退職とこれから
新作です。どうぞよろしくお願いします(o*。_。)oペコッ
「――ふはっ、豪田もようやく人の役に立つことを覚えたか。だから俺は前から言っていただろう? さっさと辞めてしまえとな」
俺を見上げながらも、見下した態度を隠そうともしない上司――柿崎が言う。
よく言うわ。俺が取ってきた客はポンポン自分の手柄にするくせによ。
何が『この取引は失敗できない。俺が変わってやろう』だ。
何が『俺のおかげだ、感謝しろよ』だ。
おそらくだけど、体が大きく年齢も上の俺を見下すのが気持ちいいんだろう。支配欲ってやつなのかね。
大学を卒業して十三年、金の為にとこの家具メーカーに縋りついていたけれど、もっと早く行動に移せば良かったと今更ながらに思う。
最愛の娘と過ごす時間もそれだけ増やせるのだし。
「ええ、全く持ってその通りですね」
アホ柿崎の年齢は俺よりも七つ下。しかし、立場上は上司である。
能力はお世辞にも高いとは言えないが、社長の息子という立場から、彼が営業部長という立場になっても誰も文句を口にしない、口にできない。そういう会社なのだ。
まぁ今更そんなことはどうでもいい。この関係も終わりを迎えるのだから。
早く帰って娘の顔を見たい。撫でくり回したい。俺の頭はそれでいっぱいだ。
社長はありがたいことに『もう帰れ、明日から来るな』と言ってくれていたし、最初は『有給なぞ使わせるわけないだろう?』とふざけたことを言っていたのだが、たまたま近くにいた経理が『それ、あとあと問題になりますよ?』と口を挟んでくれたおかげで、円満に退社できそうである。
ありがたい。こっそり俺を見てウインクしてくれていたおばちゃん経理に感謝。
このおばちゃん経理、先代の社長の頃からいる古株で、現社長もあまり強く反発できないらしい。強いね。
そんなことより、今は目の前の上司か。
「デカくて目障りなんだよ、お前」
まぁ、その自覚はある。
身長は百九十付近だし、体重も百キロ近い。太っているわけではないのだが、生まれつき骨も太くて、なんだか分厚い体形なのだ。
それでいて額から右目を通って頬まで伸びる痛々しい傷跡。
中学生の頃に犬の喧嘩の仲裁に入った時にできた名誉の負傷なのだけど、元々『人を真顔で殺してそう』と言われていた人相がさらに悪くなってしまった。
そんなわけで、初対面だと悲鳴をあげられることもよくあるし、レジでおつりを貰うときに相手の手が震えているなんてことも珍しい光景ではない。
俺は心優しい性格だと自負しているというのに……! まぁいい加減慣れたけどさ。
「暑苦しいお前がいるだけで夏場は嫌な気分になったもんだ! それにお前さぁ、あの野蛮で気色の悪い魔物を体に飼っているだろう? お前からも臭い匂いが滲み出て来るようで嫌だったんだよな」
「…………」
「おいおいだんまりかよ。体がデカいだけでビビりなのかぁ? ダッセェなぁ」
早く帰りたいだけだよ。
「……もういいですかね? お忙しい部長の時間を割いていただくのも申し訳ないので、デスクの整理をさせてください」
「ふはっ、殊勝な態度で感心だな! ついでに営業部の掃除でもして帰ればいい。お前の臭い匂いも消して行けよ」
お前を雑巾にしてやろうか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その日は一日、同じ営業部のメンバーに自分が受け持っていた顧客を振り分けたり、自分のデスク回りを綺麗にしたりしてから会社を出た。社長には『もう帰れ』と言われていたけれど、この辺りはきちんとしておかないと気分が悪い。
幸い、付き合いの長い社員は俺の味方も多く、部長の柿崎も『営業行ってくるわ』とおそらくパチンコに出かけたので、穏やかな気持ちで引継ぎを終えることができた。
あとあとになって、『あぁ、あれを中途半端にしちゃったな』と思うのは面倒だ。もうこの会社に来ることはないんだから、スッキリしておきたい。
この頃頻繁に軋む音が聞こえるようになってきたボロボロの軽自動車を走らせること一時間半、ようやく自宅のアパートに到着した。
帰宅はいつもより四時間ほど早い、夜の七時。
最高か――こんなにウチの娘と過ごせる時間が増えるなんて! マジでもっと早く辞めたらよかったなぁ。
玄関に入って靴を脱いだところで、俺は『ただいま』よりも先に、別の言葉を口にする。
「召喚」
その瞬間、俺の全身から色とりどりの小さな光の粒が染み出すように出現し、目の前で固まりになっていく。そして五秒も経たずに、その光の粒は形を成した。
出会った頃は濃い緑だった体は、毎日一緒にお風呂に入っているうちに、薄い緑に変わった。
出会った頃は老齢の魔女のように折れ曲がっていた背は、俺の真似をしているうちにピンと綺麗に伸びた。
横に伸びる耳、鷲鼻、くりくりした大きな目。驚いた時は、猫のように瞳孔が開く。
小鬼と呼ばれたり、妖精と呼ばれたりすることもある。
しかしそれらのワードよりも、俺たち日本人にとって馴染みがあるのは、やはり『ゴブリン』という名称ではないだろうか。
「ただいまゴブ子、仕事、辞めてきたよ」
無職という肩書が頭をよぎって、少々情けない声になっていたかもしれない。
だけど気持ちとしては、晴れ晴れとしていた。
「ぐぎゃ?」
ダンジョン産の糸を利用した、ブラウンのかぼちゃパンツにベージュのシャツ。これが彼女のお気に入り。他にも上はニ十着、下は十着ぐらい準備しているというのに、八割はこの服を着ている。
ゴブリンの中でも幼体であるらしい彼女は、俺の言葉を聞いてもあまり理解した様子はない。『ただいま』という言葉は理解していそうだが。
しばらく首を左右に傾げて不思議そうにしていたが、俺が頭を撫でるとピョンと足にしがみついてきた。とても可愛い。
身長も小学生低学年ぐらいで、本当に娘ができたみたいなんだよな。俺の中では『みたい』というか、ほぼ娘判定してしまっているが。だって可愛いんだもの。
残念ながら俺には彼女すらいないけど、今となってはいなくて良かったなとも思う。それだけ最愛の娘――ゴブ子に割ける時間がそれだけ増えるし。
人によっては、ゴブリンという種族であるだけで、『気持ちが悪い』『不潔だ』『苗床にされる』『臭そう』なんて言う。ブチ〇そうかと思った。
そもそもゴブ子は女の子だぞ!
毎朝毎晩、俺と一緒に歯磨きもしてるし、体を洗う時間は俺よりも長いし。さらに言うと、ボディーソープの銘柄もお気に入りの香りの物がある。
最近じゃ意味があるのかわからないけど、化粧水や乳液を使っているぐらいお肌に気を遣うオシャレさんだぞ。
ぺちゃぺちゃと顔に液体を塗るのが楽しいだけかもしれないけどさ。
「安定した収入のためとはいえ、ゴブ子をバカにする奴らと無理に働きたくなかったし」
金を稼ぐ手段なら他にもあった。
ただ、それをずっとずっと後回しにしてしまっていただけで。
「ま、そろそろ辞めるつもりだったしな! 十年間、訓練施設でコツコツと頑張ってきた成果を出すときだぞ。――ダンジョンだ」
そう言ってから、俺はゴブ子に「シュッシュッだ」と言いながらシャドーボクシングを披露。割と様になっていると思う。
「げぎゃ!? げぎゃぎゃっ!?」
それを見たゴブ子は、俺の足から素早く離脱すると、その場でシャドーボクシングをしながら、キラキラした目でこちらを見上げる。
「お前はずっと戦いたそうだったもんなぁ……でもゴブ子、俺やっぱり、ゴブ子が傷つくのが心配でさぁ。せっかくお手入れもしてる綺麗な肌なのに、傷がついちゃうかもしれないんだぞ?」
もしかしたら、ゴブ子も気が変わって『戦わなくてもいいよ?』的な雰囲気になってくれるかと思ったけど、彼女は「ぐぎゃ……」としょんぼりしてしまう。
「……だよな、行きたいよなぁ。十年も待たせちゃったもんな」
でもやっぱり、こんなに小さくてかわいい子がモンスターと戦うなんて。やっぱりゴブ子には応援を担当してもらって、俺ひとりで戦ったほうが――、
「げぎゃっ!」
ダメですよね。俺の気持ちを察したらしいゴブ子にペシッと足を叩かれてしまった。
召喚した魔物を戦わせて、召喚主は下がっているというパターンはよくあるらしいけど、その逆のパターンはほぼ見ない。全くのゼロというわけではないようだけど。
「ひとまずゴブ子、これからは一緒に過ごせる時間が増えるぞ?」
休日は一日中一緒に居られたけれど、どうしても仕事中は俺の体の中に入っていてもらうしかない。ゴブ子も家で留守番しているよりは、俺の中に入っているほうが『マシ』らしいけど、あくまで『マシ』なだけ。
やっぱり顔と顔を合わせて、同じ空間を別々で共有したいよな。
「ぐぎゃ?」
「これからずっと一緒。ながーく、一緒。いっぱい遊べるぞ?」
ゴブ子にわかりやすそうな言葉を選択して再度言うと、「くきゃ~」と甘えたような声を出しながら、今度は腰に飛びついてきた。両手両足を使ってガッツリとホールドしている。
「ゴブ子、頑張る時はびっくりするぐらい頑張るけど、結構甘えん坊だよなぁ」
「ぐぎゃぐぎゃ」
そんなことないもん――と、勝手に翻訳してみる。
たぶん、七割ぐらいで当たってると思う。昔からカラスや野良猫たちと話している(気分になっていた)俺を舐めるなよ。
「……仕事を辞めたんだから、もうこっちに住む必要はないよな。関東に帰ったほうが大きいダンジョン特区があるんだし、まずは引っ越しか? 特区だったら、ゴブ子も自由に外を出歩けるし……」
『ダンジョン』という言葉に反応して、俺の腰から飛び降りるゴブ子。そして立てかけていたプラスチックの剣を素早く装備。
げぎゃげぎゃと楽しそうに剣で素振りをするゴブ子を見ながら、心の中で謝る。張り切ってるところ悪いけれど、もう少し待たせてしまうかもしれん。




