第1話 朝比奈優衣の衰弱
お待たせしました、第二部開始です(とはいえ、やはり最初のころから比べたらかなりゆったりとしたペースになりますが)。
なお、第二部は第一部のあとがきでも触れた通り、優衣関連のかなり陰鬱な展開となります。
最初からその根幹部分に触れるストーリー構成のため、鬱展開が苦手な方は特にと注意ください。
では、学園テンセイ劇場第二部、スタートです。
ピンポーン。
ありふれた呼び出し音が、ありふれた一戸建て住宅の玄関口で音を立てる。
この一戸建て住宅は分譲住宅のうちの一つなのだろう。付近には似たような外観の戸建て住宅が立ち並ぶ。
現在の財政状態がどんな感じなのかは不明だが――無茶をしての購入でなかったことを祈るばかりである。
『はい、朝比奈です』
「清水様、西園寺麗奈です」
『あ、麗奈さん……と、瑞希ちゃんも一緒なんでしょうか』
「えぇ、お察しの通りです。本日も、お邪魔させていただいてもよろしいでしょうか?」
『はい。大丈夫です。優衣ちゃんも、少しは気が晴れるかと思いますし……』
「ありがとうございます。それから、連日押しかけてしまいまして、誠に申し訳ございません」
『いいんですよ。こちらとしても、助かってますから。――ちょっと待っててくださいね』
「はい。お邪魔したします」
母さんがそう言ってマイクから離れる。少したって、玄関から出てきたのは見慣れた顔。
ジュニアアイドルをやってる優衣ちゃんに専属でついているマネージャーさんの、清水恵子さんだ。
清水さんは私達を出迎えると、笑いながら上がってください、と言ってくれた。
言葉に甘えて部屋に入る。と――
「………………ぁ、」
ダイニングに向かう途中で、個室の一つで寝具から身を起こしている状態の少女一人と、目が合う。
私の親友の一人である、件のジュニアアイドル――朝比奈優衣ちゃんだ。
ただ、今はそのジュニアアイドルとしての彼女は見る影もなく、ただ一人の弱り切った少女としてそこに佇んでいる状態。
それでも、こうして布団から身を起こして私を迎えてくれるあたり、そこそこ回復の兆しは見えてきているのだろうか。
――どうでしょう。確かに言葉では歓迎してくれているようですが……、ほとんど、なにも目に映していないように思います。
そんな私の思考を読み取り、私の頭の中に直接語り掛けて来るのは、もう一人の私――この世界に初めからいた、本来の『西園寺瑞希』だ。
私は彼女の身体に憑依してきた転生者。彼女の身体を間借りしているような存在で、彼女はいつか完全復活をしようと、虎視眈々とそのタイミングをうかがっている存在で、私が負い目を感じている人物でもある。
それでも、こと優衣ちゃんのことに関しては全面的に協力を申し出てくれている。やはり、私もこれほどまでに弱り切った優衣ちゃんを見て、どうにかしたいとは思っているようだ。
清水さんにダイニングへと案内される母さんを尻目に、私は優衣ちゃんの元へと歩み寄る。無論、本人の許可をもらってからだが。
「失礼いたします。入ってもよろしいでしょうか、優衣様」
「…………ぅん……」
優衣ちゃんは笑って私の入室を許してくれた。
そう――見ているだけでこちらが悲しくなってしまうような、痛々しい笑みを浮かべて。
かつて、人気子役女優として名をはせていた優衣ちゃんは見る影もなく。今はただ、一人の少女として、悲しみに暮れるだけ。
優衣ちゃんは、居間のひな壇のような台の上に飾られた三枚の写真をただ茫然としている。
そのすぐ手前には三つの壺――紛れもなく、そういうことであることをうかがわせる光景だ。
小六、まだ十一歳にしかならない彼女にとって、その事実はあまりにも重すぎることだ。
起こってしまったものは仕方がない、と声をかけるにはあまりにも無責任と言える。優衣ちゃんのこの様子を見れば、誰でもそう思うかもしれない。
「大分、痩せてしまわれましたね……料理、食べれていないのですか?」
「…………ん……」
私の問いかけに、ただ小さく、そう頷く。
陰鬱な空気を纏っているのは、栄養不足からも来ているかもしれないけど……。ここまでくると、拒食症――精神的なものを患っている可能性も否めない。
いや、優衣ちゃんの置かれてしまった状況を考えれば、そうならないほうがおかしいだろう。
「少しでもいいですから、食べたほうがいいですよ?」
「ぃらない……食欲、ない」
「ですが……でしたら、お昼ご飯は一緒に食べましょう? 一口、二口でも。食べないよりは、まだマシですよ?」
詭弁だ。
一口二口食べても、栄養不足からは脱することはできない。衰弱は止まらないだろう。
それでも、まったく食べてくれないよりはまだマシだと思う。
私の訴えに、やはり小さくだけど、頷いてくれた。
このあたり、ちょっと押しに弱い優衣ちゃんは丸め込むのが簡単だと思う。でも――食べてくれたところで、その後戻さないかどうか、という問題も絡んでくるのだけれど。
「ちょっと待っててくださいね。レトルトですけれど――おかゆ、買ってきましたから」
ここへ来る途中、私と母さんはスマプラに立ち寄って、必要になりそうなものをあらかじめ購入してきた。
ちなみに、スマプラは友人の一人の実家が経営者をやっているCVSチェーン店のことだ。正式名称はスマイル・プライス社という。
「ぅん……あり、がと…………」
小さくはにかみながらお礼を言う優衣ちゃんを尻目に、私は母さん達がいるキッチンへとやってきた。
「……ふぅ。そういうことなら、わかりました。朝比奈優衣様については、本人の承諾をもらえたあかつきには、西園寺家が後見人としてお預かりいたしましょう」
「申し訳ありません……私も、協力して上げられたらいいんですけど……お金が…………養っていけるかどうか、不安なんです」
「そうですね……。優衣様のお金は優衣様のもの。むやみやたらに使っていいものではありませんし――生活費として必要だからといくらかいただくことはできても、心が痛む人は痛みますから」
母さん達はなにやら大人の話し合い。
まぁ、優衣ちゃんの面倒を見れる人がいなくなってしまった以上、後見人候補を立てて、家庭裁判所に申し出て認めてもらうしかない。
そして――優衣ちゃんには親族がいない。いや、正確には、いないこともなくはないのだが――連絡は取れたものの、向こう側が拒否をしたため候補者から除外。現在保護者不在、という状態にある。
そこで後見人として申し出たのが西園寺家――優衣ちゃんと懇意にしている私の家、というわけだ。
「一応、それとなく優衣ちゃんにも聞いてみたんですけど、優衣ちゃんはそれでいいそうです。ただ、やはり当人同士での話し合いは必要と思いまして――あ、瑞希ちゃん。湯銭に掛けるなら火の取り扱いには……って、瑞希ちゃんにはあまり関係ないか」
「あはは……まぁ、注意はしてますから大丈夫です」
二人の話を聞きながら、私が買ってきたおかゆを温めるために熱湯を作ろうとしていると、清水さんがそう声をかけてきた。
まぁ、度々清水さんの目の前で年相応の子供らしくない、ぶっ飛んだ真似をしてきたからこそのこの反応、なんでしょうけど。
――あまり褒められたことでもないでしょう。少しは年相応のらしさというのも見せないと、ボロが出てしまいますよ?
その時はその時だよ。
呆れたようにそう呟く私には、開き直ってそう返す。
もうこれまででだいぶボロが出まくって、このごろは私が年不相応なことをしでかしても『私だから』と周囲が済ませるケースが多くなってきている傾向もある。
もう、あまり気にしなくてもいいだろうと思ってのことでもある。
水を張った鍋を火にかけること数分。沸騰したところで、レトルトのおかゆを鍋に投入し、タイマーをセットしてダイニングの椅子に座りこむ。
鍋の様子を見ながら思い浮かべるのは、小学校五年生に上がってからのことだった。