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第45話 ミネリマーフ


 安兵衛に与えられた館は、静かな庭に囲まれていた。日本の家屋とは余りにもかけ離れていたが、一番の違いは何と言っても傍に控える女性だった。


「名前は何とおっしゃるのですか?」

「ミネリマーフと申します、ご主人様」


 その白い肌の女性は控えめに答えると、膝を少し曲げるようにして頭を下げた。アジェミー(新参者)と呼ばれる、ハレムに入ったばかりの娘だった。


「貴女はもう奴隷ではない。ご主人様ではなく、私の事はヤスべと呼んで下さい」

「…………」

「それから私の前で下を向いている必要はありません」

「…………」


 宮廷のしきたりで奴隷は主人の顔を直接見る事など許されていない。許可が有って初めて見られるのだ。やっと顔を上げて安兵衛を見つめる女性に、私の祖国日本に奴隷という制度は無いのだと説明した。だが、どう説明してもまた頭を下げるばかりだ。

 剣に生きて来た安兵衛は女子の扱いには慣れていない。


「もう、好きにしてくれ……」


 するとその安兵衛の様子を見た女性は、さらに謝って来るので困り果ててしまった。しかし月日が経つと、その関係も次第に深まって行く。ムラト3世同様、ミネリマーフの信頼も得たようだった。

 ある日の事、安兵衛の館にひとりの男が訪ねて来た。


「ヤスべ様」と言って、小さな包みを差し出して来た。まだ話した事は無かったが、宮廷内で時折見かける人物だ。要件を聞くのだが、大した用も無いのか雑談をしただけで、包みを置いたまま帰って行った。木箱を開けると中に幾つかの宝石が入っている。しかも一人だけではない。何人も来るのだ。宮廷では珍しくない光景であった。新たに権力を得た者の元には、様々な贈り物が届けられる。安兵衛が腕組みをして見つめていると、ミネリマーフが傍に来た。


「ヤスべ様、決して受け取ったと口になさってはなりません」

「なぜだ」

「あのような方々は、後で必ず見返りを求めて参ります。ご注意下さい」


 ミネリマーフは不安そうに言った。

 安兵衛は机の上に積まれた宝石を見つめる。

 刀で斬る敵ならば分かる。

 だが、この宮廷の敵は姿が見えない。

 安兵衛は、戦場とはまるで違う恐ろしさを初めて知った。

 ようやく「ご主人様」と呼ばなくなったミネリマーフは、不安そうな表情で宝石を見つめていた。安兵衛はその視線だけで、彼女が何を案じているのか理解した。

 ただでさえ新参者の安兵衛が、ムラト3世の側近に取り立てられて、好ましく思っていない者も居るだろう。この先どんなトラブルに巻き込まれないとも限らない。用心するに越したことはない。


「それにしても、このような物をどうしたらいいのか」


 次々と大した用も無いのに訪れては、何かしら物を置いて行く者が後を絶たなかった。剣一筋に生きてきた安兵衛にとって、これこそが本当の試練の始まりだった。



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