終幕 世は全て事もなし
晴れ晴れとした空。
嵐が過ぎ去った水平線から輝く陽光が崩れた城壁の残骸の合間に差し込み、明け方早々から瓦礫の撤去と安全の確保に奔走する砦の兵士たちの影を地に伸ばしている。その世話しなく行き交う大勢の労働力たちを丘の木陰から覗き窺う私は万感の想いでそれを見守っていた。
お仕事御苦労様です。
「地下聖堂の崩落は仕方なき結果とは思われますが、まさか放出した魔力の余波のみで砦を半壊させた上に背面の外壁まで完全に崩壊させてしまうとは……些かやり過ぎたとは思われませんか」
投げ掛けられる疑問符に対する答えは明快で、少し反省はしている……だが勿論後悔は無い。
ないのであるが、一応米粒程度に湧いた良心の呵責から共犯者である赤毛君には責任を取って貰い砦近辺の被害を確認に行かせている。この場にいないのはその為で、去った嵐との相乗的な影響を考えても周囲の状況確認は必要であり、誰もが後片付けに大忙しの中、文句を言われる前に面倒なので押し付けた、と言うのは此処だけの話である。
従って誰が私に文句を垂れているのかと言えば、
エルベント・クラウベルン。
今になってから素性を明かした……むかつくおっさんである。
「それは私の付加魔法の効果を最大限に発揮させたアベル君の剣技が凄まじかったと言う事では? それにこの砦自体が年期の入った本来は博物館行きの代物でしたからね、嵐の影響と老朽化も重なって崩れちゃったんじゃないんですか、知りませんけれど」
こうして揶揄する程度には折り合いを付けられたのは、魔法的な処置を施したクラリスさんの容態が安定し快方に向かっていた事が大部分を担う一番の理由ではあるが、先程このおっさ……エルベントさんから色々と訊かされた事情とやらに若干ながら、爪の先程度には納得したからというのも含まれてはいる。
「最高位冒険者の実力は元冒険者であったわたくしがより良く存じている訳ですが……それでもこれは」
「いやいや、いやいやいやいや、全ての元凶である貴方に、事態を解決してあげた私が責められるのはそもそも心外なんですけれども?」
大体が砦を半壊させたと言うのが大袈裟で、地下聖堂が崩落したのは事実だがその衝撃で砦が少しだけ傾いたのを半壊とは酷い言い草で言い掛かりも甚だしい。主たる要因は建築段階での基礎の耐震強度の問題であるからして断じて私は悪くないのである。
余波で吹っ飛んだ外壁は……まぁアレだが……人的な被害は皆無であった訳なのだから責められる謂れは……ない。寧ろ魔力爆発などさせていたら全方位に放たれる衝撃波で砦はもっと甚大な被害を受けていただろうし、何より多くの死傷者を出していたのは疑い様も無いのだからそれを未然に防いだ私を皆はもっと褒め讃えるべきだろう。
「先にも申し上げましたが、此度の件で策謀を巡らせたのはあくまで城主であるエイベル・アシュトンで御座いますれば、元凶……黒幕と指すべきは彼の者で、我ら商会は契約の履行を規定通りに遵守しただけでクリス様にもクラリス様にも本当に含むべきものなど無かったのは事実であります」
「良く言うね、契約の重複……貴方はあの悪魔信奉者と城主、両方と契約を交わしていたんでしょ。それって依頼主との利益の相反なんじゃ? 商人としての良識は一体何処に行っちゃったんでしょうねぇ」
わたくし個人ではなく商会が、重複ではなく両者とも援助を主とする融資の契約を、とさらっと真顔でエルベントさんは訂正する。
「大旦那様が如何なる意図を以て吹き込まれたのか、エイベルは事の初めから自身の名誉欲を満たす為だけに全てを画策していた節が見れらました。ゆえに最悪、完成させた術式を回収出来ぬ事態を避ける為、功績として独占させぬ為にも、個別の契約を交わす事で細部に干渉し応変に対処する必要がありました。偶然を演出し、わたくしがこの砦に招かれる様に仕向けたのもその為の布石であったのです」
悪魔信奉者とエイベル・アシュトン。先々代の会頭が果たしてどちらを軸として種を撒いたのか、今となっては卵が先か鶏が先か、両輪であったが為に定かではないのだと言う。つまりは今更車輪の替えは効かぬゆえ、双方に保険を懸けていたに過ぎないのだと彼は語る。
「寧ろクリス様の御不興を買う要因と原因は我ら商会ではなく、エイベルを利用した神殿の思惑であり、聖女として高名なクラリス様すら使い捨てるかの如く神殿の遣り口に異論があったのはわたくし共も同じく」
それゆえに、固有魔法の術式を手にした段階で契約は完了したと見做し、後の夜会なる享楽の宴やエイベルの思惑からクリス様とクラリス様を御護りする為に商会は総意と誠意を以て魔法を行使して事態に介入したのだ、と。
「尤も……ある段階で御姫様の魔法は何者かの干渉により破壊され、結果的には御力に成れなかった事実は残念ながら否定は出来ませんが」
誰、とは敢えて言及せずに目の前の商人は私を黙って見つめている。
「御高説ご立派で最もらしく宣うけれど、話の整合性が取れないよ。だって私の指示で宿場に帰した冒険者たちを貴方たちは殺したんだろう。無関係な彼らをさ?」
あの時点での情報の拡散防止、或いは新たな魔法の実践試験、理由など幾らでも考えられるが、好悪の問題ではなくそれ自体がこれ迄の説明とは矛盾する。
無関係? と反芻する口許に確かな否定を宿した眼差しが私に向けられる。
「強い信仰や主義とは、その正しさを盲信するゆえに道義を軽んじ軽視する。今回の一件で神殿の手口は御理解頂けたかとは思いますが、冒険者ギルドの主義の下、行動するあの冒険者たちもまたこの一件に無関係ではありませんでした」
冒険者ギルドもまた自己の思惑の上で動いていたのだ、とエルベントさんは語る。
「彼らを無関係と主張する時点で貴方は道を違えておられるのですクリス様。回復薬の普及を真に望まれるのであれば手を取るべきは王国の貴族たちであったので御座います。彼らは酷く打算的で欲深く強欲で裏切りもする。しかしそれら愚かさは人間と言う種の誰もが持つ欠点であり欲求であり共感出来るモノ。商いとは、交渉とは、そうした価値観を共有出来る人間たちとの間でのみ成立し得るものなのです」
神殿も冒険者ギルドも信に能わず、利用されるだけ利用され、最後には教義や主義などと己の正統性を持ち出し主張して、約束も取り決めも都合良く破られるだけ、と。
どれ程それが道義に反するモノであったとしても彼らは呵責なくそれを行うだろう、と。
「我々、クラウベルン商会は王国に信頼出来る人脈を有しております。今からでも決して遅くはありません。商人同士利益の為に手を結ぶ……その様な選択肢もあるのではありませんか?」
「ふむふむ、一部最もではありますが、神殿は兎も角として冒険者ギルドは人の意思が興した組織でしょう? どうにも貴方の説明は主観的で一方的である様にも思えるんですけどね」
私も信仰とやらに関しては同感ではあるが、それと冒険者ギルドを一緒くたに纏めて語られてはやはり違和感を覚えてしまう。それに何より今のままでは私の質問の答えにもなってはいないからだ。
「冒険者ギルドが掲げる未知への探求、その裏にある本当の真実を知ればクリス様も御理解頂ける筈です」
近年においてその最たる事例こそが……天剣の二つ名と共に知られるビンセント・ローウェル。彼の最高位冒険者が何故引退し王国の組合長に就任したのか、四年前、大陸中央の国で起きた騒動に深く関わるその顛末こそが全てを物語るのだと、信用におけぬ商人はそう口にした。




