35.残された二人は
マリアとアレクシスが部屋を出た後、執務室の中は重苦しい雰囲気が漂っていた。
イレーナは警戒心を隠そうともせず、コレットは胸の前で指を組んだまま俯いて無言を貫き、修道院長らは事の成り行きをじっと見守っている。
一人場の空気に似つかわしくない態度でゆったりと茶をすするラピスが、二人の足音が遠ざかったのを確認してからカップを置き、背筋を伸ばしてイレーナとコレットの両者に向き直った。
にこやかに細められていたラピスの目が開かれ、瞳の中に小さな夜空が現れる。
「シスター・イレーナ、シスター・コレット。わたくしの名において、夏至祭がおわるまでのきかん、シスター・イレーナを聖女さまの『ごえい』に、シスター・コレットを『じじょ』に任命いたします。聖女さまをまもり、二心なくつかえてください」
常の間延びした話し方とは打って変わったはっきりとした口調、玲瓏な声で下される命令に、ラピスの本気が伺い知れた。
ピンと張り詰めた空気の中、初めに動いたのはイレーナだった。
騎士の礼を取り、ラピスに向かって恭しく頭を下げる。
「拝命致します。ですが、我々を選んだ理由をお聞かせ願えますか。優秀な人材は他にもおりましょう」
イレーナの返答に満足したようにラピスの瞳が再び閉ざされ、纏う雰囲気が元のゆったりとしたものに戻る。
「たんじゅんなはなしです。わたくしの『どくだん』で総本山のにんげんから聖女さまの『ごえい』や『じじょ』をきめれば『かど』がたちます。だれのいきがかかったものがやってくるか、わかったものではありませんしね。ですから、ここにいるあいだだけ、『みなみ』のだれかからえらぶのがいちばんだとおもいましてー。おあつらえむきに『最強の聖騎士』と『先代聖女の侍女』がいるので、こうしておねがいしているのです」
「! シスター・コレットが、先代様の?」
イレーナが隣に立つコレットに視線を向けると、コレットはビクッと肩を大きく震わせた。
顔を上げたコレットの動揺は隠れた前髪越しでも伝わるほどで、コレットが修道院長を真っすぐ見つめる気配を察したラピスが口を開く。
「マザーはなにもおしえてはくれませんでしたよ。グレンがあなたをおぼえていたんです」
「そ、うでしたか……。とうとう、見つかってしまったんですね……」
胸の前で組んでいた指をほどいて、コレットは残念そうに肩を落とした。
「どうして、きがつかなかったのでしょう。あなたはいつもセシリアのそばにいたはずなのに」
不思議そうに首を傾げるラピスに、コレットが目を伏せながら答える。
「…………わ、私はいつもお姉様方の後ろに隠れておりましたから、お、覚えていらっしゃらないのも、無理はないと思います。ヴェ、ヴェールを被っていましたから、誰にも分からないと思っていましたし……。ま、まさか覚えている方がいたなんて……」
侍女であったことを認めるコレットの言葉に、ラピスは昔を懐かしむように微笑んだ。
「というよりも、わたくしがきょうみをもたないように、かくしてたんですねー。セシリア、じじょのこたちを『いもうと』のようにかわいがっていましたから」
「お姉様……」
コレットの目尻にじわり、と涙が滲むが、長い前髪で隠されて誰にも分からなかった。
「シスター・コレット、いいえ、シスター……」
「い、今はただ、コレットとお呼びください」
「ではシスター・コレット。みじかいあいだでいいので、聖女さまをささえてはくれませんか。聖女のじじょだったもので総本山にのこっているのは、もうあなたしかいないのです」
「え……? ほ、他のお姉様方は……」
「みな、どこかにとついだり、『しゅっせ』してほかのちへ『いどう』いたしました」
先代聖女の侍女は数名いたが、ある者は行儀見習いの年季が明けて貴族の家に嫁ぎ、またある者は昇進して司教となって大聖堂務めになっており、いずれも経歴に相応しい地位へ昇進しているためすぐに呼び戻せる状態ではない、とラピスが説明する。
「し、知りませんでした……。み、みんな、お元気そうでよかった……。そ、そういう事情でしたら、う、承りました。聖女カトリーヌ様に、誠心誠意、お、お仕え致します」
コレットがラピスに向かって頭を下げた。どこか諦めたような、しかしもう隠れなくていいのだと、肩の荷が下りたような様子だった。
「ありがとうございますー。それから、あんしんしてください。あなたのことはけっして、だれにもいいませんから。シスター・イレーナも、ここでのできごとは、どうか『ごないみつ』に」
「承知致しました」
「ほ、本当ですか……?」
震える声でコレットが尋ねると、ラピスがにっこりと頷いた。
「はいー、女神フィリアにちかって。 あなたを『あのかた』にひきわたすのは、ほんいではありませんし。それに、あなたをかなしませたりしたら、女神の『みもと』にいるセシリアがきっとおこりますもの」
「い、いいえ。そ、それは……いえ、あ、ありがとう、ございます」
コレットは何か言いたげであったが、ローブの裾をぐっと握りしめて口を噤んだ。
「ふふ、セシリアのはなし、たくさんしましょうね」
「……はい」
「なんでしたら『すえながく』聖女さまにおつかえしてもいいのですよー?」
ラピスが少し冗談めかして話すと、コレットはがばりと頭を下げた。
「も、申し訳ありません……! わ、私はここで、生涯お姉様のために祈ると誓いました。だ、第一、あのとき何もかも放り出して逃げた私に、そ、そんな資格は……」
それきりコレットは押し黙ってしまった。
「……あなたのきもちは、よくわかりました。もうさがってくれてだいじょうぶですよ。あしたから、よろしくおねがいいたしますね」
コレットは唇を噛みしめたままラピスに向かって礼をすると、逃げるように部屋を出て行った。
「セシリアは、いっしょうをいのりにささげるなんて、のぞまないとおもうんですがねー」
コレットが去った後の扉を見つめながら、ラピスがぽつりと呟いた。
話を終えたラピスがカトリーヌを呼び出してほしいと頼むと、修道院長らがイレーナに使いを任せる。
「御下命のままに。しかし私はまだ、質問の答えをすべて聞いておりません」
「なぜあなたたちを『じゅうしゃ』にえらんだか、ですかー? わたくしはこたえたはずですがー」
「……左様ですか。ほかならぬ大司教様がおっしゃるのならば、そういうことにしておきましょう。では、私はこれにて」
一礼したイレーナがきびきびとした動作で部屋を後にすると、ラピスは気の抜けた溜息とともに苦笑いを浮かべた。
「うーん。さすがにいまのでは、はぐらかせませんでしたかねー」
修道院長たちはイレーナの言葉の意図が分からず首を傾げていたが、マリアを侍女に選んだ理由を答えていないことだとラピスには分かっていた。
アレクシスが知れば絶対にマリアを説得しないであろう理由を胸に秘めながら、ラピスはカップに残った茶を飲み干した。




