六章五節 - 穀雨と銀白の羽根
「空神官は天駆でも有数の弓の名手だよ」
与羽の不機嫌を見かねて、乱舞がそう補足した。
しかし、空の肩を持つような乱舞の態度が気に入らない。
「ふざけんな!」
叫んだ。
最後に空と会ったのは、天駆で正月行事の舞を披露した後。与羽を抱きしめ、申し訳なさそうに立ち去って以降、見送りにも出て来なかった。
もう二度と会うことはない、会っても話すことはないと思っていたにもかかわらず、どうだ。彼は何事もなかったようにそこに座り与羽にほほえみかけている。
「与羽……?」
天駆での一件を知らない乱舞は、戸惑いながらも与羽をなだめようとした。
しかし、与羽の空に対する怒りがおさまるはずもない。
そのままきびすを反して応接間を立ち去ろうとする与羽の手首を、空が掴んだ。
「っ、空!」
怒鳴ったが、彼の手が離れることはなく逆に強く引き戻された。
均衡を崩した与羽は空の胸に倒れこむ。その隙に、空の腕が与羽の胴と足を拘束した。
「与羽、聞いてください」
耳元で言われた声は、聞いているこちらの胸が痛くなるほどの切なさがこめられている。
思わずひるんだ与羽の体から力が抜けた。
しかし、空の腕は緩まず、自分の膝の上で与羽をしっかりと抱きしめている。
「まずは、幸のお墓にまいってくださって、ありがとうございました」
――幸。
そう言えば、空はかつて与羽のことを幸と同じ匂いがすると言った。
空と親しいらしい天駆領主は、幸は空の妹のようなものと語っていた。
しかし、空の触れ方は、与羽の兄――乱舞が与羽にするのとは同じようで全く違う気がする。乱舞に抱きしめられるととても温かくて穏やかな気持ちになるのに比べ、空といると胸がざわつき落ち着かなくなる。
乱舞もさっきまでの客人を精一杯歓迎する温かな笑みとは打って変わり、眉間にしわを寄せ険しい表情をしている。彼のこんな顔は珍しい。
「空、離して」
与羽が低くすごむと、空の手は緩んだ。
意外だったが、乱舞の前なので自粛したのだろうと見当をつけた。
「それで?」
乱舞の横に座りながら、与羽は事務的な口調で尋ねる。
「これは天駆領主――天駆希理の命令です」
空もすっと落ち着いた雰囲気になり、神官らしい低く澄んだ声で話しはじめた。
「天駆は長い間、同盟国と言いながらも中州の戦には全く協力をしていませんでした。中州に守られた天駆では、戦など関係のないものと考えられています。しかし、このままではいけないと領主は考えられたのです。
先の内乱で、天駆の民がいかに中州への尊敬を欠いているのかはっきりしました。それは、今までの天駆の外交にも問題があります。中州は良い貿易相手としかみなしていませんでした。今の天駆は中州に知らず守られ、官吏は堕落し刀はさびつつあります。
この状況を打開しなくては、天駆は近いうちに無能な官吏に食いつぶされてしまう――。
領主は官吏たちに、国外へ目を向けさせようとしているのです。その先駆けが、わたし。本来なら、軍の一つでも率いてくるべきなのでしょうが、天駆の武官は使い物になりません。天駆領主と中州第二位の武官、若い文官の少年――たった三人に制圧されてしまうくらいですから」
「いや、中州でも大斗は一騎当千だけど……」
思わず乱舞がそう呟いた。
空はわずかに笑みを浮かべて、話し続ける。
「しかし、何か行動を起こさなくてはならなかったのです。微力ではありますが、協力いたします。天駆のためにも、中州のためにも」
鋭い眼光が、乱舞を射すくめた。
目に宿る強い意志だけで、彼が相当のやり手であることが察せる。
「分かりました」
乱舞は目を伏せた。
「よろしくお願いします」
「そういうことです、与羽」
空は再び与羽に視線を戻してほほえんだ。
「勝手にして」
荒々しい声で応え、与羽は今度こそ客間を後にした。




