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王都の錬金術師  作者:
第三章 新規事業と悩める人々
135/136

第一幕

「元から相場の二割は安い、その上で長期の契約であれば其処から更に一割は値引きすると言っているのだぞっ」


 テーブル越しに唾を飛ばして商談と言う名の怒声を上げる主人に対して対面する店主の反応は温度差を感じさせる程に冷ややかなものだった。


 見本として用意した各種の織物は富裕層を相手にするには品質として見劣りするモノではあったが、エルマン商会が独自の入手経路で仕入れたこれら素材は丈夫で長持ちし比較的安価な事で知られる庶民層向けの織物としてエルマン印と言えば王都ではそれなりに知られた銘柄であると私も主も自負していた。


 しかし一介の織物商であった主人を此処までの商会の会頭へと押し上げた自慢の商品の数々に……だが、テーブルの上に並べられたそれらを一切手に触れる事もない店主にはまるで関心と言うものが見られない。


「卸値やモノの良し悪しってのはよ、正直問題ではないんさね、ウチは一見さんとは取引はしない、そう言う方針でね、悪いが商売の邪魔なんで帰ってくれないか」


 何度と無く聞かされた回答。


 見渡せば新築された小売店の店内に言う程に客の姿は見られない。


「なるほど、手順は踏めと言う訳なのだな、では店主、余所者の儂らがこの街で商売をする為に何が必要なのか教えては貰えぬだろうか」


 今回ばかりは覚悟を決めたのだろう、主人は先の三件で見せた様な癇癪は起こさず予め用意していた節が見られる様に自然な形で懐から硬貨を一枚取り出した。


 輝きの色は銀ではなく黄金色。


 テーブルにすっ、と置かれた金貨を前にして流石の店主も今度は無視する事が出来ずにそれを凝視していた。初めて迷った様子を見せる店主……だが欲望とは正直なモノで次の瞬間には伸ばした手で金貨を握ると己の懐に仕舞い込んでいた。


「此処にはこの街特有の掟や決まり事ってのがある」


 破った場合どうなるのか……訊くまでもなく店主の表情は真剣で一変した空気に私も主人も続く言葉に息を知らず飲み込んでしまう。


「その一つに俺ら小店主は『許可』なく仕入れ先を勝手に変更するなっ、てのがある訳でな」


「つまりはこの街の顔役に筋を通せと言うのだな?」


 主人の言葉に店主は一瞬驚いた表情を浮かべ……直ぐに慌てて手を振って否定する。


「おいおい、深読みするなよ旦那さん。此処らの顔役連中なんざ真っ当に商いをしているあんたらが関わっても録な目には合わんよ」


 身ぐるみ剥がされたくないなら絶対に止めとけ、と店主は主人に忠告する。眼差しの真剣さからも真実味が感じられ本気で心配している店主の様子からも其処に嘘はなく見た目に反して案外と善良な人間なのかも知れないと思わせる態度であった。


「俺はもっも健全で真っ当な話をしているつもりなんだかな……要はウチに、いやこの街で商いをしたいならちゃんと紹介を貰ってこいってこった」


「紹介? 顔役たちではないのなら誰の紹介を貰えば良いのだ店主」


 ああもうっ、と察しが悪いと言わんばかりに店主は頭を掻き……そして諦めた様に嘆息する。金貨を得た対価として仕方がないと踏ん切りを付けたのだろう。


「この街の物流はとある商会が一手に引き受けてくれているんだよ、あんたら見たいに景気を見て遣って来る連中とは違ってどん底を這いずっていたもっと以前から付き合いのある……俺たちにとって大恩ある御仁がいるって事さ」


 その商会の名を店主は口にしない……だが私も主人も名を訊かずともこの時点で全てを理解していた。


 朝から貧民街を駆け回り、その折りに幾度か積み荷を積んだ荷馬車とすれ違っていた。普通であればそれだけではその荷馬車の所有者など分からぬものだが、一部の大手の商会はそれと一目で分かる統一された制服と屋号紋を有している。


 黒と白を基調とした特有の商会服。


 襟の記章に刻まれた天を貫く白亜の塔と黄金の鷲。


 特徴的なそれらに該当する商会は一つだけ。


「マクスウェル商会かああああああっ」


 其処に思い当たった瞬間、主人はその場で頭を抱えてしまう。


 王国の御用商人の一人であるクリス・マクスウェルが会頭として率いるマクスウェル商会は歴史の浅い新鋭の商会ではあるが今やこの王都で……いや、この国でその名を知らぬ者はいない大商人であり大商会である。


 奇跡の妙薬エクシル。


 王国と冒険者ギルドだけに独占的に取引される回復薬エクシルの莫大な利益は計り知れず、昨今では王国内の冒険者ギルドの支部を始めとして各地の街や軍事拠点への回復薬エクシルの配送にまで手を伸ばし陸運の分野にまで裾野を広げて事業を拡大させていると訊く。詰まる所、今やマクスウェル商会は王国内に留まらず名実共に西方域全体に名の知れた大商会の一角なのである。


 とんだ大物が現れた訳だが……しかし我が主人が頭を抱えている理由は己の商会とは事業規模からして桁違いの相手を前にしての絶望感からではない事を私は知っている。


 クリス・マクスウェルには商人として知られる以外にもう一つの顔を持っていた。それは回復薬エクシルを生み出した天才的な薬術師……つまり魔法士としての側面である。


 魔法を扱えぬ我々は大なり小なり恐れと偏見の感情を魔法士に抱いている。それが綺麗事ではない偽らざる本音である事は間違いない。我が主人はそんな当たり前の感情を持つ人間の内でもその傾向が顕著な部類の人である。


 ましてクリス・マクスウェルは同じ商工組合に所属しているにも関わらず定期的に行われる組合の会合にも代理の人間を寄越すだけで一切自分は参加をしていない。性別は女性であると噂されてはいるが実際に面識がある人間たちと言えば同じ御用商人たちくらいのものだろう。


 顔も知らず会ったこともない人間……更には態度も気に入らぬ魔法士に対しての苦手意識が軈て強い猜疑心へと変わっていったのだとしてもその事で主人を諌める事は私には心情的にも出来なかった。


「邪魔をしたな店主」


 暫しの時悩んでいた主人は一言だけ告げて店を出る。店主もそれなりに何かを察したのだろう、何も訊かず黙って主人と私を送り出してくれた。


 店を出た主人は路上で立ち止まり私を振り返る。


「仕方がない……か、だが保険は掛けておくべきだろうな」


 マクスウェル商会の予期せぬ登場……しかし我が主人が黙ってこの街への事業の進出をこれで諦めるとは思ってはいなかったが、ぽつり、と呟いた一言にまさか店主に止められた顔役たちに繋ぎを付ける気では、と一瞬私は肝を冷やす……が。


「何て顔をしている。これでも儂は組合に属する商人の端くれ、陽光の下を歩けぬ連中と取引なぞせぬさ、利益の為に頭を下げるなら口惜しいが同業者の方であろう……だが得体の知れぬ、信用できぬ相手に無防備に相対してはどんな不当な条件を突きつけられるか分かったものじゃなかろう……その為の保険よ」


 どうやら保険とやらは私が想像していたより真っ当なものの様なので内心で安堵する。


「マクスウェル商会の連中が如何にこの街で好き勝手をしていようが、連中よりも遥かに影響力を持つ団体がこの街には存在するだろう?」


 主人の問い掛けに私の脳裏に貧民街を拠点に活動している一つの財団の名が思い浮かぶ。


「西方協会ですか?」


「そうだオットー。本当はこの手の慈善団体を商人同士の駆け引きに利用するのは主義ではなかったのだが、この際手段を選んではおれんからな」


 なるほど、西方協会と言えば聖女クラリス・ティリエール助祭が主導する真っ当な慈善団体として信用に置ける。それに貧民街に対するこれまでの活動と貢献度もマクスウェル商会の比ではないだろう。その西方協会が我々を後押ししてくれれば連中も無茶な条件は提示出来ないと主は踏んでいるのだろう。


 確かに悪くない読みの様にも思える。


「取り合えずマクスウェル商会に話を持ち掛ける前に西方協会の有力者に当たりを付けるぞ。上手くすれば連中の鼻を明かせてやれるかも知れんしな」


 巨像に対する蜂の一刺しと言わんばかりにこの日初めて主人は愉快そうに笑う。


 大商会を相手にある種喧嘩を売るような行為を嬉々として行おうとする主人を前にして、この人らしいな、と私は感じ知らず苦笑してしまう。




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