六章三節 - 穀雨と出兵
「なんか、先輩気持ち悪いです」
「いいから。時間があまりない」
冗談めかして言った言葉も、全く相手にされなかった。
与羽は嫌な予感をひしひしと感じつつも、草履を脱ぎ縁側にあがる。それほど長い間外に立っていなかったので、足は汚れていない。
「私の部屋でいいですか?」
「どこでもいいよ。静かに話せるなら」
いつもの軽口の代わりに、大斗は与羽をせかすような早口で言う。
「……何かあったんですか?」
与羽は客殿にある自室へ案内しながら尋ねた。
「何もない方がおかしいでしょ?」
大斗は答える。
「それはそうですけど……」
今は戦中だ。中州の武官として大斗も忙しくしているのは知っていた。
「今日の先輩は変ですよ」
「へぇ、心配してくれるんだ。うれしいな」
内容だけはいつもの軽口。しかし、口調は低く落ち着いている。
「……俺、これから南の関所まで行ってくるよ」
ポツリとつぶやかれた言葉に与羽ははっとして振り返った。南の関所は華金国との国境。堅固な砦がある対華金戦における最初の拠点だ。だから鎧なのか。
「前線に指揮官として行ってくる」
立ち止まってしまった与羽を追い越して与羽の部屋へ向かいながら、大斗は続ける。
「城下に帰ってくるのは、華金軍を精いっぱい足止めした後。華金が中州城下町までたどり着く前日かな。たぶん、城下に帰ってきても体を休めたり、武器を整えたりする必要があるから、またこうやって話せるのは戦が終わった後になるかもしれない」
「先輩」
与羽はどんどん先へと歩いて行ってしまう大斗を追いかける。
「もしくは、二度と話せないか――」
「そういう話はやめてください」
「何で? 可能性は皆無じゃない。わかってるでしょ?」
「それでも――」
「だから、これをお前に預けておく」
大斗は与羽の言葉を無視して、厚い封書を差し出した。
「中州国姫殿下へ」
簡単には開かないようにしっかりと糊付けされ、隅に大斗の名前が書かれている。
与羽はそれが何か知っていた。前回の戦の時に、同じようなものを乱舞から渡されたから。
「何で私に遺書なんか渡すんですか。普通主人や家族か恋人じゃないんですか?」
与羽は尖った声で言った。
「乱舞にも渡してきたさ。華奈にも押し付けてきた。でも、乱舞も華奈も戦に出るだろう? もし二人ともに何かがあった時の保険が欲しい」
大斗の声は限りなく真摯だった。
「俺がいなくなったら、乱舞を頼むな。俺も乱舞もいなくなったら、絡柳と協力して中州を守って。そして、もし万が一中州が負けるようなことがあれば、お前はどこへでもいいから逃げな。古狐が生きてれば、全力で逃がしてくれるだろう。お前だけは、絶対に生き残って欲しい。中州を再興して欲しいからじゃないよ。お前に生きて欲しいからだ」
「大斗、先輩」
重々しい口調に耐えきれず、与羽は彼の名を呼んだ。




