新しい朝
「スクランブルエッグと目玉焼き、どっちが食べたい?」
翌朝。
目が覚めるなり、いい匂いにつられてキッチンへ足を運んだアレキサンドラは、「おはよう」共にメリアに尋ねられた。
ヤマトとパーティーを結成したアレキサンドラだったが、それからの記憶は一切と言っていいほどない。どうやら、あの後すぐに眠ってしまったらしい。
それ故彼女はヤマトに背負われ家の中に帰ったことなど露ほども知らなかった。
(私、どうやってベッドに戻ったんだろう?)
当然そんなこと、メリアが知るはずもない。知っている人間がいるとしたら、ただ一人。
そして意識のなかったアレキサンドラにも、その一人は容易に推測がついた。
「あのー、ヤマトさんは?」
アレキサンドラは自分のパーティーメンバーたる男の所在を尋ねる。
返ってきた答えは、「さあ?」だった。
「毎晩誰よりも遅く寝て、毎朝誰よりも早く起きる。そして誰にも告げずに家を出て行くの。それがお義兄さんの日課」
鍋に入った、昨晩のスープの残りをお玉でかき混ぜながら、メリアは寂しそうに言う。
慣れたから寂しくないというわけには、どうしてもいかないようだ。
「それで、スクランブルエッグと目玉焼き、どっちにする?」
「えーと……」
こういう時すぐに答えられないのは、やはり悪い癖である。そう自覚しながらアレキサンドラが迷っていると、
「どーん!」
まだ声変わりのしていない、元気の良い声が、アレキサンドラの背後から抱き着いてきた。
「きゃっ!?」
突然の抱擁に、アレキサンドラは可愛らしい声を出す。
一瞬ヤマトかと思ったが、彼にしてはかなり背が低すぎる。
(第一、ヤマトさんがそんなことするはずないですよね)
それこそ昨晩ではないが、「そんなのヤマトではない」のだ。
抱き着いてきたのはビロッド。「おはよう」と、無邪気な笑顔をアレキサンドラに向けている。
「おはようございます、ビロッド。よく眠れましたか?」
「うん! お姉ちゃんは?」
「私も、ぐっすり」
寝付きこそ悪かったが、睡眠の持つ効果は十二分に発揮されていた。お陰で今朝は、何だか頭がスッキリしている。
昨日までのモヤモヤが、まるで嘘のようだ。
「あっ、そうだ」
このタイミングでビロッドが接触してきたのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。アレキサンドラは決めかけていた選択を、ビロッドに委ねることにした。
「ビロッド。あなたはスクランブルエッグと目玉焼き、どっちが好きですか?」
振り返り、しゃがみ込み、ビロッドと目線を合わせ。アレキサンドラは尋ねる。
ビロッドは少しの間「うーん」と声を唸らせた後、
「どっちも好きかな?」
「はぁ」
料理を作るメリアからしたら最高の答えなのかもしれないが、今アレキサンドラが求めている答えとしては最悪だ。
「どちらかと言ったら?」
堪らず聞くと、ビロッドは再び「うーん」という声を出しながら、
「今日は玉子焼きの気分かな? 砂糖多めのやつ!」
突如現れた、第三の選択肢。
案の定、「スクランブルエッグと目玉焼きって言ってるでしょうが!」と、メリアに叱責されていた。
「仕方ないわね。今日だけよ。……で、アレキサンドラは?」
「あっ、はい。お手間じゃなければ、私も玉子焼きで……」
何を思ったのか、一度目を細めたメリアだったが、別段怒っている様子もなく。
「一人分作るのも二人分作るのも変わらないわ。オーケー、玉子焼きね」
二人分作るのが億劫じゃないとしたら、三人分作るのも四人分作るのもまた同じこと。自分も玉子焼きにすることにしたのか、メリアは卵を三つ溶き始めた。
ビロッドの要望通り砂糖を取り出すと、大さじで二、三杯加える。
油を引いたフライパンに入れられた溶き卵は、ジューっと音を立てながら、その形状を液体から固体に変えていった。
ビロッドはというと、さっきから食器棚と食卓の間を行き来している。どうやら小皿やスプーンを用意しているみたいだ。
「お姉ちゃん、何飲む? 僕は毎朝牛乳だけど!」
「えーと……私も同じので」
「手伝いましょうか?」。そう言いたいアレキサンドラだったが、食器の位置も知らず料理も出来ない彼女には何も出来ない。
取り敢えず、邪魔にならないよう席に着くことにした。
「はい、どうぞ」
慣れない手つきで牛乳を注いだビロッドが、アレキサンドラにコップを手渡す。
「ありがとう」
木で作られたコップを受け取ったアレキサンドラは、一口牛乳を口に含んだ。
(温かい)
温められた牛乳は、肌寒い早朝にぴったりで。アレキサンドラは続け様にもう一口飲んでしまった。
料理を作るメリア。それを手伝うビロッド。良い香りが漂うキッチン。温かい牛乳。
アレキサンドラという存在以外は、どれも彼らにとって日常に過ぎなくて。
何も特筆すべきことはない、それでいて幸せなひとときだった。
そんな彼らの日常に欠けていたピースが、ようやく帰宅する。
「ただいま」という挨拶をすることもなく、ヤマトはキッチンに顔を出した。
「あっ、おじさん! おかえり!」
「お義兄さん。おかえりなさい」
メリアもビロッドも、ヤマトの帰りを喜んでいる。
ビロッドに至っては、自分の分として注いだ牛乳をヤマトに手渡した。
「ありがとう」
お礼を言った後、せっかくと言わんばかりに飲み始めると、
「熱っ」
顔をしかめて、舌を出すヤマトを見て、アレキサンドラは「可愛い」と思ってしまった。
「フフフ」と、つい笑いが漏れてしまう。
「ヤマトさん、おかえりなさい。もうすぐ朝ご飯が出来ますよ」
「あぁ」
答えたヤマトは、アレキサンドラの隣に腰を下ろす。
「あー! おじさん、そこは僕の席だよ! 僕がお姉ちゃんの隣に……って、痛い!」
「朝から騒いでないで、早く座りなさい」
メリアに叱責され、渋々アレキサンドラの前に座るビロッド。
『いただきます』
手を合わせて、恒例の挨拶をし、彼らは朝食を取り始める。
今朝のメニューは、パンと玉子焼きと昨晩余ったスープ。
アレキサンドラはその中でも、まず玉子焼きに手を伸ばした。
余程上等な卵を使っているのか、或いはメリアの腕が良いのか。アレキサンドラはこんなにも美味な玉子焼きを食べたことがなかった。
「美味しい」と、つい吐露してしまう。
「美味しいですよ、この玉子焼き。私の村じゃ、まず食べられません!」
「そう? お口に合って何よりだわ」
大袈裟に言うアレキサンドラに、メリアはクスクス笑う。
日頃から食べ慣れているビロッドは玉子焼きをまじまじ見つめながら「そうかなぁ」とボヤいており、ヤマトはパンをかじりながら微笑んでいた。
それから少しして、
「お義兄さん、今日のお昼はどうしますか?」
昼食を家で取るのか、それともお弁当が必要なのか。メリアはヤマトに尋ねる。
昼間は人知れず修行や魔物狩りに勤しむヤマトだ。大体の場合、お弁当を所望するのだろう。キッチンには、既にお弁当箱が用意されていた。
しかしそれは「大体の場合」であって、「いつも」ではない。その証拠に、ヤマトは「要らない」と答えた。
「要らない? お弁当もですか?」
「あぁ。外で人と会う予定があってな。昼食もそこで済ませる」
「女の子ぉ?」。からかうように言うビロッド。
「女ではあるが、子供ではないな。……アレクも来るだろ?」
いきなり話を振られたアレキサンドラは、「え!?」とフォークを取りこぼした。
カランカランとテーブルに落ちたフォークを、アレキサンドラは慌てて拾う。
「私……ですか?」
「お前以外に、この家にアレクがいるのか? それに、お前は俺のパーティーメンバーだろう?」
「ヤマトのパーティー」。その言葉が出てくるということは、クエストとかそういった類いの話なのだろう。
しかしこの時のアレキサンドラには、そんなことどうでもよくて。
(パーティーメンバー……。夢じゃなかったんだ)
夢オチという結末を捨てきれていなかったアレキサンドラの胸は、喜びと嬉しさでいっぱいになった。
「それで、行くのか? 行かないのか?」
尋ねるヤマトに、アレキサンドラは即答する。
「行きます! 是非、行かせてください!」
胸の前で拳を握り、前のめりになっているアレキサンドラ。
そのあまりの剣幕に、あのヤマトが腰を抜かしていた。
「あっ、あぁ」
押され気味なヤマト。そんな彼を一瞥したメリアは、人知れずこう思うのだった。
(ザマァみろ。嘘つきお義兄さんが)
されどその表情に侮蔑や嫌悪はなく。まるでビロッドを見守る時のような、優しさが映っているのだった。




