三章六節 - 夜更と翡翠の羽根
「とりあえず、僕は一度凪のところへ戻るよ。急患に備えて誰かが起きてるだろうし」
「……凪ちゃんの両親、帰って来とるで」
少しキレが悪いものの、与羽はそう言って口の端を釣り上げた。
「知ってる」
比呼もいたずらっぽく笑んで応える。
この短いやり取りが、さっきまでの重い話を終わらせる合図になった。与羽はさらに笑みを深め、いつもの何かをたくらんでいるような笑みを浮かべる。
「下手なことして追い出されないように」
「クス……、気を付けるよ。
でね、与羽。明日、――もう今日かな。朝一で太一と二人、城主に報告することになると思う。その時、君もおいでよ。話、聞きたいでしょ?」
「うん。乱兄たちが気ぃ遣ってくれとるのはわかるけど、行く」
「迎えに来れる時間はないと思うから、ちゃんと自分でおいでよ?」
「わかっとるもん」
少し拗ねたように言う与羽。耳なれたとげのある調子だ。
ほんの二、三ヶ月会わなかっただけなのだが、その声が懐かしくて比呼は無意識にほほえんでいた。
「じゃあ、これ以上君の眠りを妨げないように僕は帰るよ。おそくに本当にごめんね。おやすみ」
「ありがと。おやすみ」
与羽はそう応えて、横に置いてあった燭台の火を吹き消した。月明かりの中、比呼は立ち上がって開けられたままの戸口を目指す。
「ああ、比呼」
その背に与羽が呼びかけた。ふと思い出したことがあったのだ。
「なに?」
振り返って淡い光に浮かぶ与羽の顔を見る。
「おかえり」
労うように。
やさしくほほえみかける与羽の顔を、比呼はしばらく無言で見つめていた。
「おい、ちゃんと応えてやれよ」
開け放された戸の脇に座っていた雷乱が小さくそう声をかけて、やっと我に返った。
逆光になった与羽からは見えないだろうが、比呼は笑んだ。今にも泣きそうな顔で。
「……ただいま」




