武器屋
「私はもう少し飲んでいくわ」
そう言ってカウンター席に移動するツバキと別れたヤマトとアレキサンドラ。
(確か、ヤマトさんはこれから予定があると言っていたはず……)
彼の発言を思い出したアレキサンドラは、「先に帰っていますね!」と進言した。しかし、
「何を言っている? これから武器屋に行くぞ」
「え?」
「だから、武器屋に行くと言っているんだ。剣をなくしたと言っていたし、そうでなくても、鎧は安物ばかりだし。……新調するのは当然だろう?」
「それはそうなんですけど……」
「これから用事があるんじゃないんですか?」。アレキサンドラは尋ねる。
しかしヤマトはあっけらかんとしていた。
「だから、それが用事なんだ」
「……あ」
つまり今朝からヤマトはアレキサンドラの装備購入を手伝うつもりでいて。
「まさかお前……昨日みたいな軽装備で戦いに挑もうとしていないよな? いくら俺とツバキ主体で戦うからといっても、限度というものがある」
ましてや相手は手練れの冒険者。ゴールドの人間がいたとしても、おかしくはない。
プラチナの戦士たるヤマトのアドバイスは正確で……いや、最早アドバイスではない。常識の範疇である。
しかしアレキサンドラは、どこか歯切れが悪かった。
「それは、仰る通りなんですけど……」
アレキサンドラは、困ったように頬をかく。
ヤマトの予定がなくなったのなら、彼の提案を拒む理由などない。それどころか、アレキサンドラの為に予定を組んでいたのだから、断る方が失礼だ。
だが、問題はもう一つあって。
アレキサンドラは両手の人差し指を突き合わせ、俯きながら、ひどく言いづらそうに呟いた。
「お金が……ないんですよ」
アレキサンドラは故郷から王都に到着するまでの間で、全財産を使い果たしている。つまり、今の彼女は一文無し。装備を購入することなど出来ないのだ。
申し訳なさそうに言うアレキサンドラに、ヤマトは「何言ってんだ?」というような顔をする。
「ケルベロスの牙を売れば良いことだろう?」
「あぁ!」
ヤマトに言われて、アレキサンドラは思い出した。そういえば、ヤマトからお情けでケルベロスの牙を分けて貰っていたっけ、と。
アレキサンドラはごそごそとポーチを漁り、牙を取り出した。
前述しているが、ケルベロスの牙というのは希少価値が高い。
個体数が少なく、その上狩猟可能な人間などそういない。
特にアレキサンドラが持っているのは、ケルベロスの数ある牙の中でも二本しか取れない大牙。
コレクターたちが喉から手が出るほど欲しがっているこの牙を売れば、或いはある程度の装備を揃えることは出来るかもしれない。
武器屋に寄る前に、二人は牙を売却しにいく。
ヤマトの交渉術もあってか、想定より高額で売りつけることができた。
手に入れた資金を大事にしまい、やって来たのは闇市。
「どうして闇市なんですか?」
アレキサンドラが尋ねると、
「正規の武器屋では、俺に武具を売ってくれる商人がいないからな。いたとしても、大した品の置いていない店くらいだ」
敗北者というレッテルの弊害は、意外と深刻なのかもしれない。
闇市といっても、ボロいテントの露店がズラーっと並んでいるというわけではなく。
それどころか右を見ても左を見ても、人が住んでいるどうかさえ定かではない集合住宅ばかりだった。
ところどころ外壁にヒビが入っていたり、塗装が剥がれていたり。住人がいなくなったものの、撤去する暇も余裕もない。そんなところだろう。
ヤマトはそんな無人の住宅街を、脇目も振らずに歩いていき。やがて小洒落た洋食屋の前で、足を止めた。
まぁ、「小洒落た」といっても、とっくの昔に閉店した空き物件なのだけれども。
しかしこの際、そんなことはどうでも良い。アレキサンドラには、それ以上に不可解なことがあったのだ。
「えっ、えーと……」
潰れた洋食店の前で立ち止まっているのは良い。ならばどうして、扉ではなく壁の前から動こうとしないのだろうか?
「ヤマトさん?」
声を掛けるアレキサンドラだったが、返事はない。その代わりに、ヤマトは己の行動で、アレキサンドラの問いに答えてみせた。
壁に手を添えるヤマト。
よく見ると、煉瓦造りの壁に僅かばかり隙間が存在している。……隠し扉だ。
ヤマトが隠し扉を軽く押すと、内開きの戸がゆっくり開いていく。そこから数歩足を進ませると、地下へ通ずる階段が現れた。
「武器屋はこの下だ」
しっかりと扉を閉め、ヤマトは先行する。アレキサンドラも、彼のあとを離れずについていった。
ワンフロア分降りたところで階段は終わりを見せ、比較的新しい扉が二人の前に現れる。ここが武器屋なのだろう。
躊躇いなくヤマトは入店する。
店内では、武器屋娘がせっせと掃き掃除に勤しんでいた。
年の頃はアレキサンドラと同じくらいの、三つ編みの少女だった。
「ハァ」と、ため息交じりで掃除をする武器屋娘だったが、振り返ってヤマトの姿を見つけるなり、その顔がパアッと明るくなる。
「いらっしゃい、ヤマトさん! ……あれ? そちらの方は?」
ヤマトは常連。対してアレキサンドラは初来店。当然武器屋娘の関心はそちらへ向く。
「新しいパーティーメンバーだ。今日はこいつに合う装備を選びに来た」
アレキサンドラを指しながら、淡々と述べるヤマト。
アレキサンドラも遅れて、「アレキサンドラ・ベル・エメラルドです!」と挨拶をした。
「パーティーメンバー……? ヤマトさんが新しく仲間を加えるなんて、どういう心境の変化ですか? もしかして……惚れちゃいました?」
「若くて可愛い女の子ですものね」。口元に手を当て、意味ありげな表情をする武器屋娘。
「どうして女ってやつは、すぐそういう方向に持っていこうとするんだ……」
困ったような、呆れたような。そんな様子で、ヤマトは額を手で押さえた。
「俺が愛しているのは、メサイアだけだ。今までも、これからも。そう何度も言っているはずだが?」
「それはそれで、私的には何だか複雑なんですよね」
あからさまに口を尖らせる武器屋娘。
(あっ……)
彼女の反応を見て、アレキサンドラは全てを察した。
この武器屋娘は、ヤマトに恋をしているのだと。
既に想いを伝えたのか? 伝えてなくとも、ヤマトは勘付いているのか? ……少ない情報量からは判断がつかないが、アレキサンドラが余計な口出しをすべきでないことは明白だった。
「ところで、店主はどうした? 外に出払っているのか?」
話がひと段落したところで、ヤマトは本題に入る。
「いえ。奥で寝ていますけど……呼んできますか?」
「あぁ、頼む」
「わかりました!」
頷いてから、武器屋娘は店の奥へ駆けていく。
「お父さん、起きて! ヤマトさん来てるよ!」という声が、こっちまで聞こえてきていた。
ただ待っているだけというのも何なので。アレキサンドラは、店の中を見て回ることにした。
(ここが闇市場の一つですか)
店内には、王都の武器屋にも引けを取らない剣や装備の数々。
中が薄暗いなんてことはなく、隠し扉と地下階段の存在を除けば、普通の店と何ら変わらない。
その上同年代の女の子ときた。アレキサンドラには、この武器屋が法を犯しているだなんて思えなかった。
「ヤマトさん」
「何だ?」
「このお店って、本当に闇市場なんですか?」
思い切って、聞いてみる。
「あぁ」
「じゃあ、あの子は、その……」
「犯罪者ということなのか?」。アレキサンドラは最後まで、セリフを言うことが出来なかった。
ヤマトはそんなアレキサンドラの真意を見透かしたように、口を開く。
「法律なんて、その時代の為政者によって変わっていくものだ。金持ちたちの都合の良いように、な」
「それに」。ヤマトは続ける。
「「闇市場」であるから「悪」であるとは限らないだろう? 先入観は時に命取りになるぞ?」
「……」
恐らくこの武器屋以外にも、隠し扉を構えて人知れず商売をしている店があるのだろう。
彼らは等しく「罪人」ではあるが、嫌われ、憎まれ、疎まれているわけではない。
必要悪であるのだ。
それが正しいかどうかはアレキサンドラの知るところではないが、少なくとも世界の正義が必ずしも正しいわけではないことを、彼女は知っている。――バロッサのように。
説教をされたわけじゃないのに、アレキサンドラはそれから黙ってしまった。
怒られたように感じたこともそうだが、どちらかというと武器屋娘に失礼なことを言ってしまったことへの申し訳なさの方が強い。
それからどれほどの時が経っただろうか?
武器屋娘に耳を引っ張られながら、武器屋の武器屋店主が姿を現した。
ガタイのいい体に、立派なあごひげ。だというのに、娘に尻に敷かれているせいか、恐ろしさは微塵もない。
「よう、ヤマト。……てて、そろそろ耳から手を離してくれないか?」
「仕事をするから」。そう言われて、武器屋娘は渋々店主の耳から手を離す。
「で、今日は何がご所望で?」
赤くなった耳に触れながら、武器屋店主はヤマトに尋ねる。
「いつも通り、剣の手入れか?」
「あぁ」
短く答えて、ヤマトは剣を鞘ごと差し出す。
武器屋店主は剣を少しだけ鞘から抜くと、刃の状態を確かめた。
「前に来た時から、随分時間が空いているからな。にしても、この刃こぼれは流石に……。何を斬った?」
「特筆すべきものは何も。……強いて言えば、ケルベロスくらいだな」
「ケルベロスって……魔獣の類いじゃねーか」
「研げないのか?」
「んなわけねーだろ。バカにしてんのか?」
武器屋店主は鼻で笑うと、自身の右腕を幾度か軽く叩いた。
「俺の腕の見せ所よ」
自信満々な武器屋店主に、ヤマトも頬を緩ませる。
「それは助かる。……ついでになんだが、こっちもお願いして良いか?」
ヤマトは腰に差してあるもう一本の武器を、刀を武器屋店主に渡す。
刀を受け取った武器屋店主は、驚いた表情をしていた。
「刀もか? お前が刀も預けるなんて……いつ以来だよ?」
「メサイアが死んで以来だな。それからは一度も刀を抜いていないし」
「……必要なのか?」
武器屋店主の問いに、ヤマトは「あぁ」と頷く。
「わかった。じゃあ二つとも預からせて貰うぞ」
「それと、もう一つ頼みがあるんだが……」
いつもは刀を研ぎに来るくらいのヤマトなのか、立て続けにいくつも要求を出すのが余程珍しかったのだろう。
「……何だ?」という武器屋店主の反応が、少し遅れていた。
「こいつの装備を新調したい。任せても良いか?」
「そういえば、そんなことも言っていましたね」
武器屋娘がポンと手を叩いた。
一方武器屋店主は、ヤマトに指されているアレキサンドラに目をやる。
頭から足先まで……特に平面に等しい胸部を重視していた。
「装備の新調ねぇ。……どれ、見繕ってやろう。嬢ちゃん、取り敢えずあっちへ行こうか」
自然な態度で、武器屋店主アレキサンドラを店の奥へ誘導する。
そんな彼の後頭部を、武器屋娘が引っ叩いた。
「さり気なくセクハラするんじゃないわよ、バカ親父」
作戦が失敗し、武器屋店主は「ちぇっ」と不貞腐れる。
ふしだらな父親に武器屋娘はため息を吐くと、アレキサンドラに向き直って、
「新調は私が担当するから、お父さんはヤマトさんの刀を研いておいて。……ほら、行くわよ」
「はっ、はい」
武器屋娘に促され、アレキサンドラは店の奥へ進んでいった。
「俺もあっちに行きたかったなぁ」
呟く武器屋店主に、ヤマトが一言。
「どうでも良いから、早く仕事をしてくれ」