第14話 救出依頼
人間がもつ魔力の総量は先天的に決まっているわけではない。もちろん、生まれたときからもつ魔力量には個人差はあるが、魔力の源泉が生命力である以上、体力や筋力をつければ必然的に魔力量は増加する。エルフの場合は先天的に人間よりもはるかに膨大な魔力を有しているが、季節によって自身の魔力量が増減するため、一時的に人間の魔力量がエルフのそれを上回ることがある。
しかし、アイリスの魔力量は人間と大差ない。身体を鍛えても人間ではないため魔力量は増加しない。そのためアイリスは、外付けの魔力源としてポーションを用いることがある。
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聖歴500年 7月22日
エリカはマイルスから弟子入りを半分くらい認めてもらったあの日から、毎日のようにマイルスの魔道具店に通い詰めている。マイルスの教育方針は普通の魔術師とは違い、魔導書と杖を用いた実践ではなく、ひたすら座学で魔術の知識を獲得させるものだった。
マイルスは、「エリカは魔力量が普通の人間よりずば抜けて多いからの。それを精密に扱うためには、まず自身の身体を満たす魔力がどういった原理で生み出され、放出していくのかをイメージできるようになるべきじゃ」と言って、見習い錬金術師がまず最初に熟読する『生命構造入門』を用いて、自身の身体のことについて学ばせている。
大富豪の娘であるエリカにとって、座学は幼少期の頃からさせられてきたものなので、苦になるどころかむしろ学びたいことが学べる最高の時間なのだそうだ。早朝はギルドの掃除を手伝い、朝から昼にかけてアトラス家の英才教育を受けて、昼から夕方まで魔道具店での勉強、そして夕方からはギルドの酒場の看板娘として働いている。
アイリスは去年よりもエリカと遊ぶ機会が減ったことに少し寂しさを覚えつつも、エリカが成長し独り立ちしようとしている証でもあるため、ギルドの後方で新米たちを見守る老練な腕組み冒険者のような気持ちになっている。
とはいえ、別に顔を合わせる機会すら無くなっているわけではなく、日が沈んだ頃にギルドへと足を踏み入れると、そこには沈んだはずの太陽が眩い笑顔で待っている。
アイリスは今日も昼の討伐依頼で疲れ切った冒険者たちが集うギルドの酒場へと向かう。エリカから禁酒を言い渡されてからちょうど3週間が経ち、ようやく酒場で酒が飲めるようになった。エリカと会うために何度か酒場には顔を出していたが、美味そうにジョッキを傾ける冒険者たちを歯ぎしりしながら見つめることしかできていなかった。
アイリスはギルドの半開きになった扉の前に立つ。ギルドの中から酔っ払った冒険者たちの馬鹿騒ぎが聞こえてくる。アイリスの右手がぶるぶると震え始める。これはポーション中毒の発作か、酒不足の禁断症状か、はたまた単なる武者震いか。アイリスは右手を強く握りしめて震えを止める。そして、右手でそのまま半開きの扉を勢いよく開けた。
「たのもー!!」
「おぉ!きたなぁ〜!」
アイリスのかけ声に一番に反応したのはワルファンだった。彼はアイリスを手招きして自分のテーブルに誘う。
「あれワルファン、珍しいね。君が酔っ払ってないなんて」
「今日はまだ重要な仕事が残ってるからな。酒は泣く泣くおあずけだ」
「へぇ、かわいそうに。けどごめん、私は3週間ぶりの飲みだから、遠慮なくいかせてもらうね。それじゃあ、おーい!エリ———」
「おっと」
エリカを呼ぼうとしたアイリスの手を、ワルファンは瞬時に押さえる。
「どうしたのワルファン。もしかして、ワルファンも欲しいの?だめだよ、お酒飲みながら仕事をしちゃ。またフィリスに叱られるよ?」
「ふっふっふっ、残念だったなアイリス。その仕事には、お前も参加するんだぜ?」
「……へ?」
アイリスが呆気に取られていると、ギルドの扉から慌てた青年が飛び込んできて、アイリスたちのテーブルに近寄ってくる。
「す、すいません、遅れました!」
旅の途中で出会った見習い商人クバールが、みずみずしい汗を流しながらアイリスの向かい側の席に座る。
「アイリス様、なんですかその顔」
「クバールに会えた嬉しさと、嫌な予感が入り混じる複雑な顔だよ」
「えぇ……別に何もしませんよ。ただちょっと緊急でご相談したいことがありまして。今日の夜なら必ず酒場にアイリス様がいると、ワルファン様が」
「ワルファン、私を売ったな」
「人聞きの悪いことを言うなよ。俺もクバールに頼まれた側だぞ。それに、お前にとっても損をする話じゃない」
「どういうこと?」
アイリスがそう言って首を傾げると、クバールは前のめりになりながら彼女の顔を見つめる。
「アイリス様、お酒は恋しいですか?」
「うん、めちゃくちゃ恋しい」
「でしたら、自分で最高のお酒を迎えに行きませんか?」
「……へ?」
クバールはテーブルの上に町周辺の地図を広げる。
「8月の初旬にこの町恒例の『湖畔祭』がありますよね」
「そうだね。毎年すごい数の観光客がやって来るし、その中にはお貴族様もたくさんいる。エリカがいつも会食とかで忙しそうにしてるよ」
「しかも、今年は夏の休暇も兼ねて王都からローレン伯爵がご視察しにいらっしゃるんです。ローレン伯爵はいつもご贔屓にしてもらっている方なので、おもてなしの品をご用意する必要があります。そこで我々の商隊は、アンヌ地方で生産されている最高級果汁酒を仕入れる予定なんです」
そう言うと、クバールは地図にある町の西側に位置する小さな村を指差す。
「本来であれば今日中にはここの村に品を運んでいる仲間が到着しているはずなのですが、先ほどまで村にいても一向に来る気配がありませんでした。そのため、隊長が私を急いで町に戻して、ワルファン様にご相談するようにと」
「おそらく、道中で魔物か盗賊に出くわした可能性が高い。急を要する案件だから、ギルドの手続きを無視できて、実力のあるお前に白羽の矢が立ったということだ」
「無視できるっていうか、見逃してもらってるだけなんだけど……」
「俺に恩を返すときが来たな」
「……はぁ、仕方ない。いつもお世話になってるし。それに、おおかた予想はついてるけど、もしかして報酬はそのお酒?」
「はい、一本だけですが」
「十分だよ。飲んでみたかったんだよね。アンヌのお酒」
「それでは依頼成立ということで、さっそく村までご案内します」
「わかった。なるべく急ごうか。お酒のおあずけは辛いからね」
「俺もお前が戻ってくるまで我慢しといてやる。帰ったら昼まで呑み明かそうぜ」
「あははっ、いいね!」
「僕は遠慮しておきますよ……」
こうして、アイリスは商隊からの依頼を引き受けて、町の西側にある小さな村へと向かうこととなった。
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ギルドを出て町の関所付近まで移動したアイリスとクバールは、そこに停められていた早馬に乗って、関所を抜けてだだっ広い麦畑を駆け抜けていく。
普通の馬でも人間が家畜化する前に近種の魔獣と長年にわたって交配していたことで、魔物とほぼ変わらぬ体力と走力を兼ね備えているが、早馬にはさらに俊敏と回復の魔術が付与された装具が取り付けられているため、尋常ではない速さで長距離を移動することができる。
「この丘を越えたら目的地です!」
「え!?なに!?聞こえない!」
向かい風を切り裂くように走っているので、お互いの声は聞き取りづらい。クバールは商隊で用いる手信号を使って並走するアイリスに語りかける。
『丘、越える、目的地』
アイリスは商隊の荷台に乗せてもらっていた頃、暇な時間にクバールから意味を教えてもらっていたため、瞬時に内容を理解することができた。
『了解』
アイリスとクバールは速度を落とすことなく丘を駆け上がり、眼下に見える村へと向かって一直線に馬を走らせる。村に近づくにつれて段階的に姿勢を変えていくと、それに合わせて馬も減速していき、最後に綱を少し引いて完全に停止させる。
二人は馬から降りて、アイリスが取り出した光のポーションによる明かりを頼りに商隊が待機している村の宿へと向かう。
「ふぅ、やっぱり早馬は疲れるね。装具に魔力を込めるのは乗り手だから、私だとすぐにバテちゃうよ」
「アイリス様って、本当に魔力量が少ないんですね」
「あ、今エルフのくせに貧弱だなぁ〜って思ったでしょ」
「思ってませんよ!アイリス様の強さは重々承知しています。だからこそ、大切な仲間の救出をアイリス様に依頼したんです」
真面目な表情で見つめてくるクバールに対して、アイリスは少し恥ずかしそうに微笑む。
「……ふふっ、ありがとね。私を信頼してくれて」
そう言うと、アイリスはポーチから回復のポーションを取り出して一気に飲み干す。
「よし!それじゃあ気合い入れて人助けしますか!」
「アイリス様、ポーションが口からこぼれてますよ」
「おっと、失礼失礼」
アイリスが口元を拭いながら歩いていると、隣にいるクバールが目の前の家屋を指差す。石で造られた一階建ての家で、しっかりとした煙突と屋根がついている。
「あそこが宿です。村の方々が空家を善意で貸してくれました。おそらく村長様や他の村人たちもいらっしゃると思います」
「随分と手厚いおもてなしだね」
「隊長がこの村の出身ですからね。このおもてなしは隊長の人望によるものですよ」
二人が宿に到着すると、明かりに気がついた隊長が扉を開けて二人を出迎える。
「早かったな。やっぱりあんたが来てくれたか、嬢ちゃん」
「もちろん。お酒と友達のためならどこへだって飛んでいくよ」
「ありがたい限りだ。クバールもよくやった。これでようやく話を進めることができる」
アイリスとクバールが隊長とともに家の中に入ると、暖炉の前で大きなテーブルを囲む複数の村人たちと、椅子に腰掛ける年老いた村長の姿が見える。隊長はアイリスのことを村人たちに軽く紹介したのち、すぐに地図を広げて現状の説明を始める。
「酒の到着予定時刻はとっくに過ぎている。運搬している分隊に何かがあったとしたなら、おそらくこの森だ」
そう言うと、隊長は村のさらに西側にあるアロッサ森林に小石を置く。森林は南北に連なる二つの山に挟まれており、山の標高は雲に届きそうなほど高い。
「ここは最近、盗賊が狩場にしていることで有名な場所だ。アンヌ地方から町への中継地点であるこの村へ最短距離で向かうなら、必ずこの森林を通らなければならない。そこを盗賊は狙ってるんだ」
「だったら普通は山を迂回してるはずだよね。どうして分隊が森林の中にいると思うの?」
「嬢ちゃん、こういう逸話を聞いたことはねぇか?『アンヌの酒は、魔物を引き寄せる』」
「あるよ。けど、それってただの噂話でしょ?」
「いいや、事実さ。現に何度もアンヌの酒を運んだ商人が魔物に喰い殺されてる。だから流通量が極めて少なく、"高級"になるんだ。それに、森林を挟む二つの山には魔物が多く生息してる。山に沿って迂回しようものなら、大量の魔物を誘き寄せることになる」
「……だから、アロッサ森林を通るんだね。昔あそこは暴食獣の縄張りだったから、他の魔物が棲みつかない。それにしても、そんな危険なお酒、よく仕入れようと思ったね」
「ローレン伯爵のご意向だからな。無下にはできない。……だが、それで仲間を危険に晒しているんだ。俺の判断は軽率だった」
「サルボ、反省するのはあとじゃぞ」
椅子に座っていた村長が、杖をつきながら立ち上がる。
「わかってるよ。父ちゃん」
隊長ことサルボは、実の父親である村長と並んでアイリスに深々と頭を下げる。
「アイリス殿、どうかコヤツの仲間を救ってやってくれ」
他の村人や商人たちも、一斉に頭を下げ始める。
「やめてよ。もう依頼は引き受けたんだから。それより、分隊の具体的な人数や荷物の量を教えて」
「ここに全ての情報が記してある」
そう言って、サルボは羊皮紙の欠片をアイリスに手渡す。
「お、仕事が早いね。それじゃあここにいる商人たちは、私一人じゃ怪我人は運べないから、一緒に森の入り口まで行く準備をしておいて」
「もうすでに馬車を数台待機させていますよ、アイリス様」
「そ、そう。なら、村の人たちは怪我人の受け入れができる場所の確保をお願い」
「大丈夫じゃ。アイリス殿が来る前にわしらに出来ることは全て済ませておる」
「……みんな、有能すぎ」
「アイリス様の負担を少しでも減らすことが、依頼した者の務めですから」
「……ふふっ、なら私も、ちゃんと務めを果たさないとだね。隊長、分隊には護衛がいるはずだよね?」
「もちろんだ。何しろ運ぶ品がアンヌの酒だからな、護衛に特化した冒険者を雇った」
「なら、まだ生きてはいるね。安心して、お仲間は必ず助けるから」
そう言うと、アイリスは皆に背を向けて宿の外に出ようとする。
「アイリス殿、どうかよろしく頼む」
村長や村人、商人たちの頼みの声を背に、アイリスは早馬を停めた場所へと急ぐ。クバールもまた森林への案内役として彼女の横に並んで走る。
「そう言えば、盗賊の対処には何か要望はあるの?」
「対処の要望……ですか?」
「うん。追い払うのか、捕まえるのか、それとも——」
アイリスは目的地に辿り着くと、そのまますぐに早馬に乗る。月が、彼女の頭と重なる。
「——【討伐】するのか」
月光の影によって、アイリスの顔は一瞬だけ、真っ黒になった。
「……と、とくに要望はありません」
アイリスの顔を見上げたまま呆気に取られていたクバールは、すぐに顔を逸らして自身の早馬に乗る。
「そっか。なら、相手の反応次第だね」
「……アイリス様は、人を殺すことに躊躇いはないのですか?」
クバールが恐る恐る尋ねると、アイリスはニコリと笑ってこう言った。
「うん。だって、私にとっては人間も魔物も、大して違いはないから。……さ、時間もないしそろそろ出発しよっか。クバール、先導よろしくね!」
「は、はい!」
先に馬を走らせたアイリスの背中を、クバールは慌てて追いかける。アイリスの横に並び、そして前に出るその一瞬、クバールは彼女の顔をチラリと覗いた。
暑苦しい夏の夜なのに、なぜか、冷たかった。




