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汲めども尽きぬ龍の秘め事

 地面に大きな影がさした。雲よりも鋭く、早く流れる影が。

 なんだろうと見上げると、黒い何かが太陽を横切った。


 それはまだ彼女がドロシーという名以外、自分の名前を知らない頃。彼女は初めて龍を見た。

「おじいちゃん! ドラゴンよ、ドラゴンがいたの」

 祖父はいつも一人がけのソファで本を読んでいる。活字中毒だという本人の主張は正しく、ありとあらゆる本を読破していた。


 そんな博識の祖父になついたドロシーは、すぐさま驚きの出来事を大好きな祖父に報告したのだった。

 これが他の人であったなら、きっと相手にはしてくれなかったことだろう。母は家事で忙しいし、なにより冒険だとかロマンだとかに理解の無い人だ。父は仕事で留守にしている。

 まともにドロシーの相手をしてくれる人など、家族の中では祖父だけだったのだ。



 しかし、博識の祖父によっても、その日ドロシーの見たようなドラゴンは図鑑から見つけることができなかった。

「……ドラゴンじゃなかったの?」

 不安になってドロシーは呟く。

 影を見た瞬間、ドロシーはドラゴンだと確信した。確かに、その形はドロシーのよく知るようなものではなかった。

 ドロシーの知るドラゴンといえば、大きな翼があり、足は四つで、長い尾がある。しかし影はまるで蛇のような身体をしていた。翼も手足もあったかどうか分からないほど。尾はと言えば、あの長い身体のどこまでが胴体でどこからが尾かも分からない。

 思い出せば思い出すほど、ドロシーの知っているドラゴンの形からかけ離れている。

 図鑑に蛇のような形のドラゴンもいたけれど、顔はヒルのようだし、第一地中で生きている種だった。およそ飛べそうにはない。

 だがどうしてか、あの影は絶対にドラゴンだと、そう思ったのだ。


 一緒になって考え込んでいた祖父は、ハッと思い出したように書庫へと駆け入った。そうして取り出したのが、一冊の古めかしい型の本だった。

「ほとんどアンティークのようなものだが」

 祖父はあるページを開くと、ドロシーを手招いた。

「これ! これよ、おじいちゃん! 空を飛んでいたの」

 そこにはドロシーの頭に描いた通りの姿があった。

「これはこの辺りにいるドラゴンではないね。龍というんだよ」

「龍……?」

 祖父は深く頷く。

「ドラゴン達の生態も全て明らかなわけではないけれど、その中でも非常に珍しいタイプだよ。東側に棲む者もいると聞いたことがあるが、そもそもドラゴン達すら見かけないからなあ」

 不思議そうに本を覗きこむドロシー。祖父は純真なドロシーの頭を愛しげに撫でた。


「こんなに珍しい龍が姿を見せてくれるなんて、ドロシーは運が良い。きっと、お前を見守ってくれるさ」

 祖父はドロシーにそう言った。

 きっと祖父自身、そうあれば良いという願望を込めた言葉だったのだろう。

 あれからドロシーは約十年の間に、そんな幼い頃の思い出も忘れてしまった。





 ヘリアントスと過ごすようになって驚いたのは、彼は日向ぼっこがなかなかに好きだということ。今日も龍本来の姿に戻ったヘリアントスの、首のあたりに身体をもたれる。

 ふかふかの鬣に身を委ね、柔らかな日差しにうっかりまどろむ。時折鬣を撫でるように手を差し出せば、ヘリアントスも心地よさげに目を細めた。


 ダンジョンに赴かない日は、こんなふうに過ごすことが多くなっていた。

 ヘリアントスの鬣に包まれ目を閉じると、しんしんと自身に染み渡るヘリアントスの魔力を感じる。

 ああ、こうしている間にも、身体はゆっくり変わっていっているんだ。ドロシーはまどろみの中で、指の先に魔力で作った光の玉を見つめる。初歩の光魔法だ。

「ずいぶん上達したな」

 ヘリアントスは言う。

 龍は声で言葉を発したりはしない。魔力による思念のようなもので語りかけるのだ。けれど、人間と普通に話すよりもずっと心地よい。そう思えるのも、身体が変わり始めているからか、それとも彼に恋をしているからだろうか。

「このままいけば、一年もかからないんじゃないか?」

「日向がそうやって気にかけてくれてるからだよ」

 ドロシーがそう答えると、龍は長い金色の髭を揺らした。

「照れ隠し?」

「待ち遠しく思うのがそんなにおかしいか」

 ぶっきらぼうに言いながら身じろぐヘリアントスの、なんて可愛いことだろう。最近のドロシーにはそう思える余裕がある。



 ドロシーは数ヵ月前、ヘリアントスに告白されたばかりだ。

 言われた瞬間こそ、これは夢ではないかと己の耳を疑った。だが、珍しく真っ赤に染まる彼の頬と、元日本男児らしい照れゆえの少しぼやけた言い方が彼女の胸をときめかせた。何より、彼の熱いまなざしが彼の想いを信じさせてくれたのだった。

 自分の気持ちを伝えた時の彼の表情を思い出すと、彼女は自分の頬までまた熱をもってしまうことに気づかされる。

 ああ、こんなにも彼に愛されているのだ。

 そう確信する度に、彼女は言い表せない幸せに包まれる。



 想いが通じあった当初は、龍の番になるための儀式というものをすぐにでもするのかと思っていた。儀式をするというのも祖父の書物に書いてあったことだ。

 そういうものがあるというのは分かったけれど、具体的にどうするのかというのはどこにも書いていなかった。ドラゴンのことを知る人はいつの時代も少ないし、ドラゴン自体が人間と距離を取っている。どの研究者もその秘密主義には悲しみを抱いている。


 だからこそ、番になるには時間がかかると聞いたときには驚いたものだ。互いに想いあっていれば、もう番だと思っていたのだから。

 番になるということは、彼女の想像以上に大変なことらしい。

 ヘリアントスの解説によると、ドラゴンの番になるには体内の魔力回路を番のドラゴンに繋げる必要があるようだ。といっても、それだけでドロシーが理解できるはずもなかった。

 ただ理解できたのは、番になるには身体をドラゴンに近づけなければならないこと。そして完了するには個人差があり、早くて一年、長ければ十年弱もかかるのだという。

 それを聞いてドロシーは、ドラゴンなだけに、人間とは年月の感じ方も違うのだと感心した。

 長くて十年弱と聞いた時には不安もあったが、ドロシーよりも待ちわびた様子の彼を見れば不安もかき消えた。




 普通は魔力を使わずに、ドラゴンから受け取る魔力を感じながら静かに暮らすらしい。出来る限り近くで互いを感じ、触れ合い、ドラゴンの魔力に身を委ねて定着させていくのだ。

 だが、身体を作り変える期間を縮めるために、効率が良いのは魔力を使うことだという。

 彼の番になると決めてから、ドロシーはダンジョンでの自分の魔法銃の扱いにほとほと困っていた。魔力が思い通りに練れないのだ。

 それは魔力回路を変えている弊害であるらしい。彼によると、それを抑えながら魔力を使うことで定着しやすくなるのだという。


「継海は魔法銃を使いこなしていたろ。だから普通の人間よりも早く定着するさ。扱いに慣れているなら、安定もさせやすいはずだ」

 というのはヘリアントスの見解だ。

 一見、楽観的な彼の言葉だが、彼女への厚い信頼と期待が垣間見える。

 ドロシーは毎日魔法の練習に明け暮れた。基礎の基礎からやり直しの日々だ。

 初めこそ、今まで簡単にできていたことが不自由になるつらさがあった。だが彼女はめげなかった。

 そうすればきっと、彼が喜んでくれると信じていたから。



 やっとここまで辿り着けた。

 ドロシーは指先の小さな光の玉を見つめる。つい先日まで、こんな初歩魔法も困難だったのだ。

 彼女がこんなふうに魔法の練習をするときは、彼はドラゴンの姿でいることが多い。そうすると、ドロシーへと魔力を流しやすいのだとか。


 だからかもしれない。

 ずっと忘れていた幼い頃のことを思い出したのは。


 幼い頃、ドロシーは数多くの冒険譚に心を踊らせるくらいにはロマンを知っていた。だが、ドラゴンに関しては特別どうこうという関心は抱いていなかった。

 ドラゴンに興味が出たのはあの出来事からだ。

 村を出る頃には忘れてしまった小さな出来事。龍の影を見たという小さな思い出。

 あれからどうしてかドラゴンという存在が気になって仕方がなかった。

 だが、今なら分かる。忘れてしまっていても、どこかであの影が日向晴葵だと感じていたのだ。彼女の中の継海がそう確信している。


「ねえ、日向」

「どうした?」

「もしかしてなんだけどさ」

 横目で彼を見ると、ヘリアントスは薄く目を開けて優しい眼差しをドロシーへと向けている。

「もしかして日向、わたしの村の上、飛んだことある……?」

「えっ」

 ヘリアントスは伏せていた首をむくりと起き上がらせ、瞳孔を開いた。

 他の人間が見れば身もすくむようなその仕草を、彼女はホッとしながら見つめる。鋭い瞳も、彼女にしてみれば、ああ爬虫類だなあという感動があるだけだ。


「本当にもしかしてなんだけど、もしかして……わたしのこと、見守ってくれてたり……した?」

 ドロシーはあの日見た影がヘリアントスだったという確信こそあれど、それが意図したものかどうかは分からなかった。

 彼が彼女を望んでくれたのが最近のことなのか、それとも継海であった頃からなのか、彼女には見当がつかなかった。

 だが、もし。もしも、あの日わざわざ彼が龍の姿でドロシーの村の上を飛んでいたのだとしたら。

 そうしたら、前世の小さな恋も報われはしないだろうか。もっと自分に自信が持てるのではないだろうか。


 不安げに見上げたドロシーの目に映ったのは、あからさまに動揺している彼の姿だった。

 長い髭はピシッと延びきって、視線もうろうろとさ迷っている。

 そんな彼の様子を見て、彼女は思わず頬を押さえた。緩みきってどうしようもない自分の頬を。


 そうだったらいいとは思いつつ、こんな反応をされるとは思わなかった。

 前世も含め、いつも彼は冷静で無口で格好良かった。だけどどうしたものか。最近はこんなに格好良い彼を可愛いと思えて仕方がないのだ。



 しばらくして冷静さを取り戻した彼は、龍の身体を輝かせて人間の形に変えた。龍の姿と同じ瞳で真摯に彼女を見つめる。

「そうだと言ったら、幻滅する?」

 彼は眉間に深い皺を寄せてボソボソと言った。

 ドロシーはたまらず頬を押さえたまま顔を伏せた。きっと赤いその顔は彼にも見えてしまったに違いない。


 こんなこと、現実で大丈夫なんだろうか。

 彼に告白されたことでさえ夢のように思えたのに、それがまさか前世からだなんて。

 ただの継海であった時のあの気持ちは無駄ではなかった。自分ばかりが好きなのではなかったのだ。

 前世ではあんなに焦がれて、歯がゆく、もどかしい想いを募らせたものだけれど、きっとそれは彼も同じだったのだ。そう感じ取れた。


 彼女が地面を見つめているのを良いことに、彼は鱗の浮かぶ腕でドロシーの身体をそっと抱き締めた。

「なあ、それは、自惚れてもいいって思ってもいいか」

 ヘリアントスの低い声がドロシーの耳をかすめた。

 彼女の身体が一瞬震え、そうして少しずつ彼へともたれるのを感じた。彼は浮かれきった口元をこれ以上緩まないよう引き締めて、彼女の心音を感じながら目を閉じた。



 彼女はあまりの嬉しさに頭が真っ白になってしまった。だから、気づかなかったのだ。

 彼が彼女の想像以上に長い年月をかけて、どれだけ彼女を求め、彼女を愛しているか。

 彼がドロシーと再会して間もなく、元々持っていた双剣ではなく魔法銃を勧めた理由も。まさか番になる際の準備期間を少しでも縮めようと目論んで、あらかじめ彼女の魔法スキルを上げるよう導いていただなんて、考えつきもしないだろう。

 それが身体を作り変えるまでの長い間で彼女の心変わりがあったなら、なんて起こりそうもない「もしも」の世界を恐れてのことなども。きっと、彼女は気づくことはないのだろう。


 臆病で用意周到な龍の秘め事は、まだまだ数えきれないほどにある。

 その一つを暴いたところで、星の数ほどのそれが尽きることはないのだろう。


「自惚れてよ、もっと」

 彼の腕の中でくぐもった声が響く。

 未だうつむいたままのドロシーのうなじを見ながら彼は思う。龍で本当に良かった。龍であれば人間よりも心音はゆっくりであるし、表情も変わりにくい。

 もしも彼が犬系の獣人であったものならば、きっと振り切れんばかりの尻尾が彼女の笑いを誘っただろう。彼はまだまだ彼女に格好つけたかった。

 未来の彼が見たならば馬鹿馬鹿しいと笑うかもしれない。だが、切望した恋を実らせたばかりの彼は、余裕な男を演じることに必死なのだ。


 だからこそ、龍の秘め事は尽きることは無いだろう。この瞬間でさえ、彼はこの恋を永遠にさせることには余念が無いのだから。



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