八章七節 - 嵐雨と鬼二人
「九鬼大斗」
華奈が再び呼びかける。
「大斗! 華奈さん!」
はるか後方、川土手の上から乱舞が投げたのは綱のついた小石だった。それを華奈が受け取る。万一流された時、この綱が命綱になるのだろう。
雷乱はまだ前方で戦い続けている。大柄なおかげで、水流の影響を受けつつもまだ動くことができるのだ。
彼の相手をする華金の青年兵も、ほとんど足を動かさないようにして流れに耐えつつも、器用に雷乱の攻撃をさばき切っていた。
増した水量のせいか、雷乱と大斗の距離がわずかに開いている気がする。
「九鬼大斗!」
反応を示さない大斗にいらだったのか、彼の体にしがみついて支えにしながら華奈が彼の前に回り込んだ。
悔しげな顔をして雷乱を見つめ続ける大斗の気をどうやって引こうか考えた末、華奈は大斗の首に強く抱きついた。
そこでやっと大斗の意識が華奈を向いた。自分に首にすがりついて見上げてくる華奈を見て、驚いたように目を見開く。
幸いなことに、雷乱は戦い続けており、大斗の間の抜けた隙だらけの顔を見たのは華奈だけだった。
しかし彼女自身、いつも冷静な大斗の心底驚いた顔など初めて見た。
「戻って、……お願い」
華奈は追い打ちをかけるように懇願した。
自分でもらしくないと思うほど弱々しい声を出している。
「華奈……?」
「危ないことしないで。行かないで」
「華奈……」
大斗の瞳にためらいが浮かぶ。
「……好きなの」
華奈はそうつぶやいていた。
水の音にかき消された言葉を正確に聞き取ることができたのは、大斗のみ。
「だから、行かないで。どこにも」
いつも強気な華奈らしくない声。
大斗が悩むのが分かった。与羽のために雷乱を連れ戻すか、華奈を安全な場所に避難させるか。どちらを優先させるべきか考えている。
華奈に押されるようにして、大斗の足が一歩後ろへ動いた。城下町の方向へ――。しかしそれ以上は動かない。前にも後ろにも。
「あなたがそんなに優柔不断な男だとは思わなかったわ」
華奈が責めるように言うと、鋭くにらんだが、それだけだ。
中州の上級武官として一人でも多くの部下を救わなければならない。
そして、雷乱を連れ戻すのは自分の役目だ。華奈がいなければ、自分の身の危険は二の次で雷乱に助太刀しただろう。
しかし、今は華奈がいる。彼女だけ先に戻すには、水が多すぎた。華奈はすでに胸近くまで流れに浸かっているのだ。
それに、たとえまだ華奈が自由に動ける状態だったとしても、彼女がひとりで城下町に戻ることはないだろう。華奈のうるんだ瞳には、強い意志が宿っていた。たとえ最悪の場合でも、彼と運命を共にする覚悟をしている。
大斗はため息をついた。
「『優柔不断』とは心外だな」
――お前が俺の心をかき乱してるんだろう?
そう思っても、声には出さない。そのかわり大斗はわざと不敵にほほえんだ。
「分かるだろう? 俺にも武官二位の責任がある。でも――」
大斗は刀を持っていない左手で華奈のほほを撫で、鼻先に口づけた。
「お前は守るさ。絶対ね」
いつもの余裕をもってそう告げる。




