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[承] 二回目のきょう

   [承] 二回目のきょう



 次の日、三年二組の教室では、ミナの回りに人だかりができていた。ぼくの机はミナのとなり。ぼくは人だかりをぬって自分の席に行った。

 きのうのことがさっそく話題になっている。

「あの道、ほんとあぶないんだよね」

「おれもさ、はねられそうになったことあるんだぜ」

「わたしもよ。横、バイクがぎりぎりのとこ走ったりしてね。すんごいスピードでよ」

 ぼくは「おはよう、きのう大変だったね」とミナに言って席に座った。

「おはよう、ケンちゃんは、けがしなかった?」

「うん、大丈夫。間一髪。トラックに気づくの、もうちょっと遅かったら、ぼくもはねられてたかも知んない」

「そうそう、タロ、家に連れてってくれたんだって。ありがとう」

「タロのやつ、あれからずっと、クーンって泣いてやんの。あれだけほえてたのにさ」

 ミナの足はギプスで固められている。見るからに痛そう。机の横に松葉づえを立てかけていた。

 アスカがミナに聞いた。

「ねえ、ねえ、ミナちゃん、泣かなかった」

「まっさかー」

「でも、痛かったでしょ」

「そりゃそうよ。痛いなんてもんじゃなかったわ。声でなかったもん」

「こんな大けがなのに。学校休めば良かったのに」

「家にいるより、学校来る方がおもしろいじゃん。こうやって、きのうのこと話できるしさ」

「きょう、この松葉づえで来たの?」

「ママが送ってくれたの。車でね。わたし、いやだって言ったんだけどね。車で校門に乗りつけるって、めちゃ恥ずかしいじゃん。ちびまる子の花輪くんみたいで」

「はは、そりゃ、そうよね」

「帰りもママ、迎えに来るんだって。恥ずかしいから、いいって言ったのに聞かないの」

 ぼくらの回りの人垣は、先生が教室に入ってきてようやくなくなった。先生はミナの方を見て言った。

「ミナちゃん、災難だったわね。でも、足のけがだけですんで、ほんと良かったわ。頭でも打ってたら大変だったものね」

 おとなの人はみんな、不幸中の幸いだと言う。まあ、ミナが元気だからなんだけど。そんなものなのかなあ、なんてぼくは思った。

 ミナは、ギプスが取れるまで一か月ぐらいかかるらしい。その間、ずっと体育は見学するらしい。


 その体育が二時間目にあった。ミナは運動場の端っこで見学している。きょうは五十メートル走のタイムを計る。かけっこはぼくの得意とするところ。特にスタートダッシュがね。きのう助かったのも、ぼくの足が速かったからだとも言えるのだ。

 きょうの体育は、運動会の徒競走の練習。それから、もうひとつ大事なことがある。クラスで一番速い児童を決める。運動会の最後「チーム対抗リレー」のメンバーを選ぶのだ。チーム対抗リレーは、運動会の中でも一番盛り上がる種目。全校生徒が、あらん限りの声を張り上げて自分のチームを応援する。そんな競技だから、メンバーに選ばれるというのは、とても名誉なことなのだ。

 授業では、みんな一通り走ったあと、足の速い児童だけで決勝が行われた。決勝で一番になった児童が、チーム対抗リレーの選手に選ばれる。ぼくももちろん決勝に残っている。居並ぶ面々は足自慢のやつらばかり。ぼくは大きく深呼吸してスタートラインに立った。

「よーい、ドン」

 先生の号令で一斉に駆けだした。スタートが得意なぼくは、二十メートルくらいまで、ほかの児童にからだひとつ分くらいの差をつけていた。普通ならこのまま逃げ切れるのだけど、さすがに好タイムをあげたやつらばかり。差はなかなか広げられない。それどころかぼくを追い上げてくるやつがいる。そう、タケシ。ぼくとタケシは四十メートルくらいのところで並んだ。ぼくとタケシ、ふたりの一騎打ち。ほとんど差がつかない。からだ中の血がたぎる。くっ。ぼくは息を止めて、ゴール目指して突っ走った。ぼくとタケシ、ゴールはほとんど同時だった。

「うぉーっ、すっげえ」とだれかが叫んだ。

「優勝はケンジくんです。タケシくんとはほんの少しの差でした」

 と先生が言うと、歓声があがった。

 結局、この競争。勝ったのはぼく。男子チーム対抗リレーのぼくの出場が確定した。タケシのくやしがりようってなかったね。でも勝負は勝負。気の毒だと思うけどね。

「すごい戦いだったわね」

 見学していたミナが言った。

「まあね」

「わたしも体育したいなあ」

「その足じゃあね。ミナ、運動会にも出られないの?」

「うん……、ダメだって。きのう、救急車で連れて行かれた病院で、お医者さんに聞いてみたの。走るのはがまんしますけど、ダンスも出ちゃだめですかって」

「お医者さん、なんて」

「あったりまえでしょ、なに考えてんの、だって。がっくりきちゃった」

 ミナは、残念そうに言った。ダンスのうまいミナなのに、それを披露できないなんて、ちょっとかわいそう、とぼくは思った。


 さて、ここまでのぼくの話、みなさん、退屈に思ったことだろう。

 実はいままでの話はほんの序奏にすぎない。ぼくの話はこれから佳境を迎えるのだ。


 昼休み、給食を食べたあと、ぼくは仲の良い男子と運動場で遊んでいた。昼休み終了のチャイムが鳴って、校舎に入っていったときのこと。そこでげた箱の中に国語のノートが入っているのを見つけたのだ。

(あれ、こんなとこに入れたかなあ。確か、朝はなかったと思うのに……)

 と思ったけど、ぼくの名前が書いてあるからぼくのノートにまちがいない。ぼくは教室にノートを持っていった。確かにきょうの一時間目に使ったノート。ぼくはパラパラとノートをめくった。すると、最後のページにこんなことが書いてあるのを見つけたのだ。

「ケンジへ」

 なんだ、これ。ぼくは書いた覚えがなかった。この時点でぼくは、たぶんだれかが、ぼくのノートにいたずら書きしたんだと思っていた。だれかわからないけど、言いたいことあるんなら、直接言えばいいのに。それに、ケンジへ、って書き方も気にいらなかった。ぼくへの手紙なら、高橋健司さまとかケンジくんへとか、そんな書き方すればいいのに、と思っていた。

 それにしてもこの字のくせ、どこかで見たことがある。おとなの人の字じゃない。たぶんぼくのクラス三年二組のだれかの字だ。ぼくは教室を見渡した。犯人の視線がぼくにそそがれているように思ったから。けれどだれも、ぼくのことを見ていなかった。ぼくは不審に思いながらノートに目を戻した。

「ケンジへ」と書かれたページには、四つにおられた紙切れも挟まっていた。紙切れはざらざらしていて黄ばんでて、ちょっとさわると破れてしまいそう。ものすごく古い紙だった。

 紙切れを横において、ノートに書かれた手紙を読んだ。長い手紙だった。そこに書かれた内容を見て、ぼくは衝撃を受けた。手紙には信じられないことが書かれていたのだ。


 ケンジ、いま、この手紙を見てるということは、たぶん、きみが、ぶじなんだからだと思う。

 ぼくはきのう、緑の森公園に行くとちゅう、トラックにはねられて、足のほねをおる大けがをしてしまったのだ。きょうはまつ葉づえで登校してきたんだよ。いつもは十分ほどで登校できるところ、一時間もかかったんだから。

 ケンジ、きのうのことだ。思いあたることがあるだろう。そう、これを書いているぼくもケンジ。

 あとでくわしく書くけど、あるほうほうを使えば、ぼくは、トラックにはねられることは、なかったんだ。そのほうほうをぼくは発見した。ぼくは、きょうの一時間目、国語の時間にこれを書いている。教科書を立てて先生に見えないように、こっそりとね。なんとしても、きみに、じこをふせぐほうほうをとってもらおうと思ったからだ。

 ぼくは、この手紙をきみに発見させるほうほうを考えた。なんとかきみが学校にいる間に見つけさせるほうほうはないかとね。つくえの引き出しやランドセルに入れておいたんじゃ、たぶんきみは、この手紙に気づくことはないだろう。家に帰るまで、いやもっとあと、ひょっとして、次の国語のじゅ業になるまで気がつかないかもしれない。だってきみは、宿題もないのに家でノートを広げるなんてこと、するわけないからだ。しかし、それではおそすぎる。ぼくはなんとしても、きょう、きみが学校から帰るまでに、この手紙を発見させなければならないのだ。ぼくにふりかかるじこをふせぐためにね。

 ぼくは思いついた。きみだけに発見させることができて、しかもきみにふしぎに思わせることができるところ、そうだ、げた箱だ。ぼくはこのノートをげた箱に入れておく。いま、けがをしているぼくが、まつ葉づえで階だんを下りて、げた箱まで行くって、どれほど大へんなことか、想ぞうしてほしい。でもぼくは、かならず、げた箱にノートを入れておく。きみに、かく実に発見してもらうためにね。

 この手紙を読めば、きみは、じこをまぬがれてくれることだろう。

 こっせつなんていやだろ。きょうの体育、五十メートル走で、タケシに勝ちたいと思ってただろ。ぼくにはそれができないんだ。たぶん、タケシがチーム対こうリレーのせん手にえらばれるのを、ぼくは、くやしい思いで見学するしかないんだよ。

 いろいろ書いたけど、やってほしいことはひとつ。きょうの、ほうかご、もう一まいの紙に書かれているとおり行動してくれ。そうすれば、こっせつなんてしなくてすむんだから。ケンジ、たのんだぞ。


 手紙は、ぼくがぼく自身に書いたものだった。どういう世界か知らないけど、この手紙を書いたぼくの世界では、ぼくが骨折しているという。向こうの世界のぼくは、ぼくが骨折しないようにとこの手紙を残してくれたのだ。ぼくがうかつだったのは、手紙ではミナのことにひと言も触れていない、そのことに気づかなかったことだ。もし気づいていれば、ぼくは手紙にしたがわなかったかもしれない。その理由はあとになればわかってくれると思う。

 ぼくは、もう一枚の紙をそおっと広げた。ぼろぼろになっているのを破らないように。

 紙には学校の平面図が描かれ、その上に「①……」「②……」「③……」……、とぼくがするべき行動の順番と、たくさんの矢印が書かれていた。


 放課後、ぼくは紙に書かれているとおりのことをした。それはとても複雑な手順だった。

 まず教室から出て、廊下を北の方に歩く。このとき必ず右側通行をするようにと書かれている。北の端まで行ったら北階段を三階まで上る。それから五年生、六年生の教室の前を通って、今度は南の端まで歩く。このときも右側通行を守らなければならない。南階段を一階まで下りてまた北に行く。職員室と保健室の前を通って北の端に行ってまた北階段から二階に上がる。それからぼくの教室の前を通って南の端まで行く。そのあと南階段を屋上まで上がる。屋上に出る扉のかぎはこわれているので押せば開くと書いてあった。屋上に出て、屋上フェンスの回りを右回りに二周する。それからまた三階に下り、六年生の教室の前を通って北階段から一階に下りる。

 ここまで歩いて、ぼくはへとへとになった。なんかだまされてるんじゃないかとも思った。でも、せっかくここまでやったんだから、最後まで手紙のとおりやってみようと、ぼくは続けたのだ。

 校舎の北側出口から出るとジャングルジムがある。ジャングルジムとうんていの後ろを通って、鉄棒のところまでやってくる。来た方向から数えて四つ目の鉄棒で逆上がりを七回する。それから体育館の入り口まで行って屈伸運動を三回やれとある。

 なんかここまでくると、さすがにバカらしくなってきた。でも、手紙のとおりにしないと足をけがすることになるし、そうすると体育の授業にも出られず、運動会の徒競走にも、もちろんチーム対抗リレーも出られない、ということになるのだ。バカらしく思っても続けなきゃならない。

 職員室から先生が出てきて「高橋くーん、もう下校時間よ。早く帰りなさい」と、ぼくに声をかけた。

「はーい」と一応返事しておいた。先生にはこう言っといて、さあ、あと、もう少し。先生に不審がられないうちに終わらせなきゃ。

 運動場を横切った。高学年のサッカー部が練習している。コートを横切っていたら、「こらーっ、じゃまするな」って怒られた。ぼくはダッシュで、にわとり小屋までやってきた。そこでにわとりに向かって「コケコッコ」と大声で叫ぶ。にわとりがびっくりして小屋のすみに逃げていった。それから、サツマイモ畑のあぜを通って校舎のうらにやってくる。

 そこには、犬がいるはず。犬にお座りさせておいて、犬の前で三回回ってワンととなえろと書いてあった。

 ぼくは回った。一回回るごとに太陽の光が強くなっていく気がした。一回目がキラッ、二回目ギラッ、三回目カーッというふうに。三回回ると立っていられなくなった。前のめりになって地面に手をついた。ぼくは叫んだ――、つもりだった。「あぶない!」だったか「ダメー!」だったか「倒れる!」だったか、とにかくそんな言葉だったと思う。だが、口から出た言葉は「ワン」だった。

 ぼくは、犬の姿になってそこにいた。


(つづく)


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