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第17話:収束する確率と、英雄の落日

「オオオオオッ!! くたばれぇぇぇッ!!」


 剣聖ガイルの絶叫が、石造りの回廊に木霊した。彼の手にある大剣が、最後の一体となったリビングアーマーの兜を叩き割る。甲高い金属音と共に、動く鎧はガシャンと崩れ落ち、黒い霧となって消滅した。


「はぁ……はぁ……! や、やった……か……?」


 ガイルはその場に大の字に倒れ込んだ。自慢の重装鎧は見る影もなくひしゃげ、愛剣の刀身には無数の亀裂が走っている。


「痛い……足が、動かない……」


 聖女マリアが壁に寄りかかり、涙目で足首をさすっていた。乱戦の最中、逃げようとして瓦礫につまずき、酷く捻挫してしまったのだ。治癒魔法ヒールをかけようにも、魔力はとっくに底をついている。


「最悪よ……私のローブ、ボロボロじゃない……」


 大魔導士カレアもまた、すすと泥にまみれ、髪を振り乱していた。杖の魔石はひび割れ、これ以上魔法を行使すれば暴発しかねない状態だ。


 勇者パーティは、辛うじて勝利した。だが、その代償はあまりにも大きすぎた。 ポーションは空。食料も戦闘の余波でリュックごと潰された。満身創痍まんしんそうい。それが今の彼らの現状だった。


「……立つんだ。まだ終わってない」


 勇者アルスが、剣を杖代わりにして立ち上がった。彼もまた、全身傷だらけだったが、その瞳にはまだギラギラとした欲望の火が灯っていた。


「ボスだ。ボスを倒せば、全部チャラになる」


 アルスは自分に言い聞かせるように呟いた。


「この奥には、狂王の遺産があるはずだ。強力な武具、金銀財宝、そして莫大な名声……。それを手に入れれば、ポーション代なんて安いもんだ」


「で、でもアルス……今の私たちじゃ、ボスなんて……」


「大丈夫だ! 俺は勇者だぞ!?」


 アルスはマリアの不安を怒鳴り声で遮った。


「ここまで来て帰れるか! ジンみたいな負け犬と同じ選択ができるかよ! 俺たちは進むんだ!」


 彼の気迫(という名の執着)に押され、仲間たちは重い体を起こした。そうだ。ここで帰れば、ただの「泥だらけの敗走」になってしまう。勝利の栄光を手にして凱旋しなければ、英雄のプライドが許さない。


 一行は足を引きずりながら、最深部への扉を目指した。


          ◇


 重厚な扉を開けた瞬間、彼らを迎えたのは――「虚無」だった。


「……は?」


 アルスが間の抜けた声を上げた。そこにあるはずの「絶望的な威圧感を放つボス」も、「山のように積まれた財宝」も、どこにもなかった。


 あるのは、部屋の中央に穿たれた巨大なクレーターと、破壊された壁の残骸。そして、奥にある宝物庫の扉は無惨にこじ開けられ、中身は塵一つ残さず持ち去られていた。


「な、なんだこれは……?」


 ガイルが足を引きずりながら宝物庫の中を覗き込む。空っぽだ。 棚には埃の跡だけが四角く残り、そこにあったはずの宝箱や武具が根こそぎ消えている。


「誰だ……? 誰がやったんだ!?」


 カレアが金切り声を上げる。


「私たちより先にここに来た奴がいるの!? ありえないわ、一本道だったはずよ!」


「ま、まさか……ジンさんたち?」


 マリアが震える声で呟いた。その名が出た瞬間、アルスの顔色が蒼白から朱色へと変わった。


「あいつらか……ッ! あの時、脇道に隠れて俺たちをやり過ごし、先回りしたのか……ッ!?」


 アルスはクレーターの縁に立ち、歯ぎしりをした。そうだ、あいつらは無傷だった。俺たちがリビングアーマーと殺し合いをしている間に、あいつらは悠々とボスを倒し、お宝を独り占めして帰ったのだ。


「ふざけるな……ふざけるなァァァッ!!」


 アルスは空っぽの台座を蹴り上げた。だが、何も変わらない。得られたのは、徒労感と、惨めな敗北感だけ。


「か、帰るぞ……! あいつらを追いかけて、ふんだくってやる……!」


 アルスは血走った目で踵を返した。もうダンジョン攻略などどうでもよかった。 ただ、自分をコケにした元仲間への殺意だけが、彼を突き動かしていた。


          ◇


 だが、彼らは知らなかった。ダンジョンにおいて、「行き」よりも「帰り」の方が遥かに危険であることを。そして、今の彼らにはもう、「幸運」という名の守護がないことを。


 悲劇は、帰路の途中で唐突に始まった。


「くそっ、なんでこんなに長いんだ、この道は!」


 アルスが苛立ちながら歩いていると、天井から小さな石ころが落ちてきた。 パラパラ、という乾いた音。


「痛っ!」


 小石がアルスの肩に直撃した。普段なら、無意識に避けるか、あるいは兜で弾いていたような些細な落下物だ。だが、今の彼は疲労で反応が遅れ、装備も破損して隙間だらけだった。


 鋭利な小石は、鎧の継ぎ目から肩の肉に深く食い込んだ。


「ぐあっ!? な、なんだ!?」


「アルス! 大丈夫!?」


 マリアが駆け寄ろうとする。その瞬間。


 バキッ。


 嫌な音がした。マリアが履いていたブーツのヒールが、経年劣化で折れたのだ。


「きゃああっ!?」


 バランスを崩したマリアは、そのまま前のめりに転倒した。運の悪いことに、そこは下り階段の目の前だった。


「マリア!」


 ガイルが手を伸ばす。だが、彼の手甲ガントレットの留め具が「偶然」外れ、手甲だけがすっぽりと抜けた。ガイルの手は空を切り、マリアは階段を転げ落ちていく。


 ドカッ、バキッ、ゴロゴロゴロ……!


「うぐっ、あぁっ……!」


 階段の下でうずくまるマリア。 頭から血を流し、元々痛めていた足をさらに酷く挫いたようだった。


「なんでだ……!」


 アルスは頭を抱えた。


「なんでだよ! いつもなら、こんなこと起きないはずだろ!?」


 いつもなら、落石は数センチ横に落ちていた。いつもなら、ブーツの底が抜ける前に街で買い換えていた。いつもなら、間一髪で手が届いていた。


 それが「当たり前」だった。そうなるように、誰かが確率を操作してくれていたからだ。


「くそっ、くそっ、くそぉぉぉッ!」


 アルスは剣を壁に叩きつけた。


 パキン。


 甲高い音と共に、彼の黄金の聖剣が半ばから折れ、刃先が床に転がった。


「あ……」


 アルスは折れた剣を呆然と見つめた。王様から賜った、勇者の証。 最高級のオリハルコン製が、ただ壁を叩いただけで折れるなんて。


「嘘だろ……」


 カレアが震えながら後ずさる。彼女の足元で、何かが踏まれる音がした。


 パリッ


 それは、彼女が予備として持っていた最後の魔力回復薬マナポーションの瓶だった。自分の足で、最後の希望を踏み砕いてしまったのだ。


「いやぁぁぁッ!!」


 カレアが頭を抱えて悲鳴を上げる。


 不運。不運。不運。


 今まで彼らが無視してきた「確率の揺り戻し」が、一気に押し寄せてきていた。 装備は壊れ、アイテムは尽き、体は動かない。


 ここはまだダンジョンの深層。 出口までは、遥か遠い。


「……ジン」


 アルスの口から、その名が漏れた。憎しみではない。それは、初めて感じた「後悔」に近い響きだった。


「あいつが……あいつがいないと、俺たちは……」


 認めなくなかった事実が、暴力的なまでの現実として突きつけられる。 彼らの「英雄譚」は、薄氷の上に成り立っていたのだと。


 グルルルルッ……。


 暗い回廊の奥から、再び魔物の唸り声が聞こえてきた。


「な、なんでだ!?」


 アルスが叫ぶ。


「ボスは倒されたんだろ!? だったらダンジョンは沈静化して、魔物は散っているはずだろ!?」


 本来なら、その通りだ。主を失ったダンジョンの魔物は、統率を失って霧散するか、物陰に隠れてやり過ごすのがセオリーだ。安全に帰れるはずだった。


 だが、今の彼らに「本来なら」という理屈は通用しない。 確率の収束。 それは、1%でも「残党と遭遇する可能性」があるなら、それが「100%の必然」として牙を剥くということだ。


 主を失って暴走した個体か、あるいは逃げ遅れた凶暴なはぐれ魔物か。普段なら絶対に遭遇しないはずの「最悪のタイミング」で、血に飢えたハイエナたちが彼らを捕捉していた。


「た、戦え……! 構えろ……!」


 アルスは折れた剣を震える手で構えた。だが、その背中にはもう、かつての威光は欠片も残っていなかった。

あけましておめでとうございます!

2026年の初更新です。


勇者パーティの装備が壊れ、アイテムが尽きる。

これぞ「確率の収束」。今までツケを払わせていた分が、利子をつけて返ってきましたね。

(ざまぁの予兆です)


次回は【20:00】頃更新。

功を焦った勇者が、ついに禁断の扉を開けます。

最強ドラゴンの目覚めと、絶体絶命のピンチ。お楽しみに!

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