アレクの行き先
『白銀の女騎士』とは、当時世界最強と謳われたメサイアをなぞらえて付けられたギルド名である。
しかしそれは、あくまで当時の話。
今は違う。現在最強であるのは、他ならぬバロッサだ。それも、メサイアとの決闘に勝利して。
「ここ」が王国一のギルドであるならば。国内全ての冒険者たちが憧れる場所であるならば……もっと相応しい名前があるはずだ。
そう考えたバロッサは、ギルドの運営にこう進言した。
「過去の栄光ではなく、現在の伝説を。つまり俺の名前を冠するべきではないのか」、と。
運営は考える。
確かにバロッサは誰もが認める最強の男。その名前をギルドの名として使うことで、知名度も上がるのではないか?
また、野盗などの犯罪者は、バロッサの名を非常に恐れている。故にその名が抑止力にもなり、治安の向上を促進するのではないか?
一方で、こんな意見もある。
『白銀の女騎士』の名は、今や王国に知らぬ者がいない程有名になってしまった。
それだけの知名度を誇るこの名を、易々と変えてもいいものか?
結局運営には結論を出すことが出来ず、この件はバロッサが王国に直訴するという形で一先ず収まった。
そしてその直訴の日取りが――今日の夜であった。
「……全て、予定通り」
自室の鏡で己の勇姿を確認しながら、バロッサは呟く。
「メサイア」が、この世界から消え去る。その時は、刻一刻と近づいていた。
◇
愚かな冒険者たちの計画を阻止した翌朝、ヤマトはいつものように、早朝から修行に励んでいた。
遠方まで走り込みをすれば、その場所で暴れている獣を狩る。
畑を荒らしている草食動物や人を襲っている肉食動物。または存在そのものが脅威となり得る、魔獣の類い。
生き物たちから手に入れた肉や素材などは、全て寄付だ。
朝食のタイミングを見計らい、自宅に戻る。
キッチンでは、いつも通りのいい匂い。
「はい、おじさん。牛乳だよ!」
そう言って木製のコップを手渡す甥の姿もまた、いつも通りだった。
「お義兄さん。朝食はスクランブルエッグと目玉焼き、どちらが良いですか?」
いつも通りの義妹の問いに、「スクランブルエッグ」と答える。
そしていつも通り、隣の空いた席に腰掛けるのだった。
『いただきます』
家族三人、食卓を囲む朝のひと時。
そんな何一つ違和感のない時間に、ヤマトはようやく違和感を覚えた。
「――アレクはどうした?」
昨日の朝から、ヤマトたちの日常はそれまでの日常ではなくなった。
いや、正しくは日常が上書きされた。
アレキサンドラという少女がいる日常に。
しかし今朝はどうだろうか? 隣に座っているはずのアレキサンドラの姿がどこにもない。どこにもいないのだ。
しかしおかしいと感じているのはヤマトだけのようで。メリアとビロッドは、「はぁ?」という顔をしていた。
思い当たる節があるのか、やがてメリアが「あぁ」と相槌を打ち。
「お義兄さんは外出していたから、知らないんですよね。アレキサンドラなら、もうとっくに家を出ましたよ?」
「家を……出た?」
「はい。夜までには帰ってくるから、心配するな。そう言っていました」
「……」
別にアレキサンドラのプライベートを管理する気など、ヤマトにはなかった。予定を逐一報告する義務だってない。しかし、
(あいつが黙って外出したのか? それも、行き先も告げずに?)
ヤマトにはそのことが、どうしても信じられなかったのだ。
ヤマトが彼女の何を知っているんだ? そう言われればそれまでなのだが。
「行き先に心当たりは?」
「さあ? というか、そういうことならお義兄さんの方が詳しいんじゃありません? 同じ冒険者ですし」
「……今は冒険者じゃない」
緊急時でも一度ついた嘘を貫くあたりは、ヤマトらしいといえる。メリアは「はいはい、そうでしたね」と、投げやりに言った。
言い知れぬ不安が、ヤマトの心を騒つかせる。
あの優しくて気遣いの出来るアレキサンドラのことだ。黙って家を出たのなら、それは自分たちに心配をかけさせない為に違いない。
つまり、そこが行き先だとわかったら思わず心配してしまう場所。……となれば、一箇所だけ思い浮かんだ。
「……ギルドか」
ギルドに帰れば、自分は殺されるかもしれない。アレキサンドラはそう言って、怖がっていた。
では、何故そんな場所に足を運んだのか?
謎解明の糸口さえ掴めれば、あとはすんなり解けていく。
「昨日聞いた話が原因だな」
「『白銀の女騎士』がなくなるかもしれない」。依頼主からその話を聞いたアレキサンドラは、居ても立っても居られなかったのだ。
何故なら、それはヤマトにとって大切な名前だとわかっているから。
たったそれだけのために、アレキサンドラは恐怖を押し殺して、死地へと向かっていった。
(なんてバカなんだ……)
いいや、バカは自分の方か。ヤマトは息を吐く。
メサイアとの思い出を守るために、大切な仲間を失って良い理由など、果たしてあるだろうか?
バンッ。ヤマトは食卓を力の限り叩きながら立ち上がる。
その衝撃でコップの中の牛乳が溢れたが、そんなの御構い無しだ。
「お義兄さん?」
パンをかじりながら、メリアは不思議そうにヤマトを見つめる。
ヤマトは彼女に「すまない」と伝えると、
「急用が出来た。夜までには帰ってくるから、心配は不要だ」
アレキサンドラと同じセリフにしたのは、もちろんわざとである。
その意図的なデジャヴに何か察したのか、メリアはパンを皿の上に置く。そして一言、
「夕食は、何が良いですか?」
彼女の言葉の真意など、考える必要もない。
「久し振りに、お前のピザが食べたい」
こういう時は、「何でも良い」と答える方が失礼だ。ヤマトとて、そんなことくらいわかっていた。
だから希望を口にしたというのに、メリアはぷくーっと、頬を膨らませている。
「ピザって、私が子供の頃に姉様に習った料理ですよ? それ、「私のピザ」とは言わないでしょう?」
されど家事を任される身からしたら、リクエストを提示してくれることは嬉しい限りである。
「じゃあ、行ってくる」
一度部屋に戻り、ヤマトは愛刀を持ち出す。
去り行く彼の後ろ姿を見ながら、メリアは飛び切り美味しいピザを作ってやろうと、意気込むのだった。




