七章四節 - 霧雨と赤霧
しかし、気迫だけで雲を吹き飛ばすことは不可能で、辺りには相変わらず小雨が降り続けている。
雨音があたりを覆っている中でも、近くで聞こえはじめた剣戟は隠しきれなかった。
生垣に囲まれた城の敷地からでは、外の様子を確認することができない。
城内の警護を行っている辰海は、絶えず聞こえてくる音に天守閣を見上げた。
今彼がいる場所から与羽の姿を確認することはできないが、どんな様子かは想像がつく。気丈に振る舞い無表情にしながらも、内心ではひどくおびえているはずだ。
辰海自身も気づけば手が震えていて、慌てて力を込めて無理やり震えを止めることがしばしばあった。
辰海は縁側に腰掛けている城内警護の責任者――水月絡柳を見た。うつむいているため、その表情を読み取ることはできないが、腰の刀にかけられた右手の指先が神経質に柄を叩いている。
彼の後ろは謁見の間だが、今そこには中州と古狐の使用人のほとんどが避難せずに残っていた。手に武器を持ち、中州のために戦う覚悟だ。
彼らの最前列に青い顔をしつつも竜月が長刀を手に片膝を立てて座っている。
その近くに薬師凪那――凪と比呼をはじめとした医療班もいた。
前線近くにもけがの手当てなどができる場所は設けているが、重傷者はできる限りここまで運ぶ手はずになっているのだ。
そうこうしているうちに、中州城へ近づく人影があった。二つ。お互いに支えあうようにして城門をくぐってくる。
「大丈夫!?」
すぐさま凪が飛び出してきた。
「こいつを、診てやってくれ」
片方が言って、自分の支えている男を顎で指した。
鎧の隙間から刺されたのか、左わきから腕にかけてが真っ赤に染まっている。雨で薄まっているものの、その指先からは赤い滴が絶えず滴っていた。
凪はすぐさま屋根の下に彼を横たわらせると、痛みを和らげる薬を飲ませ傷口の手当てをはじめた。
もう一人も、腕に矢傷があり他の人が治療にあたっている。どちらも知らない人だったが、彼らは戦で傷ついたのだと思うと何とも言えない悲しさに襲われた。
辰海はふと与羽が心配になり、天守閣を見上げた。
与羽は城内が見下ろせる位置から、けが人を見下ろしている。厳しく硬い顔をして無関心を装っていたが、その顔は色をなくしてしまっていた。
それを背後から空が励ますように抱き留めている。
辰海は強くこぶしを握りしめた。
この瞬間だけは、耳について離れなかった辺りの不快な音が遠ざかる。
今すぐ天守閣に登って、与羽を取り返したい。
しかし、今の状況と自分の役目を忘れてしまうほど、辰海は無責任ではなかった。
すぐにあれで少しでも与羽の不安がぬぐわれるならと辺りに意識を向け直す。
絡柳も姿勢を崩すことなく状況を伝える鉦の音に聞き入っているようだった。
取り乱しかけた与羽の耳元では、空が澄んだ声で神を称える祝詞を唱えていた。
中州を守護する二柱の龍神――水主と時主。そして空が仕える月主。月見川の流れは月主の涙と言われ、中州とも縁の深い龍神だ。
彼の祈りの言葉を聞いていると不思議と心が落ち着いてくる。




