことはあろうかと思ったものだが、これに比べれば、まるで屁のような。
幸いなことに、苦痛を十分に吟味する間もなく、意識はすぐさま真っ暗な闇に閉ざされた。
今まで目の前に立っていた友人が、突然後ろに下がり、しかもあったはずの柵を乗り越えて落ちていった時、拓人は
「危ない!」悲鳴にも近い叫びをあげた。
それよりも早く、彼は手をのばし、前に飛び出した。
しゅっ、と帯を解くような音が背後でしたかと思うや、目の前が光り輝くスペクトルに満たされた。
柵がなくなっている。しかし、今はそんなことに構っていられない。
もぎ取られたようにギザギザになったコンクリートのふちに足をかけた時、かすかな香りがした。オレンジの花のような、わずかに香ばしいような、涼しげな風の香り。
完全に、彼は変化した。
「たっ」
縁を思い切り蹴り、彼は跳んだ。
落ちて行く朔太郎と、つかの間眼があった。手がこちらに伸び、口は何か言いかけている。そして、彼はまさに地面に触れる寸前だった。
「くそ!」
頭がまず、コンクリートの地面に触れた。
まだ、重力は彼を抑えつけようとする。頭がいくらか地面にめりこみ、ボールのように再び宙にはね上がった。
眼鏡が飛んだ。背中が、足が、そして一度はね返った頭と腕が再び固い地面に激突する。
彼が朔太郎のかたわらに降り立った時、指先はかすかに動いていた。
「サク」
頭を揺り動かそうとして、彼ははっと手をひいた。
耳から流れた血が、後頭部をすっかり濡らしている。
変化となった拓人、ぼうぜんと見つめながらも、心のどこか他所のほうでは
(ニンゲンの血って、どろっとしてるんじゃなくて、けっこう薄いんだな) などと、全然別のことを考えている。
朔太郎は目をつぶり、口を相変わらず少し開けたまま、ぴくりともしない。
今にもいびきをかきそうな、眠っているような顔は、しかしどんどんと血の気がひいてきている。
「サク」やっと気づいて、あわててカラーのフックを外してやる。が、遅すぎた。
すでに息をしていなかった。




