第5章 垂直のサージ・ウォール
翌日、アナザーアメリカの各地から、観測用飛行艇がサージ・ウォールに向かった。その数は100機にのぼった。マリラは魔の橇を生き脱ぎの儀式部屋に葬るとグウィネスのことを忘れ、負傷者を輸送艦に収容し終えるまで母艦はセバン高原に留まると言った。
「それで、トペンプーラよ。ミナス・サレの女王代理が許可を出し、そなたは賛同したのだな」
「急を要すると判断しました。越権行為とは言えますまい」
「次から次へとまったく……。物事が起こるときは重なるというが、実に忙しい」
「もうひと踏ん張りでございマス、女王」
「悪い兆しと考えるか」
「サージ・ウォールのデータは母艦だけでなく、各地の屋敷でも解析します。まずはそこからデス」
マリラは湖上にかろうじて浮いている戦艦カラを見遣った。
「今日くらいは静かに祈りを捧げるとしよう。明日になれば、その暇はなくなるやも知れぬ」
マリラの喪章付きマントが翻り、葬送の現場に向かった。高原にルビン・タシュライの詠唱が長くこだましていた。
3日後、母艦は最後の輸送艦と共にミルタ前線基地へ南下を始めた。吹雪がセバン高原を覆っていた。
トペンプーラとルビン・タシュライはそれぞれの艦船に鐘を鳴らせた。出航の鐘であり、同時に弔いの鐘だった。暗い空に信号灯をともしたガーランド母艦は応急修理の音が絶えなかった。
甲板材料部のマギア・チームの部屋にも音は伝わっていた。電源の大半が修理に回され、暖房は効かない。チームは防寒コートを着こんだ。
「観測艇のデータは全部そろったわけだ。これ、どう思う?」
ヒロは自分でも間抜けな質問だと、眼鏡のつるに手をやった。チームの面々は負けず劣らずの科学部門エキスパートというのに。何という問い方だ。全員が顔を見合わせた。そして代表者ヒロは認めたくないデータの束に両手を置いた。
「もう一度、検証しよう。どこかが間違っている可能性もある。報告はそれからだ」
マリラはようやく私的な通信回路を開いた。開いた先はミナス・サレのダユイの小屋だ。カレナードはダユイの代わりに通信器を取った。
「マリラ……ご無事なのですね」
「何だ、泣いているのか。馬鹿者め」
紋章人は涙を拭った。
「あなたの声を聴いたせいです。本当にどこもお怪我はありませんね?」
「私の代わりに母艦はかなりやられたぞ。カラ艦はセバンに置いてきた。動かない船、戦車に装甲車、我らの聖地はがれきの山だ。しばらくは雪が覆ってくれるだろう」
カレナードは黙って聞いた。
「紋章人、聞いているか。そなたがミナス・サレの住人になってから、まだ1年にならぬ。この間にガーランド・ヴィザーツの戦死者は10000人を超えた。ミナス・サレ出身者は15000人近く、アナザーアメリカンに至っては90万人だ」
「……」
「聞いておるのか。これだけの死者を出したのだ。はぁ……」
「泣いておられるのですか、女王」
「たまには眼から水が出ることもある。そなたは元気なのだな?」
「はい……元気でおらねば、戦った方々に顔向けできません。もうすぐミナス・サレ軍は帰還するのでしょう?」
「そなたも戦ったのだ、カレナード。戦争はつらいものだ。簡単に言葉に出来ぬほどにな。……そなたの顔が見たい、カレナード」
「私もです、マリラ!」
女王の唇が笑った。
「また会おう」
通信器を置いたマリラとカレナードはそれぞれに備えねばならなかった。ガーランド母艦ではヒロ・マギアが震撼の報告を告げ、ミナス・サレでは塩湖に嵐の前の静けさが訪れていた。
「不気味な静けさだのう、ジュノア。儂はこのような空をかつて一度も見たことがない」
クラカーナ・アガンは飛行艇で塩湖上空に来ていた。飛行艇は燦々と冬の陽射しを受けていた。砂塵も雲もなく、爽快なまでに青い空と黒いサージ・ウォールの境目ははっきり分かれている。
「父上、嵐の壁と申しますが、今は垂直に立っているだけのものですわ。普段は少し左に傾いて吹き上げていますのに。カレナード、どう見ますか」
「あの嵐は創生伝説にある暴風そのものです。2500年前、アナザーアメリカの中央で爆発し、臨界空間を推し広げたナノマシン塊がいまだに生きている……いえ、再生を繰り返しながら、留まっている姿です。
左に傾いていた気流がほぼ垂直になったのは、ナノマシンに新しいプログラムが与えられた証拠です」




