死霊術師の追憶
王都~中央街・クラウベルン別邸~
個人で所有する邸宅の二階、私室の窓を開くと一面に広々とした中庭を視界に望む。見上げれば雲一つ残らぬ晴天が広がり、先日までの嵐の影は其処にはまるで見られなかった。
私は片手に持つ葡萄酒の杯を口許に傾けると火照った頬を冷ます様に窓の外に足を踏み出し冬の凍える大気にその身を任せる。刺す程に冷たい冷気を肌で感じるが今はそれがとても心地良い。
束の間、冬の空を眺める私の視界の隅に一羽の鴉の姿を映す。
『御姫様。恙無く、全て終了致しました』
直接脳裏に伝わる声。私は応える様に瞳を閉じる。
「そう、御苦労様でした。では事後処理を済ませたら早めに戻って来て下さいね。本当なら慰労を兼ねて休暇を与えて上げたいところですが、王都の支店を任せるに当たり、私が居る内に前任者との引き継ぎを済ませておいて頂きたいので」
『承りました。御配慮感謝致します』
「いえいえ、良いのですよ、貴方はお祖父様の高弟として名を知られた方。それに養子としてお祖父様に仕えていたのですから、外野が何を騒ごうと私の義理の叔父様ですもの。そんな方を長く一つの案件に束縛させてしまっていた事、亡き先代に代わって謝罪します。今代ではこれまでの働きに報いていきますのでこれからも私と商会に変わらぬ忠誠を期待しておりますわ」
『元より大旦那様より御姫様の事を頼まれておりますゆえ、御気遣いなく使い潰して下さいませ』
「ありがとう、エルベント」
窓辺には私の他に人の姿はない。居るのは手摺に止まる一羽の鴉のみ。
通常の魔法士間で可能とされる念話は術者同士の技量に大きく左右され、通話の距離も限定される。しかし鳥類を触媒として中継させる事で大陸全土に網の目の如く張り巡らせたクラウベルンの情報網は大国の情報機関すら遥かに凌ぐ精度と速さを誇る。これも全ては呪術師として偉大であったお祖父様が構築し完成させたクラウベルンの遺産の一つ。
クラウベルン商会の融資の部門には当代の会頭が直接差配する案件が幾つか存在する。それは生前、お祖父様が大陸の各地で撒いた種を軈て成長し実りを迎えた果実の順から収穫していく……そんな類いのモノ。今回のバルシュミーデの古城の案件も例外無くその一つだった。
種が育ち実に至るまで実に十年以上……その時の流れを思えば人の身では十分長く、しかし商会として見れば元々がお祖父様の研究の一環であり魔法士として、個人的な趣味と実益を兼ねた私事だと思えば厭う程でもない。
それに今回手にした固有魔法は実に興味深く十分に満足している。この手の禁忌に触れる魔法の研究に、商会として又は個人として直接的に関与するのは被る不利益を想定すれば上策とは言い難い。然るに援助と言う形で影からの支援に留め、研究自体は他者の手に委ねて経過を観察するのが最も危険が少なく後に回収するにも何かと都合も良い。
お祖父様も良く仰っていたものだ……困難は分担せよ、と。
『もう一つの案件ですが、やはり御姫様の御見立て通り、彼女は『本物』かと』
「でしょうね、手にした術式に手を加える暇が無かったとは言っても、私が使役したアレを滅ぼせる存在は中々居ない筈ですもの。まして古城と言う限定的な空間でそれを為せる者ともなれば……」
直接目にしなくとも確定した結果を元に特定する事は然程難しくはない。
『魔法士としてわたくしの知り得る限り大陸全土をして当代一と思われました。それも他に類を見ぬ程の底知れぬ、比肩する者なき恐るべき才覚かと』
「それは本当に……本当に素晴らしいですわね」
私とお祖父様を『知る』彼が言う。それだけで私の胸は高鳴ってしまう。錬金術師の存在と貴重な固有魔法。一つを知り一つを手にした今回は二重の意味で行幸で実り有る成果であったと言えるだろう。
固有魔法はより高位の触媒を用い術式の不備に改良を加えればより良く精度の高い個を生み出せる可能性を秘めている。概念としてもバルシュミーデの伝承に囚われずとも世界を見渡せば畏怖すべき逸話は他にも数多存在し固有の能力を付加させる面でも私の嗜好を大いに満たしてくれる研究素材と為ってくれる事だろう。
とは言え、商会の利益を優先するのなら当面の方向性としては略式化を進め汎用性を高める事で一つの戦局を覆す魔法を構築させる事。それは戦乱の世で商会に莫大な利益を齎す新たな商品の誕生を意味する事に他ならない。
戦争を人的資源と物的資源の浪費、と否定的な者は多い……が、同時に大きな特需を生み出す戦争は富を生み出す源泉ともなるモノ。人が更なる先を目指すなら潤滑油たる戦争は種の進化には欠かせぬ要素。倫理的、合理的な一面として正しいからと言って全てを否定してしまうのは愚かに過ぎる。
戦争とは、闘争とは、破壊と創造の併せ鏡。肝心なのは正しく管理し正しく制御し秩序と共に有るべきモノで、無秩序に広がるソレはただの狂乱に、混乱に過ぎず混同するべきものではない。
「これで北と南も……」
こんこん、と叩かれる私室の扉。同時に羽音と共に窓辺の鴉が宙を舞う。
「失礼致しますエリザ様、お嬢様の迎えの馬車が到着した様で御座います」
「分かりました。直ぐに着替えを済ませます」
扉の外から控えめに届く侍女の言葉に、今日は昼食を娘夫婦と共にする約束をしていた事を思い出す。普段なら有り得ない話だが今日は少し朝から興奮し過ぎていたのかも知れない。
クリス・マクスウェル。
全ては三年前。この王都で金の流通量が不自然に増加している統計表に気づいた日にまで遡る。調べさせれば調べさせる程、辻褄の合わぬ事柄ばかりが顕著に露呈してからも、彼女の存在に辿り着いた後でさえ、未だに確かな正体が見えぬ異端の存在。新年の会合で一度会った折り、娘と同年代と紹介されはしたが……果たして『本当』に見た目通りの年齢なのか……それもまた興味の尽きぬ話。
今回の一件に彼女の存在を組み入れたのも、短絡的な理由や発想からでは決してない。御用商人として表の舞台に姿を現した彼女の真意と本性をどうしても見定めておかねばならなかったゆえに。
事件の経過と結果を見ても彼女が本物の錬金術師と確信を得た事で、回復薬の扱い方に対する考え方も総じて見て取れた。それに加えてこの三年間、詳細に王都での市場の推移を調査した結果からも、彼女が悪戯に金を生み出して価値を暴落させる愚かな真似をする人間ではないとも判断出来る。今回は彼女を知る為に些か危険な橋を渡ったが大陸経済の破壊者を見過ごす事は出来ないゆえに、少なくとも歩み寄れる人格の持ち主であると確認出来た事は、彼女が明確な驚異として排除するべき対象から外れた事は、一番の収穫であった事実は否めない。
「出来ればお友だちになれないかしら」
それはまだ分からない。しかし正体の一端を知る為に今回は深く関わり過ぎてしまった。向こうも此方の存在を知った今、これ迄通りとは流石にいかないだろう。
だがそれはこの場で考えるべき話ではない。何より今は愛しい娘の為にこの身を着飾るべき時なのだから。




