第三章 覚悟Ⅱ
葉は目を逸らしはしなかったが、此方に近づいてくることもしなかった。無理もない。藍華は自分達をソルダに変えた博士と戦うように命じる司令官の娘。
今の彼らの中には複雑に絡み合った想いが存在し、しかも昨日の今日だ。整理ができていないのだろう。
「藍華ちゃん、そろそろ出るぞ」
「はい」
「戦闘に出るのは藍華ちゃんだけだ。フィデールが今日はお供することになっている」
「分かりました。」
「残りのメンバーはエヴァンジルの発動がまだだから今日のところは別室で戦闘風景をカメラで観ることになる」
「カメラ?」
「嗚呼。旧市街の至る所にカメラが設置されている。コントロールルームと会議室だけが其の光景を見ることができる」
「コントロールルームは指示とかしないといけないから分かるけど、何で会議室でも見れるの?」
「戦闘の様子は録画し、毎回観賞することになっている。次の戦闘に活かす為にな」
伯明に連れられ、四人は会議室に行く。藍華は戦闘服に着替えた。
「藍華ちゃん、此れ科学班から預かってた」
「手袋?」
戦闘前に伯明から手渡されたのは指が出る黒の皮手袋だった。
「コアの欠片を粉々にして手袋を作る際に入れ込んでいるらしい。だから、エヴァンジルまでの効果は出せなくても通常の攻撃よりはマシだと思えるぐらいの効果はあるそうだ」
「つまり万が一の場合はサウロンを殴れってことですね」
「そうなるな」
まるで餓鬼のタイマンでもするかのような発言に伯明は思わず笑ってしまった。
「俺は今回は行けないけど、頑張れよ」
伯明は藍華の頭を撫でた。藍華は人に頭を撫でられるのは初めてのことだったのでどんな表情をしていいか分からず「はい」と素っ気ない態度しか取れなかった。
「藍華様、行きましょう」
白い法衣のような物を着た人が数人やって来た。フードで顔が隠れている上に体を覆う法衣のせいで体型も隠れ性別は不明だ。唯一声をかけてきた人だけは質から女だと分かった。
「はい。では、行ってきます」
藍華はフィデールの背後にくっついて歩き始めた。彼らの手には大きな十字架が握られていた。
「其れがあなた方の武器ですか?」
「はい。クロワと言います」
「エヴァンジルとは違うのですよね」
「はい。此れは科学の力でできた物です。故に我々ができるのは此れでサウロンを囲い込むだけです。直接的な攻撃はできません。」
「そうですか」
「藍華様、今回の任務についてですが、我々は破壊された結界の修復にあたります。」
「では、私の任務は結界修復が終了するまであなた方を守ることと市街に入ってしまったサウロンの駆除ですね」
「はい」
「分かりました」
とは言ったものの其れを一人でするのは正直きついと藍華は思っていた。
サウロンが侵入したとされる区域は政府の手によって封鎖されてはいるが数は不明。
今回同行するフィデールは三藤島、素子、池田屋の三名。誰かを守りながらの戦いは初めてが考えても仕方がないことだと藍華は切り替えた。
移動には車を使用。向かったのは新宿だ。藍華は昔の新宿がどんなものかは知らない。だが、たくさんのビルが並んでいた。若者向けのビルも多い。きっと、音の波が絶えることなく人々を呑み込み、また人も多くの音を作りながら此処で過ごしていたのだろう。
車が新宿に入り、三〇分後にディアーブルが出没し始めた。彼らに知能はなく単体で攻撃してくる為藍華でも何とか対応できている。此れで連携してこられたら藍華でも倒せなくなる。
いくらサウロンと対抗できる武器を持っていても藍華は戦闘においては素人だ。歴戦の猛者と渡り歩くことなどできない。
「黒崎さん」
ビルの陰から次々にディアーブルが現れた。車は遂にディアーブルに囲まれた。
「目的地まであとどれくらいですか?」
「まだ一時間近くはあります」
「分かりました。」
ソルダの数がまだいたのなら此処で二手に分けれるという手もあるが今回は藍華一人だ。だからと言ってあと一時間もあるのに戦う術を持たない彼らを先に行かせることもできない。
「仲間と背中合わせになり、自分に近づいて来たディアーブルをできるだけ結界で閉じ込めてください。あとは私が片づけます」
「はい」
『藍華、此処で足止めをされるわけにはいかない。できるだけ早めにかたをつけろ』
簡単に言ってくれるという言葉を呑み込みながら藍華はアイリスから聞こえた勝成に「はい」と返事をする。
会議室に映る藍華は硝子のような杖を振り回して戦っていた。一緒に来ている伯明がフィデールと呼んだ人達は十字架で敵を閉じ込めることはしても戦うことはしない。役には立っているのだが、居ないよりはマシかという程度だ。
「・・・・黒崎」
藍華の腹部にディアーブルの触手が深く食い込み、肉を抉った。藍華は悲鳴こそ上げなかったが苦悶の表情だ。普通に暮らしていたら味わうことのない痛みを与えられながらも藍華の足は止まらない。
ディアーブルの攻撃を躱し、いなし、突っ込んでいく。時間が経てば怪我は痕も残さずに消えていたが、傷が完治する前に新しく怪我ができるのでプラマイゼロ。下手をすればマイナスの方が多い。
「此れが私達の此れからの日常」
スクリーンに映し出される光景はまるで映画でも観ているかのうようで実感が湧かない。舞子は手で口元を覆い、思わず零れそうになる悲鳴を堰き止めた。今一番つらいのは一人で戦っている藍華なのだ。弱音を吐くことは許されなかった。
「どうして、一緒に行っている奴らは戦わないのよ!」
いずなは思わず伯明の胸倉を掴んだ。
「彼らはソルダではない」
「でも、黒崎一人で戦わせるなんて」
「だからお前達が選ばれた」
「俺達にもアイツのように戦えと?」
射るような強い瞳で蒼空は伯明を睨んだ。彼の瞳には殺意に近いものが宿っていたが軍人として様々な戦場を潜って来た伯明に赤子の夜泣きと同じだった。
「そうだ」
「む、無理だよ」
震える声で今にも泣きそうな顔をして葉は言った。彼は一度もスクリーンを観てはいない。
「僕達はただの子供だよ、戦えるわけがない」
「だからお前達は一週間俺の訓練を受けともらう。藍華が言うには戦い方はエヴァンジルが教えてくれるそうだ」
「でも・・・・」
「私はやる。やれる」
そう言ったいずなの体も葉程ではないが震えていた。無理もない。戦いとは無縁の平和な世界で暮らしていたのだ。急に歴戦の猛者のようになれというのは酷だ。
「戦わなければみんな死ぬ。結果が同じなら選択の余地なしだね」
余裕の笑みを見せて鷹人は言った。彼は笑っていたが其れは強がりなのか、其れともただの能天気だからできた芸当なのか、彼と今日が初対面の伯明には判断できなかった。
「蒼空はどう思う?」
笑顔で聞いてくる双子の兄に苦笑しながら蒼空はスクリーンに映る藍華を見つめた。
「アイツばかり格好良い真似はさせられないだろ」
「素直じゃないね」
「うるせぇ」
「何で、みんなそんなに簡単に決められるんだよ。僕は無理だよ、戦えない」
「簡単じゃないよ」
叫ぶ葉に舞子は静かに言った。彼女の澄んだ瞳が葉を見つめる。彼女もまた自分の現実を受け入れた一人だった。
「簡単に決められることじゃない。其れに決めたからって、自信をもって戦えると言える人は此処には居ない。多分、今戦っている藍華ちゃんだって心境は私達と同じだと思うよ」
「そんなはず」
「ない」と言おうとした葉に重ねるように舞子は「どうして?」と聞いた。厳しい口調をしているわけではない。厳つい表情をしているわけではない。けれど舞子の瞳には其の先は絶対に言わせないという強い意志が宿っていた。
「平気な顔をしている人間が平常な心を持っているとどうして言えるの?笑っている人間は幸せだとどうして言えるの?強い意志を持っている人間は何者にも屈しない強い心を持っているとどうして言えるの?」
葉は答えられなかった。葉だけではない。蒼空も鷹人もいずなも何も言えなかった。舞子の放つオーラはまるで洗礼された空気のように清浄で、彼女の瞳は濁流してくる水のように強い勢いを持ち、逆らうことを許さない。
下手に逆らえば押しながらされて、溺れてしまうんじゃないかという恐怖さえ感じさせた。此れが体が弱く、学校に来ても大人しい性格からいずな以外誰とも話せない舞子なのかと三人は驚いた。
「人の心は分からない。本当の意味で理解することはできない。他人に諭されて初めて見えてくる内面だってある。自分のことを一〇〇パーセント理解できないのに他人の全てを理解するのは無理な話。だから人は想像するの。彼女は今、どんな気持ちなのだろう、私の態度、口調、言葉に対して相手は何を感じる?どんなモノを返してくれる?って。
藍華ちゃんを観て。スクリーンに映る彼女を観て。表情は?動きは?視線は何処に向いている?彼女は何を考えて戦っている?」
舞子の視線が葉からスクリーンに向かう。其れにつられるように全員の視線が舞子からスクリーンに映る藍華に向かった。
彼女はまだ戦っていた。傷だらけになりながら。助けは期待できない。ソルダは藍華一人。彼女は守る側で、守られる側ではない。だからどんな困難なことでも一人で何とかしないといけない。
目の前に居る敵だけではなく共に来たフィデールのことも気にかけないといけない。
「きゃあ」
結界の中でディアーブルが暴れている。必死に其処から出ようと。すると、クロワに罅が入った。
ディアーブルが触手を振り上げ、結界に思いっきり叩きつけると、窓ガラスにボールが当たり、砕け散るように結界が壊れてしまった。
「いや、助けて」
<人間ハ敵。皆殺シ>
「お願い、助けて」
「素子っ!」
「素子さん!?」
ディアーブルの触手が素子の首に巻き付いた。素子は首に巻き付く触手を剥ぎ取ろうと必死に足掻くがびくともしない。
藤島と池田屋も其々別のディアーブルを結界で囲んでいる為、誰も彼女を助けることができない。藍華は慌てて囚われてしまったフィデールの元に向かおうとした。其処に焦りが生まれた。
触手に足を掴まれ、転倒。ズズズズと藍華の体を引っ張り、持ち上げた。そして力任せに地面に叩きつける。其れを何度も繰り返すと藍華の手からラポールが落ちた。
頭から血が流れ、意識はない。
「黒崎、くそっ」
絶望的な状況だ。
<我ガ怖イカ、人間>
「お願い、助けて。殺さないで」
ボタボタと素子の目から涙が溢れてくる。どんなに懇願しても人ではないディアーブルには通じない。
<我ヲ受ケ入レロ>
「聞くな素子」
「誰がアンタなんか」
「ダメだ、こっちももたない」
池田屋の張った結界にも罅が入り始めた。
「くそ、このままじゃ全滅だ」
<我ニハ分カル。オ前ハ本当ハ戦イタクナド無カッタ>
「や、めて。私の心を読まないで」
<オ前ハ父ヲ恨ンデイル。其ノ恨ミ、我ガ晴ラシテヤル。ダカラ我ヲ受ケ入レロ>
少しずつ、素子の中にディアーブルが入ってくる。意識が遠のき、今は昼のはずなのに急に時間が早回りして夜になってしまったみたいに世界が闇に染まった。
意識を失ってないことは感覚で分かる。目が開いていることも分かっている。けれど何も見えない。
誰かが必死に自分の名前を呼んでいるのに素子には其れが誰の声なのか分からなかった。次第に其の声は雑音へと変化し、彼らが何を言っているのか分からなかった。
「素子、素子、しっかりしろ。駄目だ。心を強く持て、素子」
素子の首に巻き付いていた触手は太く、平たくなって彼女の体全てを覆っていた。まるで闇でできた布団にでも包まっているようだった。
顔だけは少し出ていたが、彼女の瞳は確かに開いているのに何も映していないかのような空虚さがあった。
「素子さん、しっかりしてください。負けないでください」
藤島と池田屋がどんなに叫んでも素子に反応はない。
少し先には意識を失った藍華が居た。藍華は頭から血を流し、生きているのかは分からなかった。
『藍華、藍華、起きろ!』
『藍華ちゃん、此のままじゃあみんな死んでしまう。目を覚まして』
『黒崎、目を覚まして』
『藍華ちゃん、起きて』
『起きて、黒崎さん』
闇に包まれた。何も見えない。体中に痛みが走る。自分は死んだのか。
<いいや、まだ死んではいないよ>
誰?
<我はお前だ。そして、お前は我だ>
コア。此れはコアの声だ。
<そう。我はお前に移植されたコア>
コアには自我があるのか。
<当然だ。姿形は以前とは大分異なるが其れでも我の原形には自我があったのだから>
どういうこと?
<お話は此処まで。お前の仲間がお前を呼んでいる。早く目を覚まさないとみんな死んでしまうよ>
『藍華』
目を覚ますと、アイリスから蒼空の声がした。他にも鷹人、いずな、舞子、葉の声がした。
彼らは昨日勝成から渡されたアイリスを使って必死に藍華を呼んでいたのだ。
意識を失ったせいでラポールはピアスに戻り、藍華の耳についていた。
前を見るとディアーブルに捕らわれた素子、藤島、池田屋が居た。
藤島と池田屋はディアーブルの触手が体に巻き付いているだけだ。意識もはっきりしており、必死に抵抗している。だが、素子はディアーブルに体を覆い尽され、目も空虚になっている。先に素子を助けた方がいい。
次に藍華は自分の足に巻き付いた触手の先を見た。
藍華の意識が戻ったことに気づいたディアーブルは再び藍華を宙に持ち上げた。彼女をまた地面に叩きつけようとしているのだ。其のことに少し違和感があった。だが、今は気にしないことにした。
「ラポール」
藍華の手に再び硝子の杖ができた。地面に叩きつけられる瞬間、藍華はラポールをディアーブルに投げつけた。
「マレディクシオンっ!」
ラポールはディアーブルの腹部(だと思われる場所)に刺さった。
地面に叩きつけられた藍華は腕が折れる音がした。だが、気にしている暇はない。
石化したディアーブルから急いでラポールを取り、素子に向かって走り出した。
右足に力がかかる度に痛みが走った。骨に異常はないがどうも痛めたようだ。其の程度なら数分で治る。
「マレディクシオン」
素子を襲っていたディアーブルを石化し、次は藤島と池田屋だ。二人を襲っていたサウロンが同時攻撃をしてきた。
一つはラポールで防いだ。もう一つは藍華の左手に巻き付いた。