サファイアの章 その1
占いの町シャルムを旅立ったアルベール一行は、新たな町にたどりついたところでした。シャルムほど大きな町ではありませんが、幸いなことに宿を取ることはできました。
「でも良かったわね、小さな村だと、宿がなかったりするけど、今日は久しぶりにベッドで寝られるよ」
小さな二階建ての宿の部屋は、二段になったベッドと文机がやっと入るくらいの広さです。それでも野宿するよりはましでした。
「そうだな。おれなんかは野宿でもなれてるけど、さすがにトリエステさんまで野宿させるのは気が引けるからな」
肩にかけていた革のバッグを、机の上におろして、トリエステはにこやかに答えました。
「今はわたくしも旅の仲間ですから、野宿も平気ですわ。それにわたくしのことは、トリエステとお呼びください。わたくしもアルベールと呼びますから」
「そうか、わかったよ、トリエステ。まぁでも、なるべく野宿はさけるようにするから、安心してくれ」
気恥ずかしいのをごまかそうとしてか、アルベールはトリエステに背を向け、旅行かばんの中身を整理しはじめました。トリエステも気にしない様子で、バッグの中からタロットカードを取り出しました。
「占いをするの? また教えてくれる?」
トリエステのそばに、ソフィアがやってきました。トリエステとともに旅をするようになってから、ソフィアはことあるごとに、トリエステから占いを教わっていたのです。
「ええ、いいですわ。では、こちらにどうぞ」
トリエステはソフィアを持ち上げ、文机の上に乗せました。文机の上でタロットを広げるトリエステを、ソフィアが見あげます。
「わたしもタロット占いができたらいいんだけど。でも、人形用のタロットなんてないもんね」
ソフィアがぽつりとつぶやきました。トリエステはなにもいわずに、混ぜ終わったタロットから、カードを一枚ひっくり返しました。
「おじいちゃんの絵柄? この位置は、正位置、だったよね」
ソフィアに聞かれて、トリエステはうなずきました。
「このカードは『隠者』ですわ。意味はいくつかありますが、これはきっと、『経験と助言』を暗示しているのでしょう」
「経験と、助言?」
ソフィアが首をかしげました。トリエステも少し考えこんでいるようでしたが、やがてバッグの中から、親指ほどの小さな箱を取り出したのです。ぽかんとしているソフィアに、その箱をわたしました。
「これは?」
「開けてごらんなさい」
トリエステにうながされるままに、ソフィアは箱を開けて、思わず声をあげました。
「タロットカード! わたしの手にぴったりのサイズだわ。でも、どうして?」
「このタロットは……そうですね、わたくしと昔知り合いだったイズンが、使っていたものですわ。きっとあなたにぴったりのサイズだと思ったの。使ってくださるかしら?」
「えっ、でも、いいの?」
とまどうソフィアの髪を、トリエステが指でなでつけました。
「もちろんですわ。わたくしが持っていても、使えませんもの。それにそのタロットは、この先の旅でもきっと役に立ちますわ」
「旅で? どうして?」
トリエステは遠くを見ながら、歌うような声で答えました。
「このタロットには、不思議な魔力が宿っているのです。占いをする人間の心に反応して、奇跡が起こる……。古くはフィーネ大陸で作られたものだと聞いています」
「フィーネ大陸って、わたしたちの目的地の……。トリエステは、フィーネ大陸と、いったいどんなつながりがあるの?」
ソフィアに聞かれて、トリエステは静かに首を振りました。
「遠い昔の話ですわ。気にしないでください」
タロットを片付けはじめるトリエステの横顔は、どこかさびしそうに見えました。ソフィアはそれ以上、なにも聞くことができませんでした。そのとき、突然うしろから声が聞こえてきました。
「おめぇ、イズンだな」
ソフィアはハッとうしろを振りかえろうとしました。しかし、がっしりしたうでにつかまれて、身動きが取れません。
「アル、トリエステ!」
ソフィアの叫び声に、アルベールとトリエステが同時にふりむきました。そこにはソフィアをうででかかえた、男のイズンが立っていたのです。
「だれだ、お前は! ソフィアを離せ!」
アルベールが飛びかかりましたが、そのイズンはすばやい動きで文机から飛びのいたのです。勢いあまって文机にぶつかるアルベールを見て、男のイズンはガハハと笑いました。
「まぬけだな、おめぇ。じゃあな、このイズンはオラたちイズン強盗団がいただいていくぜ」
それだけいうと、男のイズンは窓枠へ飛びつき、窓の外へ飛び降りたのです。
「おい、ソフィア!」
窓の外をのぞきこむと、そこには馬車が止まっていました。馬車の天幕に着地したイズンは、ソフィアをかかえたまま、馬車の中へ入っていきました。
「まずい、このままじゃ逃げられちまう、トリエステ、早くソフィアを追いかけよう!」
すでに荷物をまとめていたトリエステとともに、アルベールは部屋を飛び出しました。
馬車の中に引っぱりこまれたソフィアは、鉄格子のおりの中へ乱暴に投げこまれてしまいました。立ち上がる間もなく、外からカギをかけられます。
「出してよ、出しなさいよ! いったいわたしをどうするつもりなの?」
鉄格子をつかんで、ソフィアがどなりました。しかし、鉄格子はびくともしません。
「どうするって、そりゃあおめぇを高値で売るだけだよ。オラたちは、イズン強盗団。イズンをとらえて、ラウル帝国へと売りつける仕事をしてるんだよ」
ソフィアをさらったイズンが、初めてソフィアと目を合わせました。ソフィアよりも頭一つ分背が高く、毛糸のような素材で作られた、もじゃもじゃしたひげがついています。頭はつるつるで髪の毛がなく、大きな顔に、黒い宝玉でできた目もくりくりしています。あいきょうのある顔だったので、ソフィアは笑いそうになるのをあわててこらえました。
「なんだ、オラの顔になにかついてるか?」
「別に、なんでもないわよ」
なんとかごまかし、ソフィアはそのイズンをさらに観察しました。見たところ貴族のような服装ですが、ところどころ服が破れていたり、ほつれていたりします。首にはさっきのおりのカギを、首かざりのようにしてぶらさげています。
――まずは、なんとかしてあのカギを奪わなくっちゃ――




