第一幕
私が思考実験の際に副産物として生み出した『錬金炉』は数ある固有魔法の内でも決して出来の良い部類の魔法ではない。
世界の創造と呼ぶには烏滸がましいこの小さな箱庭は私の思考世界の再現ゆえに構成する全てが周知で満ちている。裏を返せば其処に私が知らぬ未知は無く、胸が踊る様な驚きも、想定を越えた変革も、知り得ぬモノは何一つとして起こり得ぬ可能性の閉ざされた実につまらぬ鳥籠でしかないからだ。
しかし。
私の意思のままに坑道の床は隆起し無数の硬質化された槍となって悪魔を襲う……が、四方から貫き至る槍先は悪魔の周囲で不可視の壁に阻まれて全てがへし折れ四散する。
「ふむっ、随分と規格外に堅牢な障壁だねぇ……次元遮断? いやいや、本体を構築している魔法より高位のモノを同時に発現していると言うのは無理な推論か……であれば強化されている概念の流用か応用か……」
観察に足る素材が手元に在るのなら話は別で今は実に有意義でとても愉しい。
先程の呪詛も、この障壁も、恐らくは複合的な魔法ではない。然りて悪魔とは、と皆が抱く周知の印象……人々の恐れと畏怖を能力として形作り一つの概念として統合しているのだと推察する。それは仕組みとしては単純ではあるが実に面白い発想である。
この時代ではまだまだ複合魔法は知識的にも技術的にも難しい。ゆえに単一の概念として構築する事で複数の魔法効果を有する個体を作り出すに至ったのだとすれば、この悪魔の使役者は実に優秀な呪術師だと言えよう。
悪魔の腕が影を伝わり伸びる。その軌道を追う必要性も無く至る先は……。眼前へと迫る黒き鉤爪は翳す右手に触れる刹那に、ぴたり、と制止する。そして私が軽く指先を傾けるだけで容易くソレは伸びる腕ごとあらぬ方角へと捻じ曲がり側面の壁へと激突する。
「私はこの世界を司る法則そのもの。ゆえに常用の手段ではこの身に触れる事すら敵わないよ悪魔君。しかしこの世界の檻は存外に脆くてね、私の認識を越えたモノであるのなら或いは届き得るかも知れないよ。新たな可能性、異なる意外性……その片鱗をどうか私に見せてくれ」
思考せよ、と思わず願ってしまう。
向かい合う緋眼の奥底に確かに宿る意思の輝き。感情の発露に至る、それは芽吹きを待つ自我と言う名の可能性。僅かに見せる怒りにも似た揺らぎに私は否応無く期待をしてしまう。
『……シ……デ……』
放たれた呪詛の風が私の黒髪を靡かせる。
『シデ……イタル』
「違うよ、そうじゃない」
概念の具現化において次なる段階へと至る道。それは訊けば呆れる程に簡単で……しかし意思なき存在には無限の彼方に、果て無き先に在る解答。
「悪魔君、君を定義するモノは、君の存在とは何だい?」
『……シデ……イタル』
吹き抜けるよそ風と共に紡がれる意味無き繰言。幾ら待てども其処に変化の兆しは見られない。
「流石に求め過ぎたかな」
落胆を抱きつも過度に期待していた自分を恥じる。まぁ、当然の結果と納得出来ぬ事もない。十分に愉しめもしたしこれ以上は過ぎ足る望みと言うモノだったのだろう。
『……ヴァ』
しかし、失望の内、変化は突然訪れる。
望む視界の先、地を這う影が揺らめき、聳え立つ実像と同化を果たす。その悪魔の姿に影は無く羽撃く一対の黒翼から生じる確たる魔力の波動に……私は手を翳し目を細める。
『ヴァ……ラク』
「我は……半獣半……魔ノ王ナリ」
思念ではなく統合された歪な口が言葉を綴り……例え与えられた概念の記憶が仮初めの、偽りに満ちたモノであろうとも、其処に己を想う自我が芽生えたならば、それは紛れもなく新たな個の誕生を意味する。
個とは名を以て定義され身に刻む事で定着される。ゆえに自己を認識した悪魔……いや、ヴァラクから発する魔力の濃度は融合前とは比較にならぬ程に飛躍的に跳ね上がり、その圧力が、猛る魔力の渦が、坑道全体を揺るがしていた。
それはこの異質な空間ゆえ、それは私という異質な存在との邂逅ゆえ。それは広大無辺の海原で一粒の真珠を探し当てるにも等しい奇跡。
「ありがとう」
だから私はただ一言……感謝を告げる。
色濃く緋色の瞳が宿すのは憤怒。私を見据える眼差しは初めて己の意思で抱くであろう、憎しみに満ちた殺意。その剥き出しの感情を、発露の形を目にした私は知らず口許を綻ばせてしまう。
「誰にも望まれず恐れられ、ただ畏怖されるだけの殺戮の使徒……けれど私だけは祝福するよ、君の前には呪詛が満ち、向ける皆の瞳に憎悪が満ちようと、私だけは君の誕生に感謝を告げよう」
魔力の奔流をその身に纏い、存在の消失を錯誤する程の速度で迫り来る殺意に満ちたヴァラクの姿に私はその手を差し伸べる。眼前に振り下ろされる殺意の刃は、鉤爪は……私の肌に触れる事なく停止する。
「けれど、今の君でもまだ私の認知の範疇を越えられない……残念だけれどね」
ぎしぎし、と己が身を軋ませ拘束する不可視の圧力に抗うヴァラクの鉤爪に私は自ら手を添える。
「二重の意味で君には感謝をしているよ。この砦で君に抗える者は居なかった……だから、ありがとう。クラリスさんではなく私の前に現れてくれて」
本当にありがとう。
奇跡の内より誕生した君と言う存在は私にとって慈しむべき個ではあるけれど、より大切な女性がこの地には居る。ゆえに迷いはない。
身を離そうとするヴァラクの腕を私は掴み、願わくば次に邂逅を果たす君がその名を刻める様に、と私は感謝を以て呪言を口ずさむ。
「紅き朱よ、貴き緋よ、永劫なる暁よ」
私とヴァラクを中心として魔方陣が展開されていく。至る魔法は原初の炎。始まりの魔女ニクスが人に授けたとされる創造の灯火。
「根源より溢れ、創成へと至る導きよ」
「ごあああああああああああああああっ!!」
触れ繋がる手の軛を逃れ様とヴァラクがもがく……が、瞬間、視界の全てを覆う魔方陣の輝きが弾け消え、原初の魔法は世に発現する。熱は無く色も無く無色なる煌めきは、全てを覆う原初の炎は、ヴァラクと言う概念を一瞬で焼き尽くし、私の思考世界すらも残滓 の揺らめきのみで焼失させる。
狭間の刻は消失し世界はまた動き出す。
………。
………。
「うひゃあああああああっ」
余韻に浸る暇もなく、頭上から降り注ぐ落石に慌てて身を退き避けながら、私は脱兎の如く走り出すのであった。




