43.見えていなかったもの
お盆明けからずっっっっっっっと残業残業終電残業終電残業残業で全く更新できないままいつの間にか正月休みが終わっていました。
あけましておめでとうございます。
アレクシスの助言を守って早めに部屋に戻り、昼休みを告げる鐘の音が鳴ってしばらくすると自室の扉がノックされた。
返事をすると、軽食を持ったシスター・イレーナが入ってきた。
温和な微笑みを浮かべるシスター・イレーナは私のよく知るもので、近頃は聖騎士として凛々しい表情をしているため久しぶりに見た笑顔に何だか安心した。
「昼食を持って参りました。食欲はありますか?」
「はい、いただきます。それよりもシスター・イレーナ、護衛の任務は?」
「本日の昼食はラピス大司教様とご一緒だったので、護衛はグレンに任せて少しの間抜けてきました。シスター・カトリーヌがとても貴女を心配していたので、私が様子を見に来たのです」
「そうでしたか。お忙しい中申し訳ありません」
「いいえ。これが本来の私の勤めですし、なにより私も心配でしたので」
シスター・イレーナは護衛として教室の廊下で待機していたから昨日の出来事を知らないのだろう。何気なく伝えられた言葉にちくりと胸が痛む。今日のシスター・カトリーヌはいつも以上にぼんやりしているらしい。やはりシスター・カトリーヌを気に病ませてしまっているようだ。
「あとこちらはシスター・コレットから。リラックス効果がある香りだそうですよ」
シスター・イレーナからサシェを差し出された。小袋からラベンダーが優しく香り、気持ちがやわらぐ。
「ありがとうございます。シスター・コレットにお礼を伝えておいてください」
「分かりました。ですが元気になったら本人に直接伝えてあげてください。その方があの子も喜びますから」
それからシスター・イレーナが部屋を出て行って再び一人になり、否、昼食を集ろうとしてくる自称精霊はいるが──私はやっと気がついた。
まだ完全に吹っ切れたとは言えないし、父の死ときちんと向き合えているわけではないが、多少は気持ちの整理がついた。
そして気がついたのだ。アレクシスだけではなく、シスター・イレーナやシスター・コレットをはじめとする南の大修道院の人たちも父を亡くした私を気に掛けてくれていたことに。
それなのに当の私はというと、いつか修道院を去るつもりで周りと距離を取って他人行儀に接していた。
私は馬鹿だ。母のことは事実とはいえ一人で感傷的な気分に浸って、シスター・カトリーヌに余計な心配を掛けた。彼女の性格を考えればショックを受けることなど想像がついたはずだったのに。
「……ちゃんと謝らないといけないわね」
私は小袋を握りしめて、ベッドから起き上がる。
そしてサンドウィッチを見つめて涎を垂らしているガブリエラに全部食べていいわよ、と言うと、小人は喜び勇んで飛び付いた。ガブリエラの食い意地が張っていてよかった。
小人が食事に夢中になっている隙に私は部屋を出る。別にガブリエラがいてもいなくても私のやることは変わらないが、耳元で茶々を入れられたり、口を挟まれるのが嫌だった。
それに頭痛の種であり、父のことを考える暇がないくらい振り回して賑やかしてくれていたガブリエラへの礼は、最後でいい。
そして夜。
月明かりを頼りに長い廊下を忍び足で歩き、目的の部屋の前にたどり着いた。
「……よし」
私は深呼吸をしてから扉を小さく叩く。もうすぐ就寝時間だが、私は部屋の主がまだこの時間に講義の復習や予習をしていることを知っているから繰り返しノックをする。するとどたばたと騒がしい音がした後にガチャリと開き、扉の隙間から部屋の主──シスター・カトリーヌが顔を出した。
私は夜の訪問者に目を丸くするシスター・カトリーヌが口を開く前に自分の人差し指を立てて唇に当てる。
「こんばんわ。中に入ってもいいかしら」
小声で尋ねると、慌てて口をつぐんだシスター・カトリーヌがこくこくと頷く。
その額が少し赤くなっていることに苦笑いしながら、シスター・カトリーヌの私室に足を踏み入れる。
シスター・カトリーヌの個室は私の部屋の間取りとほぼ同じで、最低限の調度品しかない質素なものだった。聖女になるのだから、もっとよい物を誂えてもいいと思うのだが。
「どうしたんですか、こんな夜遅くに。身体の具合の方はもういいんですか?」
突然やってきた私に、シスター・カトリーヌが戸惑いがちに尋ねた。
それはそうだろう。シスター・カトリーヌの侍女になってからは毎日この部屋まで迎えに来ているが、身の回りの世話はほぼすべてシスター・コレットがしている。私が部屋の中まで入ったのは数える程度で、ましてやプライベートで訪れたのは初めてのことだった。
「ええ、この通りすっかりよくなったわ。それよりも、昨日はごめんなさい。気まずくさせて、皆を困らせてしまって」
「そんな! 謝らなければいけないのはこちらの方です。私、無神経で……」
シスター・カトリーヌは俯いてぎゅっとローブの裾を握り締めた。その悲しそうな顔に、私は昨日の軽率な発言を悔やんだ。
「本当に気にしていないことだからいいのよ。確かに両親の死は私にとって辛いことだけれど……。修道院の人たちはいい人たちばかりだし、ここでの生活は毎日忙しくて悲しんでいる暇もなかったから」
「シスター・マリア……」
「私、自分一人で立てているつもりでいたの。でも違った。周りの人たちにずっと支えられていたことにようやく気づいたわ。だからお世話になっている人たちにお礼と謝罪をしているところなの」
私は午後から色々な人のところを回り、一人一人と話をしてきた。親切心や優しさも聖職者で神の教えを守っているからだと勝手に判断して、目を逸らし続けていたものに向き合うことを決めた。
もっとも、一番世話になっているシスター・コレットは頑なに自分のことを話したがらないのを察して貰ったサシェの礼だけにした。シスター・イレーナは私に亡くなった彼女の夫を重ねている節があるので、昼間様子を見てくれたことへの礼を述べるだけに留めた。まだ私はシスター・イレーナと大切な人の死を分かち合えるほど、父の死を受け止められていない。
昼から色々な人のところに回って、最後はシスター・カトリーヌの番だった。夜遅くなってしまったのは、昨日のことが尾を引いてしまったせいだ。
私はシスター・カトリーヌに向かって頭を下げる。
「改めてごめんなさい。昨日のことだけじゃなくて……、私はずっと、貴女に対して必要以上に壁を作ってた」
年かさの聖職者ならば私のシスター・カトリーヌへの接し方は立場を弁えていると評価するだろうが、決して聖女を敬っていたからそういった振る舞いをしたわけではない。
主に御遣いを名乗る小人の幻覚と幻聴のせいだが、敬虔な聖フィリア教徒であり、聖女と持て囃されているシスター・カトリーヌに対して勝手に苦手意識を持っていただけだ。
もし私が先にシスター・カトリーヌに歩み寄っていたならば、何度か思い悩んだ様子の彼女を問い正したときに話してくれたかもしれないと、今ならば思える。
「あ、頭を上げてください! 壁云々のことはその、なんとなく分かっていましたし。それに、これまでの態度を気にしているなら……。謝るんじゃなくて、お友達になりたいです」
両手をシスター・カトリーヌにそっと握られる。顔を上げると、シスター・カトリーヌが優しく微笑んでいた。
「……なれるかしら、私たち」
「もちろんです!」
力強く頷くシスター・カトリーヌにつられて私も笑ってしまう。
もう貴族令嬢でも魔術師の卵でもない私と親しくするメリットなどないから、その言葉が何だか嬉しかった。
その日から私とシスター・カトリーヌの仲は少しだけ変わった。友人になったとはいえ私たちは次期聖女とその侍女という関係で、元々シスター・カトリーヌは誰に対しても分け隔てなく接しているから、傍から見れば気づかないほどの変化だ。
令嬢の仮面をつけて他人行儀に接するのをやめて、よくよく次期聖女という思い込みを捨てれば、平等な精神も慈悲深さも意思の強さも聖女の資質というよりは、元々の性格なのだと気づいた。かなりのお人好しでちょっとだけ押しつけがましく、そそっかしいというのがシスター・カトリーヌという少女へ抱いている所感だ。
シスター・コレットのお茶を飲みながら他愛のないことを話したり、勉強中にふと目が合って笑い合ったり、就寝時間ギリギリまで課題に付き合った後に一緒に星を眺めたり。
そうした些細な日々を積み重ねて──とうとう夏至祭の日を迎えたのだった。




